賢太郎の物書き修行

IT系と政治関連の事件を中心にコラム風に書いています。趣味は舞台、だけど最近は殆ど観てないな~。

温暖化ではなく、環境汚染の問題だろう

2010-07-29 19:06:24 | モブログ
今日の日経新聞に「温暖化対策 先進国で失速」というタイトルの記事が踊った。アメリカは中間選挙を控え、ヨーロッパは景気回復を優先し、「ポスト京都議定書」に向けた国際合意成立の見通しがなくなったという。

温暖化と「温暖化ガス」の因果関係は議論があり、温暖化ガス排出を削減する意味には疑問が残る。その意味で今回棚上げされたのは良かったと個人的には思う。それより問題なのは米中の「豊富な天然資源」を背景にした環境汚染の放置である。

アメリカと中国にロシアを加えた三国は広大な領土とそこに埋蔵される豊富な天然資源を富の源泉としている。中露は最近になるまで資源が眠る中央アジアを支配することが出来ず、逆に存亡を脅かされてきた。いまや三国とも資源埋蔵地の支配を確立した。更に、その資源の採掘にあたって発生する環境汚染を広大領土が拡散してくれる為に放置している。

アメリカはさすがにその被害を放置しては国民の支持を失うので改善されているが、中露はまだ改善されてない。むしろ悪くなっている。

かつて日本も資源開発や産業成長の過程で環境、特に人間の住環境が犠牲にされた。それが今では工場で使われた水が使用前より綺麗になって排出されるほどになっている。この産業が社会に及ぼす悪影響を排除する技術は日本は世界でもトップだと思う。

この環境保全技術を米中露に売っていくことが日本の競争力向上につながるのではないだろうか。素晴らしい技術を税金を使って浪費するのではなく、世界に売っていくチャンスではないかと思う。

明智光秀謀反の理由についての考察

2010-07-27 20:30:03 | モブログ
NHKでは「竜馬伝」が大人気だそうだ。その竜馬には「明智光秀の末裔」という噂がある。土佐を治めていた長曽我部氏は明智光秀とは姻戚関係にあったから、あり得ない話ではない。

その明智光秀が本能寺でなぜ信長を討ったのかは長年の謎である。曰く、「明智光秀の母親が見殺しにされた恨み」「何かと虐げられていた恨み」などの怨恨説は根強い。ただ、学術的には裏付けがないのだそうだ。

光秀は謎の多い人物だが、どうやら信長よりも年長であったらしい。本能寺の変当時は還暦に近かったかもしれない。すると、本能寺の変の原因は別に求められるかもしれない。

光秀の嗣子は当時満14歳だった。老いを感じた光秀が明智家の行く末を慮った時にどう考えたろうか。光秀は織田家中、重臣筆頭だった。信長が自身を弑逆出来る程の軍勢を与えたのがそれを証明している。外様家臣でそこまで出世するのは光秀の優秀さと共に信長の「能力に応じて引き立てる」という合理性も示す。

光秀が高齢で力を発揮出来なくなった時に、若年の嗣子を取り立ててくれる信長ではない。長年の忠臣であっても能力がなければ追放する信長が自分が引退したら明智家をどのように処遇するか光秀は憂えたのではないだろうか。その不安と恐怖が光秀を謀反に駆り立てたのではないだろうか。

光秀は信長を討った後、「ぼ~っ」としている。秀吉が大返しをしなくても、周囲には光秀を討たんとする勢力が沢山あるのに何もしていない。足利将軍家を何度となく襲った近畿の緒大名のごとく、光秀に「背徳感」はなかっただろう。下剋上の時代、主君を打ち倒し主家を乗っとるのは普通だった。信長を同じだ。

しかし、信長亡き後光秀に誰も着いて来なかったのは、下剋上が許されない秩序形成が出来上がっていたということではなかろうか。事実、秀吉にせよ家康にせよ主家乗っとりには長い時間と既成事実と大義名分を積み重ねている。

つまり、光秀は信長を恐れ明智一族を守る為に謀反を起こしたが、下剋上の古い感覚で当然支持されると思っていたのが、誰も支持されず孤立してしまったということだろうと思うが、どうだろうか?

みなしごハッチ

2010-07-20 19:33:45 | モブログ
「みつばちハッチ」という映画が上映されている。30代以上の人には「みなしごハッチの大冒険」として知られる。

もともと、母親を拐われ“みなしご”になったハッチが様々な出会いを通して成長し、母親と再会する物語。今も昔もハッチの様に親と生別あるいは死別して頑張って生きていた人は沢山いて、そういう“みなしご”と差別される境遇の人に向けた応援ドラマでもあった。同時に“みなしご”を囲む社会に対する“啓蒙”でもあった。

ところが、みなしごハッチの物語はみなしごが差別用語としてメディアで使用自粛になってから全く放映されなくなった。同様の例に「タイガーマスクのエンディング」がある。

言語が社会の中でコミュニケーションに利用される以上、「差別をする行為」があればそれは言語に表れる。社会から差別行為が無くなれば差別用語は淘汰され無くなっていく。しかし、この使用自粛は因果関係を逆転させ、差別用語が公の場で使用されなくなれば差別がなくなると言っているかの様だ。

さて、かの悪名高き「文革」や「焚書」の様に文化を犠牲にする差別用語使用自粛でどれくらい差別がなくなったのか?実証して欲しいものだ。

入るを図って出ずるを制す

2010-07-13 20:58:04 | モブログ
参院選は民主党の”大敗”に終わった。敗戦の要因は色々と分析されるだろうが、メディアを見ていて「消費税についての菅首相の発言」についての評価が分かれている。曰く、「菅首相の消費税に関する発言が”ブレ”た」「菅首相は財務省の「売上税」以来の悲願に加担している/洗脳されている」「菅首相の発言は唐突であり、国民への説明のしかたも下手だった」などなど。意外に、「今の財政状況を考えると将来的な増税は避けられないということは”有権者に理解”されている」という論調が多いように思う。

