ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

過去にいった講座のメモ「おもてなし講座」

2022-02-28 | 私のお仕事(本業)
講師の先生は古川智子先生。そして上田弥生先生。







そして場の空気をぬるくする「おもてなしお」先生。



この3人です。







古川先生は私が初めて就職した会社で最初にかわいがってくれた先輩にそっくりで、同じ人かと名前を見直したくらいでした。おかげでけっこうリラックスしていました。







おもてなしということは東京オリンピックプレゼンで有名になったような気がしますが、それ以前から古川先生は携わっていたそうです。



今では日本一のおもてなしをテーマにした会社の社長です。







おもてなしは「あの人にまた会いたい」と思ってもらうためであったり「こちらの意を叶えるために」恥ずかしがらず、ふきげんな顔をせずに相手に対して「あなたを大切に思っている」ということを伝える行動です。







どうしてそんなにみんなは気にするのか・・・・というと、創業しても今の時代5年で60%が倒産してしまうのだそうです。これは全国的な話しで首都圏も含めですので地方ではもっと状況は違うでしょうけどね。







そのために変化に対応して生き残っていくということ突き詰めていくと、自然とたどり着くことなのです。







老舗ほど実は柔軟でしたたかで、ふんぞり返らず泥臭く・・・仕事を考えていく必要があるのだそうです。



その中でも老舗にはないといけないものが師弟間、先輩後輩の間で行われる躾、相手を思いやる心、そう言うことが大切。







私の会社は手仕事、職人仕事なので一番必要かもしれない関係ですね。







おもてなしの精神を勉強する中でいろいろインパクトがあったことがあるのですが、中でも「日本人は遠慮する文化」という話しがには心当たりが多くありました。







「別に気にしなくて良いからね」と言いながら本当に気にしなかったらびっくりされる。とか黙っているから不満がないというワケじゃなくて、そっと心の中で吹っ切っているだけ。







そう言うことは自分でもよくあります。







おもてなしはただお茶を出すだとかそう言うことではなくて「心のやり取り」誠心誠意の「思いやり」です。



そこから「ああ~こんなに大事に思ってくれているのか・・・」と感激・感動して頂くことで他の会社やお店に良さがあったとしても「なにか物足りない・あの人に会いたい」という気持ちに向かわせる手伝いをする、それが「おもてなし」という行動です。







おもてなしを頂点だとすると、底辺には道徳・態度・礼儀作法があります。



そこが培われていてこそおもてなしの的を外さない流れができます。







ここで言う道徳・態度・礼儀作法は単に手をそろえてお辞儀をするだとかそういう上辺のことというよりは、倫理観であったり常識であったり昔ながらのことであったり躾であったり、そういった人と関わっていくときに一番大切な感覚のことを指すのだと思います。







逆に人の地雷を踏んでも平気でいられるようなタイプの人が知識として入れていてもそれが本質にそっているのかそこは疑問だなという気がして、こういったことをきちんと理解できる大人になっているということは一番大切な底辺だと改めて思いました。







おもてなしの中で当たり前のことを当たり前に行えて自分が出会う人を喜ばせ、行く先々を輝かせる人のことを『一流人』と言います。



それには8の前提と10のチェック項目があります。







8の前提ですが明るさ・健康的・身だしなみ・やさしさ・あたたかさ・一生懸命さ・誠実さ。以上なのですが、「ああ私は該当してる」と思っているのとまわりにどう写っているのか別ですね。



優しいつもりで話していても「あの人は人間に角がある」と思われているなら優しい口調なだけであって優しい人かは疑問だと思います。



心の中の状態からにじみ出てくる感覚であって、8の前提は表面的につくろったことではなく人として持ち合わせていなければならない倫理観のようなものだと思いました。







『おもてなし』という勉強の基本となっている素材は『江戸仕草』というものです。



江戸仕草は昔ながらの縁起を担いだり、師弟関係、上下関係、そういう躾のようなことがらをまとめたものです。







中には現代ではちょっと不向きなところもありますが、ほとんど大事なことばかり。







その中には仕草が(態度)がよくでてきますが、腕組みをしない、腰に手を当てて聞かない、足をむやみに組み直す、アゴで挨拶をしない、クビであやまらない・・・などたくさん出てきます。



