ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

腰が・・

2010-09-28 | 体のこと
草刈りをちょっと手伝って、ウッドデッキを作るのをまた手伝って、でもそんなにたいしたことしてないのに昨日の夜からちょっと腰が痛くなった。

今朝、結構凄く痛かった。

塗るやつを息子に頼んでつけてもらった。

押さえると痛い。

些細なことでも体にくるっていう年頃なんだ。でもこれは軟弱だ。
なんかダメだよこんなんじゃ・・・

息子の運動会はもうすぐ。また全校ダンスがあるらしい。最悪・・・
「南の島の・・・ってやつじゃないから安心して!」と息子が言った。
イヤイヤそういう次元じゃないんだよ。
やること事態に抵抗を感じているんだよ。
曲目なんてどうでもいい。
しかも腰痛で。

息子は「せっかくダンスが違うやつになったのに残念でしょ。」といった。

イヤ、だから曲目じゃないんだよ。危険なことにこの腰痛のまま踊らんといかんかも。
やばいなあ・・・
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雪のせい

2010-03-14 | 体のこと
先週の水曜日、都城では雪が降った。
そのせいかずっと体調がおかしい。

金曜の夜、友人と集まる約束をしていてそれも最後までいけずに切り上げてしまった。

昨日、今日とやはり軽い風邪のような症状が出ている。

今の季節のように暖かいと見せかけてどかんと雪が降るような気温になると私も庭の植物も猫達も大慌てする。

せっかく新しい芽を出しているアジサイも、シダも葉が変な色になった。
シダは深刻な状態。毎年一度はばっさりと切るが、今回は2回目のばっさりをやった。

私は些細な気温の変化にはいつもやられる。
そう思って一番雪が降ったときは大丈夫だったけれど、次の夜に雪は降らなかったけれどものすごく冷え込んだ日があってそれがこたえた。

その日、別件で緊急の連絡が入ってパソコンに向かってにらみ合いをしていた私は、暖房設備がろくにない部屋で長時間いたせいで変な咳が出るようになった。

また暖かい日が始まっている。
またあんなに寒い日が来たら今度は抜かりなくやろうと思うけど、私の軟弱ぶりも「自然をなめるなよ」というサインかもしれない。
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病気のとき。

2010-03-01 | 体のこと

私はよく体調が悪くなる。
そういうこともあって、このまるで財布のように持ち物になってしまった私の具合の悪さと持ち主の私は、この長い付き合いの中で私もだいぶ学習した。

事前にわかるようにもなったし、何をしたらいけないのかもわかる。
痛みとは、その場所が悪くていたくなるとは限らない。
たとえ頭痛。
どんなに薬を飲んでも治らないことがある。
それはたぶん脳神経外科でもわからないこともある。

それは頭に原因がないからだ。頭痛はいわば電話の着信音。
別のところが私を呼んでいるのだ。
胃腸のときもある。貧血のときもある。肩が凝っているときもある。
「もうそれ以上無理をしないで。こんなに大変なんだから」と無理矢理知らせている。

風邪を引くときの痛み。喉が痛くなる前兆の感じ。熱が出る前の感じ。
全部合図がくる。
「ここに痛みが起こるということはもうすぐ私は熱が出る。熱が出るようなことをしただろうか」と考える。
例えば前日、いつもと違うことをしたとか。季節にあわない服を着ていたとか。
そして鍵になっている箇所が必ずあって、そこを温めたりなど先手を打つ。

そんなこんなで私は「体を温める」とか「マッサージをする」ということがこんなに人を楽にするものかと病気のたびに思う。

だから病気になるということで、私はいろいろ教わっているのだろう。

おかげで触るだけで大体わかる。誰の体でも私の体のどこかが触ればその信号が来るようになった。
最近では猫でもわかる。

職場ではよくマッサージをさせられる。でもプロではないので力の加減やコツがわからない。ただその箇所がわかるだけだ。
深さも広さもわかる。
「この場所から奥へ2センチくらいのところに何かある」と服越しでもわかる。
痛みを感じる場所を触ると、どこから来る合図かも大体わかる。
私は将来マッサージの人になったらいいんじゃないかと思うことがあるし、人にも薦められる。
針灸師にスカウトされたこともある。

たまに見ただけでわかる人もいる。
それは相手のせいかもしれない。

ただ、何となく最近こういう風になったのは もしかすると私が人を喜ばせたいと思うからそんな気持ちが働いてくれて 私に知らせているんじゃないかと思うようになった。
それなら誰だって相手を思う気持ちを大切にしたいと思っていれば、自然とその人がマッサージして欲しいところに手が行くようになるのではないだろうか。
自然と、相手が望むことを体が読むようになるんではないだろうか。

