賢太郎の物書き修行

IT系と政治関連の事件を中心にコラム風に書いています。趣味は舞台、だけど最近は殆ど観てないな~。

議員定数について考えてみる

2009-01-30 12:51:53 | モブログ
麻生総理大臣が施政方針演説を行った。自民党と民主党の全面対決が取り沙汰され、今年行われる総選挙に早速興味が移っているようで、あまり国会に関心がないように感じる。

さて。議員定数の話し。日本全体が景気後退になり、緊縮財政が叫ばれ、公務員削減の動きがある。ただ、隗より始めよとばかりに定数削減の話も出るが、不思議と長続きしない。

今、衆議院の定数は480人。参議院のそれは242人となっている。多いか少ないかは一概に言えまいが、廃藩置県直前の藩の数が300余り。直轄地を含めると400~500相当の藩があったとすると、衆議院の議員定数は江戸時代の地方代表モデルを脱していないように思う。

ならば、

いっそのこと、人口比率で分配し直してみてはどうだろう?50万人に一人とすれば、240くらいで議員数も減る。選挙管理実務上の問題があるから、自治体の境を調整しても300人は超えない。
参議院は各県2ずつとして3年毎に半数を改選。都道府県の規模に関わらす、国政への発言力を担保する。参議院は現在議論が行われている道州制単位の代表者も含めても良いかもしれない。11の道州が有力なので、二人ずつの代表で22人。あわせて116人。

国会議員が合計で722人から416人と57%に削減される。歳費の削減をするか、立法のための資金として逆に増やすかは難しいが、国会にかかる費用は全体的に削減できるのは間違いあるまい。

「年越し派遣村」は「貧困保護村」だった

2009-01-30 12:26:51 | モブログ
『ザ・厚労省 「派遣」騒動の教訓』 1月30日 日経新聞 朝刊 一面
より

『湯浅誠(派遣村村長、30)は「実際に昨秋から派遣契約を切られた人は二割。その他は日雇い派遣で収入が減った人や野宿の人など」と言う。』

年末年始にニュースで大々的に取り上げられた日比谷公園の「年越し派遣村」は実際に不況による「雇い止め」で生活できなくなった人は二割程度なのだそうだ。つまり、今般の景気悪化があろうとなかろうと貧困に喘ぎ生活苦に元々陥っていた人が殆どなのだ。実際に日比谷公園で年を越した人は500名程度だったのだから、東京近辺に元々生活保護を必要とした人が400名あまりもいたということになる。

記事では、
「自立や就業の支援ではなく生活保護でよかったのか」
という厚労省幹部の嘆息交じりの言葉が紹介されている。

派遣村村長をつとめた湯浅氏は従前より「貧困問題」についての活動を行っていて、"派遣切り"という社会問題を利用して厚労省に「貧困層の存在」と「生活保護の充実」を認めさせるために派遣村を立ち上げたのだろう。社会活動家にはエキセントリックにシュプレヒコールをあげるだけという人がいるが、状況を利用して実利を得るための作戦を実行するあたり、湯浅氏の手腕は優れている。

Wikipediaで湯浅氏の主張が紹介されていた。

「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」

貧困家庭や貧困層の子弟が貧困から脱するために最も必要なことは教育であろう。湯浅氏の主張ではGDP比での教育関係への公的支出は日本はOECD加盟国で下から二番目なのだそうだ。義務教育課程でも修学旅行など学校主催の行事への支出は意外なほどある。その上、義務教育修了ではどれほど優秀な成績を修めていても社会では殆ど通用しない。奨学金などの制度はあっても、学費以外に教育に必要な支出は多く、その全てをカバーできるわけではない。また、奨学金は貧困からの脱出に対して「強い意志」を持っている人しか受給できない構造になっていると思う。しかし、教育を受けることと貧困からの脱出の間に明快な関係性を見出せない人にも貧困からの脱出のために教育は必要である。
貧困状態に諦めている人(「自分自身からの排除」の状態にある人)を更正させていくのは国家の大事であろう。なんと言っても、国民が元気で豊かで希望に満ち溢れていなければ経済などは復興しないのだから。公的福祉を受けるにも、啓蒙活動や需給までの支援は不足している。ケースワーカーやソーシャルワーカーは少なく、行政も生活保護の需給などには決して積極的ではない。それは行政の責任も一部あるが、生活保護の原資となる地方財政の税収は貧困世帯が多ければ多いほど少ない。だから、生活保護をするにも地方自治体だけでは限界があるということもあるだろう。