どれもその仕草をした状態でどんなに幸せな言葉を発しても説得力のない仕草です。







この中で良しとされていることは全て相手のこと思えばこその仕草で「お客様本位」の状態。



逆に悪いとされていることは対語の自分本位で、人が人に対して行うことではないものばかりです。







勉強を進めていく中でコミュニケーションとはなにかという話が出ました。







おもてなしの中ではそのことを「意志や感情・思考を伝達しあう力」とあります。



話せばいいということではなくて「わかる力・感じる力」を通して思いやる動きをし、信じてもらえる状態につなげていく関係。







私はよくコミニュケーションのことを「たくさん話すからいいということじゃない」と言っていました。



私の同僚にうちの営業マンから絶大な人気をうけている人がいます。



彼女は物静かで普通よりおとなしい方です。



そんな彼女がなぜみんなの信頼を得ているか。







彼女はみんなが望むことを先に察して動くのです。黙っていてもそっと動いて安心させるのです。



言われたことをやっているだけとは大違いです。



物事の道筋を読んでいて、結末を想像する力があるということです。



これほどのコミュニケーション能力があるだろうかと思います。







相手の感情を想像する力を持っているというのはそれだけこれまでの人生で大事なものを受け止めながら生きてきた人だからです。



そこを養おうと思えば、辛かったこと、腹が立ったこと、悲しかったこと、呆れたこと・・・嫌な気持ちになったことから学ぶものがあるなと思います。



そこから「されて嬉しかったこと」が導き出されるわけですね。







おもてなし重要ポイントが5つあるのですが、その中でも「相手の反応を見ながら話す」というところがあります。



これはコミュニケーションの力量が出るところだと思います。







ときどきそばで聞いていてハラハラするような話し方をする人を見ることがありますけど、相手の反応をみる余裕もなく伝えたいことを早く手放したいという自分本位がそうさせるんだと思います。



そう言う自分に気がつくチャンスがあればいいですが「遠慮する文化」の日本人ですから黙って諦められてしまうの可能性が高いですね。



ただその後は歩み寄ってもらえない関係が出来上がってしまうだけなのでやっぱり気がつかないといけませんね。







最後に人生を切り開くための気づきという話しがありました。







そこにはすべて世の中に対する感謝の気持ちから出てくるような感情で、生きているだけでありがたいと思う心です。







そんな人はきっとブランドになります。企業ブランドや商品ブランドがある中でも『自分ブランド』という存在なります。







ブランドの良さはいろいろありますがとくに私が感じるものは安心感ですね。







人は誰かに喜んでもらいたいと思ったとき、自然とブランド力に頼ります。







あの場所にいくと楽しいよとか、あの店に行くと見つかるよとか、あの会社の車はきっといいよとか。







そこに結果名前がついていて「三越」であったり「ディズニーランド」であったり「トヨタ」だったりするのです。







それが自分にできると嬉しいですね。







「あの人にお願いしたい」になると大成功ですね。
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10年ほど前のインタビューを通して今思うこと

2021-08-15 | 私のお仕事(本業)

10年ほど前に商工会の会報にコラムを書くことになって自宅の片づけをしていたら原稿が出てきました。

いまさらながら読んだら自分でも下手な文章だと思いながらいいこと書いてるとも思ったので紙原稿がゴミになる前にブログに残すことにします。

****************

私は小さいころから絵が得意で、中学に入ってすぐに絵描きの先生に教えて貰っていました。

私は弟子のように先生といろんな絵をかきに行って、思えばなんて恵まれた中学生だっただろうと思います。

高校もその道をまっしぐらで、たった10分の休み時間さえ美術部の部室へ行くの好きでした。

 

そのころ小学生の頃に入っていた合唱団の影響で音楽にも興味があって、私のひいじいちゃんが島民謡の歌い手だったせいなのか遺伝だなと感じていました。そんな自己満足で作曲や作詞をしていました。

小さいころから何となく独学で鍵盤も叩けたので母がそんな私のために誰かからエレクトーンをもらってきてくれました。

私の幼少期は右脳だけのような子供でした。

結局、いつも私は自己満足で芽が出るわけでもなく、出すつもりもなく、ただ絵と音楽が好きだったというだけでしたが絵は私の人生を支え、音楽は私の人生を楽しくしてくれました。

