blue sky diary

子育てと仕事、時々趣味の何気ない日々の日記です。

まだまだ終わりません

2023-07-30 16:51:46 | 日記

父が亡くなってから、凍結された銀行や郵便局やJAなどの口座を、名義変更、または夫の口座に移し替えるために、それぞれに書類を書かなければなりませんし、経験のあるかたならばわかると思いますが、書類を揃えなければならないし、電気、ガス、水道の、それぞれの名義変更やら引き落とし口座の手続きやら、引き落とせなかった分の振り込みやら、一つ一つ地道に進めていますが、まだまだ終わりません。

最初、まとまった休みを取った時に、夫と一緒にいくつかの銀行と、郵便局、JA、市役所、保険屋さんをまわって、書かなければならない書類を集めてまわりましたが、母親の印鑑登録をしたり、もう何度かまわらなければならず、平日の休みしか窓口に出向けないので、なかなか進みません。

タイムリミットまでにお盆をはさんでしまうので、窓口はお休みになってしまうだろうし、仕事も忙しいなかで、締め切りに間に合うかどうか、時間との競争になっているのです。

 

そんな忙しい中、耳の遠くなった母親が、うちもソーラーパネルを設置しろとうるさく騒いで仕方ありません。

夫も私もソーラーパネルには反対で、業者に設置してもらう予定はまったくありません。

それでも、ご近所では設置しているものですから、乗り遅れたくないのか、母は、近所の世話好きおばさんのところへ朝早く出かけて行って、良い業者を知っていたら紹介してほしいと言ってしまったらしいんです。

聞いてすぐ、世話好きおばさんは私のところに来て、〇〇〇さん(母親)は、うちでみんなソーラーパネルを設置しようって言ってるから、どっか良い業者いたら教えてくれって言いに来たけど、そうなの?って言うんです。

私は予想していたので、それはないですってきっぱり言いました。

旦那も私もやるつもりはないですって。

「やっぱりなあ、〇〇〇さん、嘘つくからなあ(笑)どうなのかなあって、まず、キミーちゃんに確認してからはなし進めようと思って、急いで来てみたんだ」

「ありがとうございます。それ、正解です(笑)」

それを話しているところで、母親も玄関に入って来ました。

だから、この人が一人で騒いでいて、困ってるんですって言いました。

おばさんは、「もしやるんだったら、へんな業者に頼まないほうがいいぞ。お金だけ取られちゃったりっていうのがあったっぺ?」

「ありましたねえ」

「ほら、〇〇〇(隣町)の崖に設置したところ、がけ崩れになっちゃって、でも中国の業者だったもんだから直してももらえないでほったらかしになっちゃってるだろ?」

「え!?知らなかったです。そんな近くで?」

「そおだよ!気を付けたほうがいい!・・・あのなあ、うちの甥っ子が、ソーラーパネルを設置する会社で働いてるんだ。そこは間違いないぞ。

もしやるんだったら話つけてやるから、言ってな!」

「ありがとうございます。旦那が話してきたときはお願いしますが・・・でも、やらないと思います(笑)」

「だけどよ、キミーちゃんよ、〇〇〇さん(母親)が言ってた(高台の)畑だって、〇〇ちゃん(夫)が草刈りやるったって大変だろうよ?少しは考えたっていいと思うど?」

「でも、ソーラーパネルって、今、寿命が30年って言われてるじゃないですか?パネルの寿命が尽きたときに、ちゃんと回収してもらえる確約が無いと不安なんです。不法投棄が増えてるようですし、パネルの材料って、中国の、環境汚染につながる物質が使われてるっていうし・・・」

「そういうこともあるかも知んねけどよ、キミーちゃん、30年後なんてどうなってるかなんて、誰も分かんねえど?」

「まあ、私も死んでるかもわかりませんけどね(笑)」

でも、それじゃダメなんです、って、出かかりました。

世話好きおばちゃんに説教みたいなことは出来ません(笑)

おばちゃんは苦笑いして、考えといてな、って言っていそいそと帰って行きました。

その日の夜に夫に話したら、「草刈りなんて、やればいいだけだっぺよ」って、当然のように言っていました。

そして、ソーラーパネルは絶対に設置しないって断言していました。

先がどうなるか分からないことをやって、子どもたちに負担をかけることはしたくないって。

設置してもらった業者が倒産したら、その後はどうするんだって。

「変な業者に騙されっから、ばあさんに暴走させるなよ」って言われました。

この忙しい時に、太陽光発電どころではないのです。

母親は、そこのところを解っておらず、いくら説明しても理解できないのです。

40万も出せば、パネルが設置できると思っていますし、そのくらい自分の貯金から出してやるって大口をたたいています。

そして、電気代が今の半分以下、もしかしたらタダになると思っているようです。

そんなわけがないでしょう、と言っても、「気が小さいんだからー!」と人を小ばかにした態度をとります。

もう、イラぁーーーとします。

細かいことは話しても聞こえませんし。

紙に書いて渡すのも面倒。

そんなわけで、毎日、大声で話すので喧嘩しているみたいです。

母親とのバトル(?)も、まだまだ終わりません(笑)

 

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
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お知らせ