湯浅氏はこれらの原因として「過剰な自己責任」について言及している。これは『過剰な』というのがポイントだと思う。自己責任は果たすべきで、貧困の状況に陥らないための努力が一人ひとりに必要であるというのは当たり前のこと。しかし、人は「折れる」ことがある。心が折れたときに回復させるのは「自己責任」だけでは難しい。もし、自己責任で出来るのであれば世の中にカウンセラーという職種は必要ない。そこまで自己責任にかぶせるのは確かに「過剰」だと思う。

年越し派遣村で明らかとなった行政の不作為を野党やマスメディアは追求していって欲しいものだ。

組織・人材論に関する一考察

2009-01-26 14:54:53 | モブログ
世間は不況風に吹かれ、大手企業でも営業赤字転落という結果に終わるところが続出している。かたや、Googleは成長は鈍化したとは言え黒字を計上し、日本国内でも元気な会社は元気。

派遣労働者の所謂「雇い止め」や工場の操業停止など厳しい経済環境が続く。早晩、正社員を対象にしたリストラは激しさを増すだろう。早速解雇に関連したトラブルも出てきている。

こんな環境下で、企業組織と人材について色々と考えるところがあったので書き記してみる。

企業ってなんだろう?というところから始めてみる。

企業というのは「所与もしくは獲得した資源を組み合わせて付加価値を創造し、他社に販売することで利潤を得るもの」ということになる。資源というのは所謂「人、モノ、金」ということになるが、最近ではノウハウやマニュアルなどの「コト」と特許やアイデアなどの「知識」も資源に含まれてくる。「モノ、金」については金額換算されるが、「人、コト、知識」は金額換算され難い。そのことを捨象すると、企業というのは悉く「資産を運用して利潤を得る」ものという様に考えることが出来る。

そこで、資源に含まれる「人、ノウハウ、知識」なのだが、この不況期に問題になってきているのは主に経営資源の中のこの部分なのだ。

経営環境や事業環境というのは日々変わっていく。「プロダクトライフサイクル」というものがあるが、事業や業界というものもそれと同じ曲線を描く。つまり、市場形成期から成長期に入り、成熟期を経て衰退期に入っていく。その環境変化のなかで、それぞれのステージで必要とされる経営資源というのは違ってくる。

経営資源の中で最も柔軟性があるのは、金。値段がついているものであれば何にでも交換可能である。資金があれば、その時々に必要な金以外の資源を交換によって調達することが出来る。
逆に、柔軟性に乏しいのはモノ。設備にしても何にしても、その用途は限られて他の資源に変換することが難しい。
知識やノウハウは比較的柔軟性は高い。知識にしてもノウハウにしても、他に応用することが可能な場合が多いからだ。しかし、人の柔軟性というのは限定的である。人には意志があるし、趣向の問題などがあって事業の変化に合わせてやることを変えていくということに対して抵抗感を持つ人も多い。

単純作業に従事する人は柔軟性は高い。作業自体は決まっていることの繰り返しとその繰り返しの中での改善に終始するので、経験を積めば誰でも出来るようになる場合が殆どである。厄介なのは知的作業に従事する人である。

知的作業は習得に時間がかかるケースが多い。その為、育成にコストがかかる上に、一端習得したものを捨てて他の知的作業に移行するというのは労使双方のサンクコストが大きく難しい。企業でバックオフィスのホワイトカラーが肥大化する一つの原因はこれである。

ある程度高度な専門職であれば、弁護士や税理士などの様にそれだけでビジネスになる。しかし、ある業界やある企業の知的作業の特殊な部分について習得した人の場合、他の企業で利用できるのは部分的であると考えられているために、ある業界や会社で付加価値がなくなった知識労働者が他の業界や会社に移ることは抵抗があって進まない。その為、知識労働者は時間の多くを反復作業に費やすことになって生産性を落とす結果になる。
しかし、実際のところ知識労働者の持つ知識やノウハウの多くは他の業界や企業にいっても必要とされることが多く、反復作業で生産性を落とすくらいならば他の企業で仕事をした方が良いだろうと思うのだ。