たまに誰かに認めてほしいと思う時もあるけどほとんどは私がそうしたいだけ。

ごく一部の知り合いの中には以前プロを目指していた人もいます。彼らは私に対して「素人さんは」とか「アマチュアで…」とかそういった言葉を言う時があります。

私にはそれがとても滑稽で、小さな器の言葉のように聞こえてしまいます。

特殊印刷の仕事を通して私の絵の部分は本業になりました。

両親が離婚しお小遣いなんて十分にもらったことがない子供だった私は絵の具を買うお金なんてほとんどありませんでした。だから草や花びらの汁で絵を描いたこともよくあります。
ようやく買えた絵の具は原色6色のみで、裕福な家庭の子供は24色や36色の絵の具を持っていました。

しかし私には特殊な目がありました。じっと見るだけで物が何色の集まりなのかわかるのです。

小さいころから色を作り出すことに挑戦していた私は色の配分も見ただけでわかるのです。

たった6色でしたが私には十分でした。その私の目と、自然の中で見つけた色の作り方のスキルが私の仕事を成長させています。

音楽にしてもたまにステージで歌っているくらいでギャラなんて現金のこともあれば商品券のこともあるしたまにはお弁当とジュースのことだってあります。

それでもそこに聞きに来てくれる人がいるだけで私は嬉しいのです。

本物のアーティストほど私に「アマチュア」といいません。

 

絵も、音楽も、それぞれ個人の精神世界をわかるように表現しただけだから。人の心にプロフェッショナルもアマチュアもないのです。
だからアートを楽しんでいる人や努力をしている人に対して「アマチュアだ」とか「素人だ」とか言った途端にもう精神の劣化が始まっているような気がします。

他人を見下したとき、それは右脳で生きるアーディストではなく、とても物欲的でつまらないプライドの人間になるような気がします。

そんな人間になってしまって、どうやって人の心に響く発信ができるでしょうか。

私は絵を描くことが仕事に繋がっていますが、だからといって絵描きを仕事にしていない人に対して「アマチュア」とはいいません。

私が過去に受けたこの経験を忘れずにいたい。相手の技量も知らずに見下すような人としての劣化を起こさないでいたいと思って仕事をしています。

「音楽は耳に聞こえるから体に留まっているのではない、心に響くから体に留まるんだ」と友人から教えてもらったことがあります。

絵も同じでそれを上手に描けるから人を感動させられるのではなくて、心に訴えてくるからいつまでも忘れない景色として覚えているのだろうと思います。

****************

これは息子がまだ10歳くらいの頃に書いたコラムの記事で、自分の仕事を通してこれからの自分の在り方を考えるというめんどくさい質問を受けたときの話なんです。

よくまあこんな簡単に答えられないような質問をしてくるなと当時は思ってたんですが今聞かれても同じように思うでしょうね

現在の私の仕事は建築です。色と何にも関係ないようで実は絵そのものが関係あります。

住んでいるところの絵が見えていなければならない。私にとっては絵にするという2次元の表現が建築という3次元になっただけなんです。

私はこの仕事を始めてまだ浅いのですが、スタッフからもお客さんからも10年くらいたった人のようだといわれます。

もともと私はインテリアをリメイクしたり家のリノベーションが好きでした。元の仕事は特殊印刷なので物を作ることは得意なんです。表現するものが3Dになっているだけで小さいころから好きなジャンルのことをしているだけ。

現に彫刻などの造形物を作っても学校ではいつも表彰されていましたから、10年のベテランに見えると言われるのも個人的には静かに納得してます。

大工さんたちと仕事をするときちょっと感じるのはお客さんを喜ばせることができる大工さんはいつもアーティストのように話すんです。

ときどきただ上手に作れるだけという人はたくさんいます。特殊印刷の世界にもたくさんいました。

ただ上手に作れる人とは機械の操作が上手だったり、道具が好きな人ですね。作り上げる作品に対しての思い入れよりも、道具が好きな人っているんです。特殊印刷なら印刷機が好きな人。そういう人に限って最新技術に興味が向いて昔ながらの職人技とかあまり興味を示さないないんですよね。