2023-07-11 00:32:22 | 日記

去る7月8日、父親が永眠いたしました。

毎日咳が酷く、近くの開業医の先生には、喘息の薬を処方されていたのですが、一向に治らず一年ほどが経過していました。

6月の、車の事件があった後、胸が痛いと言い出したのですが、精神的なものだろうと思っており、安静にしていれば治ると思っていました。

それがいけなかったんですね。

本人もまだまだ田んぼの仕事もしており、普通に生活が出来ていました。

でも、かなり疲れるようで、また、夜も咳が出て横になれずに、座椅子で座ったままうとうとして、朝を迎える生活でしたので、かかりつけの医院ではなく、総合病院へ行くように言っていたのです。

でも本人は、かかりつけのお医者さんの言うことを信じて、6月16日にも喘息の薬などを渡されて帰ってきていました。

その後、咳をすると血痰が出るようになり、胸が苦しいと言い出したので、7月3日になって、私が車でかかりつけの先生の所へ連れて行きました。

その時は、自分で歩いて車に乗り込んだのですが、医院に着いた時には車いすで運ばれ、すぐに検査。

そして、肺炎をおこしていると言われました。

しかも、なんで1週間前に連れてこなかったんだと怒られる始末。

救急車で総合病院に運ばれて、即、入院となりました。

そこでも、担当の先生から、あと1週間早ければ・・・ということを言われました。

いつ容体が急変してもおかしくない状態なので、覚悟しておいてほしい、と。

それでも私は、お医者さんて、最悪の事態を想定して話すので、1か月も入院すれば退院できるって、勝手に思っていました。

実際、前日の、7月7日までは普通に会話もできており、夫も田んぼのことなど指示してもらっていたんです。

その時の担当医の説明では、肺炎がかなりひどくて水が溜まっているので、その水をおしっこと一緒に出すお薬を飲んでもらっていること、まず、肺炎を治すように酸素吸入の装置を付けて少しでも呼吸を楽にしてもらっていることなどを説明されました。

実際、かなりの高濃度の酸素を吸入して、やっと息ができるようになったようなのです。

肺炎で酸素があまり取り込まれなかったせいで、心臓がかなり弱っていて、普通の人の3分の1くらいしか血液を巡らせられていなかったそうなのです。

そのせいで、もう、腎臓にも負担がかかり、弱ってきていることも言われました。

父親も苦しそうな息遣いではあったのですが、淡々と話もしていました。

それが、次の日の早朝に、病院から電話があり、状態があまりよくないと。

私は夫の運転で、子ども達もつれて急いで駆けつけました。

すでに父は、目をつぶり、苦し気に呼吸するのが精一杯の状態になっていました。

もう駄目かもしれないとは感じましたが、とにかく声を掛けて、励ましました。

状態が安定したのでいったん帰宅したのですが、もう一度、13時に電話があり、血圧が低下していると。

また4人で駆けつけたのですが、すでに父の息は持ちませんでした。

7月15日が誕生日でした。

父のたった一人の妹である、私の叔母も、娘3人と会いに来てくれて、まだ息があるうちに面会してきました。

私の妹は他県に住んでいるので、間に合いませんでした。

入院して、たった5日間で息を引き取ったのです。

私は父とはいろいろ確執があり、複雑な気持ちですが、それでもあれを聞いておけばよかったとか、あれもしてあげればよかったと言う気持ちはあります。

夫は泣いていましたし、次女もぼろぼろ涙をこぼしていました。

でも、それからが大変です。

葬儀屋さんに連絡し、父の身体を運んでもらい、自宅の奥座敷に寝かせてもらいました。

病院からは死亡届の用紙を持たされました。

全て葬儀屋さんがやってはくれたのですが、近しい人たちへの連絡もあり、この日はお昼ごはんくらいしか食べていなかったと記憶しています。

18時に近所の人たちが10名ほど訪ねて来て、お悔やみを言われました。

明けて9日の日曜日は、親戚が駆けつけてくれました。

父の叔父が2人と、母方の親戚の人たち。

お昼に長野から妹一家が駆けつけて、人数分のお弁当を買ってきてくれたのはありがたかったです。

合間に、葬儀屋さんが何度も出入りしてくれて、葬儀の打ち合わせ。

夫の兄弟が来て、遺産相続の話などを教えていってくれました。

夕方には叔母と3人の娘が、別れを惜しんでいきました。

今日も、近くの親戚が何軒か訪れました。

土日は次女が休みでしたから、お茶出しを手伝ってもらえましたが、今日はずっと一人でお茶出し。

午後から、学校の制服の無い長女のために、喪服一式を買いに行ってきました。

お葬式まであとわずか。

父親が奥座敷で寝ている姿を見られるのもあとわずかしかありません。

肺炎にならなければ、まだまだ長生きできたと思います。

あと1か月早く、総合病院へ連れて行っていればと、後悔する気持ちもあります。

でも、ぎりぎりまで家で過ごせたこと、入院が長引かず、寝たきりで過ごす時間も短かったこと、いい死に方だったのかもしれません。

7月8日は、安倍さんの1周忌でもあったのですね。

ゆっくり安倍さんを偲ぶことも出来ませんでした。

夫は10日間くらい休みを取っていますが、私は来週には出勤しなければなりません。

やらなければならないことがいっぱいで、悲しんでいる暇もありません。

これからかかってくるお金のことも含めて、夫と相談しながら乗り越えていきたいと思います。

 

落ち着いたら、また更新したいと思います。

 

コメント (4)
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