ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

リストラを止められない

2008-03-15 | 私のお仕事(本業)
会社が大変になり、少しずつ社員も見切りを付け始めるものが出て来てますます残された人間は大変になって来た。
それでも、「ここを乗り切れば」と言う気持ちを胸にそれぞれがいろんな話し合いをしながらあがいている。
昔、まだ景気が良かった頃に今では幹部に昇進した人たちがまだ平社員で、現場の頑固オヤジにこなされていた時の話しを聞いたことがある。
社会勉強が大好きなおじさんがいて、まだ若造だった社員に「この仕事やっつけたら飲みに行くぞ!」とけしかけて また言われた社員も「これが終わったら飲みに行ける!」とそれを励みに頑張って、終わるとみんなで元気に街へ繰り出しうさん臭い外国の名前がついているような店へ行き、異常に薄い生地の服を着た下品な化粧のお姉ちゃんがいる横で馬鹿騒ぎをしていたようだった。
それを楽しそうに話しながら「昔は世の中を教えてくれる良くない先輩っていたよなあ」と笑いながら話してくれた。
私はそんな時代に働くことができた人たちのことを羨ましく思った。
私も仲間に入ってみたかった。(もちろん男ならだけど)
一生懸命働いて、それが晩酌のためでもいいじゃないか。
そんな先輩たちがいる職場で働けたことは人生という時間で見ると、ただ蟻のように働くよりずっと人間らしい。
今ではお金がないと言っちゃ飲みにも行けないという。
不景気のせいにして、生活を楽しむということはどうでもいいのだろうか。
お金は誠意のない人には敵になる。諸刃の剣そのものだと思う。
だからお金とは手段にすぎないと考えていなければ振り回されるのだろう。
もっと大切なところ、もっと基本なところ、ありがとうと思うこと。それが満足感を持つこつかもしれない。
大切なことをいかがわしく教えてくれた職場の先輩達はもう年を取り、お金以上の働きぶりとノウハウと愛社心を持っていてもただ時間が来たというだけでいなくなろうとしている。
本人の意思とは別に会社の状態もあってまるでいいタイミングだとでも言わんばかりの出来事だった。
私には(もちろんほかの人だって)彼らの代わりができるものか!
いなくなる日が来るなんて思ってもいなかった私はつい最近そのうちの一人と「この年になっても働くことができて良かったよ」と会話した。
車の中で思い出して涙が出て来た。
私が娘と同じ年だと言っていた人。旅行に行ったからといつもこっそりお土産を買って来てくれた人。
家へ帰ってもまた思い出して涙が出た。
まだ働きたかっただろうに。まだいさせてもらえると思っていただろうに。そう思うと自分の非力なことと、今までまだのんびりとしていたところがあったことが悲しくなる。
お金じゃないところで職場は楽しいと知っている人たちと、あと少しまだ一緒にいるうちにもっと昔の話しを聞いておきたい。
いつかまたそんな日が来るように知っておきたいと思う。

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