いつまでたっても人のことがわからない人は、そのテストをクリアするまで何度も病気とか誹謗とかそんな形でお題が与えられるのではないだろうか。

たまに神様は極上にすばらしい人間をさっさと天国へ連れて行く。
そんな病気はテストではなくて、神様のやきもちかもしれない。
私は死ぬとき、いくつだろう。病気かな。事故かな。恐怖を感じながらじゃなければいい。子どもに生きる希望を与える言葉をかけられる余裕があるともっといい。
母より後がいいが弟より先は嫌だ。弟は気が小さいので気落ちしている姿を見るくらいなら私が後の方がいい。
息子より先は必須。息子に私は一緒にいると実感を残せるなら私の死に様としては90%成功している。
残りはできれば元気なうちに思い出になる手紙を書いておくこと。
病気のとき、寝ていると
「神様、息子はまだ小さいので私にもう少し育てさせてください。私はこのこと一緒にいたい。きっとこんなに可愛いと思うのだから前世でこの子を産むと決めていたはず。私がいなくても支えてくれる人が現れるまで私の寿命を守って欲しい」とそんな明日もわからない人のように思うことがある。
自分が死ぬという誰でも当たり前のことを恐がっているんだ。
子どもを産んだことで。

私はそういう風になったんだ。
だから病気も怖いと思う。
自分より守る者があるということは、自分の恐怖心ではなくて守る者の苦しみや悲しみが怖くなるのだろう。

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苺に助けられる

2009-12-15 | 体のこと
私は眉間のど真ん中、ちょっと上あたりに大きな赤い斑点を持って生まれました。
母は「こんな真っ赤な斑点が眉間の真上にできているなんて・・このまま消えなかったらどうしよう」と病院巡り、この斑点は何かと聞いてまわりました。
そして7件目でようやく「あら、この赤ちゃんはおでこに苺をつけて生まれたんだね。この苺を傷つけないように大切にしていると3歳くらいまでには消えてくれるよ。」
と言われました。

団地に住んでいた私は、近所のばあちゃんが眉間に苺をつけている赤ちゃんがいると聞いて見に来ていたそうです。
「この団地はよく子どもが亡くなるから、この赤ちゃんはそんなことがないように印をつけられたんだね」とばあちゃんが言ったそうですが、確かに私がいた団地はよく子どもが亡くなるところだったようです。

小さな5ミリ程度の苺は先生が言ったとおり2歳ごろには消えました。

それから私は血液の免疫不全の病気になり入院しました。川崎病でした。

苺と川崎病は関係ないですが、たぶん血管とか血とかという意味ではつながってしまいますね。

鼻血が出やすかった私は苺とブドウをよく食べていました。

そして私は大人になって息子を産みましたが、息子には新生児室の中のたくさんいる赤ちゃんの中から間違いなく我が子だとわかる印がありました。
息子の左手にも苺があったんです。

母も私も、「あら~やっぱり親子ねえ。この子にも苺がついてた。間違いなく親子の証だね。」と話しました。

看護婦さんが心配しましたけど「大丈夫、これは苺状血管種で自然と消えます」と動じずに話せました。

私はその後 産後の肥立ちが悪く何年もひどい貧血に悩みました。それを支えてくれたのがワイルドストロベリーのお茶でした。
鉄欠乏性貧血の私に効くと勧められてからずっとのんでいます。

それからワイルドストロベリーを育てて、引っ越ししても一緒に持ってきて今では大きな株をあわせて5株程に増えました。
毎日のように苺をつけてくれるので薬のようにおまじないのように食べています。

今思えば、苺に縁のある親子です。

息子は今何事もなくすくすくと大きくなっています。

私のように病気ばかりしないで元気に大きくなってほしいですね。
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なんて軟弱な私。

2009-12-11 | 体のこと
またまたのどが痛くなってきました。寒い感じもします。
でも寝込んだりしていられません。

何でこんなに何度も体を悪くするのでしょう。貧血だからなのでしょうか。
小さい頃、血液の病気をして些細な抵抗力しかないようで すぐに風邪を引いたりしてしまいます。

だからといって誰かが私の変わりをするわけでもないですし、望んでもいません。

でも結構そのつっぱりが無敵だと思われるんですよね。

女性だからとかそういった目で見られたくないと思ったり、母子家庭だからと思われる要因を作りたくないといった感情はいつもどこかにあります。

実際男性に生まれていたら良かったのにと今まで何度も思ったことがあります。

誰かに頼りたいとかほとんどあてにしておりませんが、今はただ我が子を育てることをちゃんと全うしたいですね。

そういう意味では女性に生まれて良かったですよ。今の私は女性だから存在しているのでしょう。
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