だが、いずれの意見でも、「財政健全化の為に増税已む無し」とか「経済活性化を図るために法人税を引き下げて、以って税収をむしろ増やす」などというものはあるが、「財政健全化の為に社会保障を削減する」というものはない。「入るを図って出ずるを制す」というが出費が抑えられない限り増税は焼け石に水である。そして、国の歳出の中に占める社会保障費は今や50%に迫ろうかという勢いである。更に、子ども手当や高校無料化などの支出が追い討ちをかける。

池田信夫氏がビジネスウィークで言っているのが正しいとすれば、日本では若者は老人に食い物にされている。少なくとも老人は自分達の稼ぎで自分達の面倒を見ているのではない。戦後日本の復興に邁進してきた老人にその程度の役得が合っても良いという意見もあるが、それを言い出したら日本の悲惨な侵略から守った先人達に対する恩義など、世代間でお返ししなければいけないことは累積されていく。結局世代間の「恩義」「報恩」というのは相殺されるもので、基本的には自分達の稼ぎで自分達の面倒をみなければいけない。

ということは、社会保障費の中でも高齢者向けの社会保障費が「過大」になっているということになる。ならば、過大になっている社会保障費を削減するということが先決ではなかろうか。つまり、高齢者が貯蓄を取り崩しながら余生を過ごすという老後モデルの推進である。

もちろん、過剰な官僚組織をスリム化する=解雇を含めた人員削減を行うというのは大前提であるが、そんなことで歳出の半分を超えんとする社会保障費はどうにもならない。だから、現状の給付水準を含めて切り下げる施策=高齢者の貯蓄を切り崩して消費に回す政策が必要ではないかと思う。

複雑にしない税制

2010-07-09 22:31:24 | モブログ
消費税論議が一気に加熱した。菅首相は財政健全化を考えているんだ、というポーズを見せる程度だったのだろうが、今更引っ込みがつかなくなったみたいだ。なので所得によって税を還付するとか言い出す。

他の制度もそうだが、複雑になればなるほど事務の手間もかかるし、制度の隙間を狙った不正が起きる。日本ではサラリーマン以外の所得を把握する術がないため自営業者の脱税が跡を絶たない。同じ様に消費税の還付を所得によって行うと所得が把握されていない自営業者が不正な還付を受けようとするかもしれない。

納税額を増やすには納税者番号などの運用が考えられるが、住基ネットと同じくリベラル系の政治家の反対で立ち消えとなるだろう。彼らは個人の所得が常に政府に把握されることを嫌うが、一番それを嫌うのは税金を払いたくない自営業者だろう。そして、損をするのはサラリーマンということだ。

日本郵便によるゆうパック遅延混乱について

2010-07-09 22:14:53 | モブログ
この問題の発端は去年の鳩山事件に遡る。鳩山の弟の方が総務大臣となって、自治体行政はほったらかしにして日本郵政民営化を反動させるべくかき回していた。その混乱の中で10月のJPエクスプレスへのゆうパックとペリカン便移行を粛々と進めていた日本郵政。

鳩山更迭でやっと前進するかに見えた郵政民営化。それが衆院選にかかった為に暫時停止。鳩山政権誕生によって民営化の先行きが不透明になり、亀山大臣が就任することで郵政再国有化が志向されることになった。ここで、JPエクスプレスにゆうパックとペリカン便が譲渡されるのではなく、郵便会社にペリカン便が合流するという事態に。

結局、封書配達のインフラと小包配達のインフラの違いを理解出来ない人がかき回したのが運の尽き。せっかく追いつきかけたヤマトと佐川の背中は遠く霞んでしまった。年賀状の大量廃棄など配達品質に課題がある郵便会社。復活出来るのか?

円高になる理由が分からない

2010-07-02 22:19:25 | モブログ
1ドル=86円

かつてバブルに踊った頃、円高を背景に日本企業や個人が海外の資産を買い漁った。

当時の日本は空前の好景気に沸いていた。その原資は子育てが一段落ついて可処分所得が増えた団塊世代の旺盛な消費だった。有り余るマネーが野放図に土地投資に向かい、どんな事業もソコソコの成功を収めた。バブルは日本の歪な人口ピラミッドが招いた徒花だった。

しかし、今回の円高は意味が分からない。バブル崩壊後、失われた10年などと言われながら円は高いままだった。お蔭で日本企業はただでさえ高い生産性を際限なく改善し続け、更に海外に生産拠点を移し、いわゆる“デフレ”を招いた。“景気回復”を旗印に歴代政府はバラマキを続け、小泉政権で一時的に減ったものの、現在では財政状態は最悪だ。

そんな先の見えない日本で円が買われ円高になる理由が良く分からない。欧米経済が金融危機を脱し日本は置き去りになった。ギリシャの財政破綻は欧米経済を痛めたが、日本の財政も破綻寸前なのは変わらない。ギリシャを見ていると破綻の原因となった放漫政治が過大な“ポピュリズム”に基づくものだと分かる。

小泉政権後、日本は折角の財政健全化への道を自ら塞ぎ、ギリシャの様に「政府が雇用を創出する」とまで言い出した。際限ない財政支出はいつか破綻を招き、預貯金を通じて国債に投資されている国民の資産を奪うだろう。その時に目敏い投資家は円を売り浴びせ鞘をとって儲けるに違いない。それは金に汚いとか言うことではなく、状況を利用する知恵だ。

そう考えるとこの理解不能な円高も様々な思惑が絡みあった結果なのだろう。そして、円高は決して日本経済を利さないだろう。