アーティスト肌の職人さんは古い印刷物から出てくるその時代の空気を楽しんだりします。

大工さんも同じ。伝統的な文化を自分の仕事と結び付けて考えることができます。

そういう人が作り出す建築物はただの物理的な存在を超えて品格を持っています。そこに住む人が誰かに見せたくなるようなチャームポイントを作り出せる大工さん。

大工さんたちが作り出す家や家具を見て、私は彼らからアーティスト魂を感じることがあります。

 

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もって生まれた性格は。

2020-10-19 | 私のお仕事(本業)

住宅コーディネーターになりあっという間に時間が過ぎた。

私にできるだろうかと迷っている暇はなかった。

自分でも予想以上のスピードでスキルを習得している。もともとモノづくりをしていたせいでこういう仕事は嫌いではないけど建築業だけは避けてきた。

友達の勧めがなかったら選んでいなかった。

 

入社してみたらびっくり。社長はパワハラが息して歩いているようなタイプで、一緒に働く同僚はこれまた桁外れに自己中心的な女性だった。

正直何度逃げたくなったかわからない。

ただ以前の職場よりもある意味悪いのにここの方がずっとましだと思えた。

なぜならみんな正直だからだ。

どんなにわがままでも、どんなに高圧的でも、嘘つきや裏切りであふれていた以前の職場に比べるとはるかに信用できる職場だった。

心の中が黒い上司に従うことに疲れていた私はもう二度とあの会社には戻りたくなかった。

周りからは私のスキルについてもったいないと何度も言われたけど、それでも心が疲れてしまえばもうなにもしたくなくなる。

以前の職場で何があったのか職安で何度か聞かれたけどどうやって説明すればいいのかわからないし、とにかくもうかかわりたくなかった。

私はちょうど私生活でDVを受けていた時期だったことも重なって前職場の状況を耐えられる精神力をなくしていた。

やめると決めたとき正直「あーもうなにも気にしなくていいんだ」と思うことの方が大きかった。

当時私は上司からセクハラを受けた。今となって思えばとんでもないことだった。それでも1年以上は我慢していた。

そのことをだれにも訴えずに私は黙っていた。

ただ何となく、あーもう長くこの会社にはいないだろうと踏ん切りがついた。

私がDVやセクハラ受けたことはこの世の女性が受ける現実なのだ、これが被害者の感情なのだ。私はそんな風に思って以前よりももっと女性の権利について学ぶようになり、そしてその会社がどんなに偏ったところだったか次第に気が付いていった。

弱い人に対して平気で虐げる。障がい者へのパワハラ、正直に意見を言った人へのパワハラ、これまで頑張ってきた人への無関心、強いものだけで固めあって守りあって立場の弱い人をずっと弱いままで利用する。その状況に気が付いたら何も怖くなくなった。

もう十分私はこの会社に尽くした・・・・そう思った。

 

最後に私の背中を押したのは私のパートナーのハニスケさんだった。

彼は私がどんなに当時苦しんでいたのかたぶんすべてを理解していない。むしろ私がそのクリエイティブな仕事を辞めることを惜しいと彼は思っていたかもしれない。

だけどハニスケさんを通して世界にはもっといろんなことがあり、もっと世の中は広く、クリエイティブな思考は自由な心から生まれるのだと気が付いたのだ。

私は現在の会社で昭和なパワハラを受ける。ただもう私は黙ってない。それが許される時代ではないことを知っているからだ。

私ははっきり社長へ言う。「今時そんな言い分とおりませんよ。ただのパワハラですよ。あなたは責任の所在ですが、私たちとあなたは人間として違いがない。人としてあなたから見下される理由がないんです。もう一度社長としての心を勉強してください」

「法律に触れるような自分勝手な注文を言わないでください」「みんなにも家族がいるんです。あなたが昔24時間働けたのはあなたを助けてくれた奥さんがいたからです。」「あなたが社員を守るから私たちもあなたを守ろうと思うのです」「あなたの心はお客様へ響きます。」「あなたがどんなにわがままでも私はあなたが社長として大事なものを持っていると気が付いています。」「あなたが嫌いなことは私たちも嫌いなのです」・・・・・

