ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

保険屋のおじさん

2008-03-21 | 私の愛する仲間たち

10年近く前、私の車にバイクが突っ込んで来た。
80歳くらいのおじいさんで、私の車は左のミラーが曲がっただけ。
おじいさんは肋骨を3本折る重傷。
自分のバイクのスピードではじかれたらしい。私の方はほとんど停車していたのに近いスピードだったので避けようがなかった。
普通に自賠責のだの任意だのと手続きをして、中期免停をくらい 講習へ行きおじいさんの病院にも毎週お見舞いに行った。
おじいさんはどうやら糖尿も見つかり、肋骨の治療より深刻だったようだった。
そのうち退院した。
それから有り得ない仕打ちがやって来た。
当時私はまだバーテンの仕事もしながら昼も会社員をしていた。
そのバーテンをしていた店に、被害者の友人という人が来た。
「私と一晩つきあわんか?上手く話しを付けてやるから。」とこの男はしつこく言った。
そして被害者本人も昼の会社へ来て「わしの苦しみをわかるならちゃんと金で示してくれ。こんな会社に勤めていても大した金額はもらわないんだろう。水商売でもしたらどうだ」と(実際バーテンだったが)当たり屋か!と言わんばかりの脅迫ぶりだった。
私は保険屋のおじさんに相談した。
おじさんは激怒した。
「どっちが被害者かわからんじゃないか!!」と言って、保険料の計算をするプロの人を連れておじいさんの家へ乗り込んだ。
「お宅に払うお金は法律に則って計算されているんです!」と怒った。
「では裁判をおこします。」とおじいさんは言った。
私は生きた心地がしなかった。
でも保険屋さん達は「大丈夫。」と来るなら来い的な目をしていた。
まず調停が始まって今までの経過を調停員の人に話した。調停員の人は私に同情して「なんてことだろうね。あなた気の毒に」と言った。
私が撒いた種だ。これも試練なのかというあきらめた気分だった。
でも保険屋さんは「裁判でも何でもくればいいんです。彼女はまだこれからがあるんです。罪は償っているのにこんな目にあって!私たちは負けませんから!」
とものすごい勢いで言った。私はその心強さに涙が止まらなかった。
私の支払額残り40万に対しておじいさんの請求額は1千万。
私は自分の保険金で払ってくれと遺書まで書いた。
母が、「あの子は思い詰めて死んでしまう」と保険屋さんに言った。
保険屋さんには中国人の奥さんがいる。二人で私を励ましに来た。
「心配はいらない。どうせこんな不当な額は認められないし、弁護士も馬鹿じゃないから。」と言った。
裁判所へ行く前の晩にラジオを聞いていると佐野元春さんの「SOMEDAY」が流れてきて、なぜかそれを聞いていると泣けてきた。大声で泣いた。
最後の調停の日、朝からよく行く神社へお参りに行ってそこで拾ったどんぐりをお守りに持って行った。そして駐車場で私を待っていた保険屋さんが「悪いことは起こりません」と言った。
その後、調停不能になりいよいよ裁判という前になって保険屋さんが言ったことが現実になった。
弁護士はおじいさんの言い分を取り上げなかったのだ。不当請求になるので負ける裁判はしないということらしい。
「弁護士も馬鹿じゃないから」と言ったのはこのことだった。
裁判所から調停取下、保険屋さんから示談成立の書類が届いた。
夢を見ているようだった。
保険屋さんのうちにお礼に行くと、奥さんが「中国から持ってきたものだけど、こんな嬉しいことがあったのだから記念にもらってね。」と言って銀のスプーンセットとメノウの印鑑をくれた。
保険屋さんは結末を知っていたのかもしれない。でも私には命の恩人なくらい感謝の気持ちでいっぱいだった。
保険屋さんの仕事というのは本当に人助けなんだと思う。このおじさんは今でも「正義の味方」のような保険屋さんだ。

コメント (4)
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