 

私ほど彼に対して文句を言う社員はいないだろう。彼はとても悩んでいたようで私は偶然彼がアドバイザーへ送ったメールを見た。

「社員が僕の未熟なところをほかの社長と比べます・・・」

私は大笑いした。

 

そうか。彼ℏ少しはなやんでいたんだな。何を言ってもわかっているのかどうなのか私には見えなかったからそのメールを見たとき私は大笑いしたしホッとしたし少しは優しくしてやろうと思った。

 

私には一緒に働く同僚がいて彼女は私たちを困らせる。社長のわがままと彼女のわがままのせいで私はダブルの荷物を持っている。

彼女の頑固な部分は社長よりも固く、彼女は社長よりも疲れるので私は彼女と戦わないようにしている。

彼女はただ真面目なんだ。それを彼女が周りにも求めるから周りが疲れる。

彼女はただいつもまっすぐ前を見ようとしている。それがいつもやりすぎる。

 

社長も彼女も本当にわがままで、自分自身には甘く、どうやってこういう大人になるんだと思うことが多い。

 

ただ彼らはいつも正直だ。彼らはいつも裏表がなく、人を裏切らない。

私がこれまでの人生で一番疲れた人種、腹の中が黒い人間。彼らはそういうタイプの人たちではない。

パワハラがあろうが、文句ばかり言うスタッフがいても彼らがただ正直であるだけでこんなに私は救われる。

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計画は進むよ準備も着々と。

2019-08-05 | 私のお仕事(本業)
私はこの度ちょっとした作戦を実行することになりました。
この年齢ではたぶん遅いくらい。

でも今を逃すともうチャンスは厳しくなります。

今日、びっくりするツイッターを見つけてしまった。


全く英語が話せないままでいきなり渡米しモデルを始めた80キロの女性。


私より大分若いけど、昔はそんなことなら私にもやる元気があったよなあ。



私は20年前、いきなり渡米して周りは困惑。
もう二度と日本へ帰って来るものかとまで思っていたのに結局帰って来てしまいました。

ただ、どうしてだかめぐり巡って縁がくるもの。


私には自分でもびっくりするようなチャンスが立て続けにやってきました。

そっちの方へ進まなければならないかのように。

仕組まれたようにして。


みんなで頑張ります。私と、私を支えてくれるみんなのために。
そして一緒に取り組んでくれる仲間と夢を掴むまで頑張ろう!!!
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教授たちと

2018-04-12 | 私のお仕事(本業)

私の仕事は特殊なことがものも仕組みも人間関係もすべていつものことで、私という立場いつもそういった仲間達をつなぐこと。
お客様を別なお客様につなぐこと。

職人を、会社を、地域を。

そんなことばかりの毎日でそれが楽しい。


この日私は大学の教授や専門員といろんな話しをした。

どうにか真心のある力の使い方で、組織として立派な決断力と実行力とで進みたい。そのために自分たちがどうあるべきかこれまで何がまずかったのか。そんな話しを静まりかえることもなく永遠と話していたくなる程話した。

先生はうれしそうにたくさんの夢や、自分にこれまで起こってきた出来事を話してくれた。

私は頭を下げた。

「先生に、これまで私は相談しませんでした。もっと早く話していればよかった。すみませんでした。」


先生は
「君たちにボクが冷たく見えたのはボクの責任でもあります。申し訳ない。」


私達は随分遠回りした。


だけど私の仲間達からのメッセージを伝えた。そして先生のメッセージもみんなに伝えた。やっとわかり合えた。

これから大きくなるこの組織のため。そして地域がしっかりと底上げされるように企業として、住んでいるものとして損得勘定だけに振り回されずしっかり地に足を付けて行かなければならないと心底感じた。


コアメンバーの組織を作らなければ。これは県をまたがってでも。

前向きに取り組んでいきましょうと市長はいっていた。教授は研究者だから言葉に遠慮がない。
市長がそういってくれたことがありがたくて、教授に「先生の毒舌を治してくださいね」というと大笑いしていた。

いつどんな風に自分の仕事に結びつくのかわからない。でもここまで私を信頼してくれていることを大事にしたい。
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