例えば、人事に関わる人は人事制度を作ったり、組織方針を作ったりする時に、専門的な知識が必要になってくる。しかし、それが終わった後には彼らには日々発生する人事マターの反復業務になってくるわけだ。付加価値としては制度作りのときが一番生産性が高く、制度が順調に運用される様になればやることはなくなってしまう。大企業で3~5年で人事制度の見直しなど常に仕事がある場合を除けば、スペシャリストであればあるほど一つの企業で継続的に仕事はないと思った方が良いだろう。

ここで見えてくるのは、どの職場でも必要とされる労働力が変わってきているということだ。ブルーカラーであれ、ホワイトカラーであれ、高度であればあるほど一つの企業ではその能力が短期間しか要求されない。また、他に必要としている組織は沢山あるということになる。

しかし、スペシャリストになれない人も当然ながらいるので、そういう人は継続的に同じ場所で仕事をして生産性を向上させる方が良い。

つまり、組織にとって、能力が高い人であればあるほど短期間で成果を挙げて去り、能力が低い人ほど正確な仕事に打ち込むというのがベストではないだろうかと思う。

今、リストラが話題になっている中で、一番まずいことだなと思うのは、企業から能力が低いと思われている人ほどリストラの対象となっていることだ。苦境に立った組織では、実は一心不乱に今の仕事ぶりを良くしていく人の方が必要とされる。毎日同じようなことを、少しずつ改善していく地道な取り組みにひたむきに打ち込める人が必要になってくるのだ。逆に、今やっていることの枠を突破して新しい着地点を見出そうという人はそういう現場ではあまり必要でないことの方が多い。そう考えると、全てではないにしても、能力の高い人から他の職場に斡旋して、そこで新しいことを始めてもらうほうが良いのではないかと思う。

例えば、能力が高い人を自分達の顧客企業に斡旋して転職してもらう。その人が顧客企業の業績を挙げてくれれば自分達の仕事も増えていく。残された人材は今の生産性を極限まで高めることに邁進する。

つまり、労働者の高い層の人たちは何時までも組織にしがみついていない方が良いだろう。

もちろん、能力には「高」と「低」しかないわけではなく、その間に傾斜があるわけで、中間であればどちらの選択もありうるだろう。

いずれにしても、企業自身も人材を「囲い込む」目的を考え直す時期に来ているし、労働者自身もプロフェッショナル・スペシャリストになっていけるように自分を高めていくべきだろうと思う。

日本第四位の規模の企業

2009-01-21 14:42:28 | モブログ
日経オンラインで「構成員約4万人、彼らはなぜ存在するのか~『山口組概論』」の書評を読む
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090116/182991/

構成員4万人というのに驚き。

日本企業を従業員数でランキングすると、
http://www.ts-hikaku.com/clist/a0/v1s22t0p.html
トップはトヨタ自動車の69,478人、次いで東日本旅客鉄道(JR東日本)の52,604人、3位はパナソニックの42,728人となる。
第4位の日本通運が38,517人なので、山口組を企業と考えると日本で第4位の大会社ということになる。(それぞれの企業の従業員数はいずれも単体)

山口組の出自が派遣業と聞き、この書評子の「グッドウィルの折口では器が小さかったのだろう」という感想を読むと、100年に一度の1910-1920年代の戦乱と経済不況の中で立ち上がった山口組が、同じく100年に一度の経済危機の中で再生したり、同じような力を持つ組織が出てきたりするかもしれないということに気がつく。

結局、社会の安定と経済の安定とは表裏一体で、経済が危機に陥ってしまうと社会の不安定な部分が強くなってしまうかもしれないということだと思う。

平和な市民生活というのは、豊かな社会の実現なくしては成り立たない。

jobs不在の不安に疑問

2009-01-16 18:23:13 | モブログ
appleのCEO、jobsが治療のために休養する。

日経新聞の9面ではカリスマ不在でappleの先行きに暗雲が垂れ込めているという内容を書いている。

カリスマの創業経営者が退陣したり、健康不安になると、忽ち会社の命運に黄色信号を灯すのはマスコミの常だ。特に業績不振を救った創業者となれば尚更。

しかし、大抵の会社はカリスマ創業者が長く社長を務め、高齢や病気を理由に退陣する。後継者がいようがいまいが長らえたり長らえなかったりする。結局はその会社の力が試されるわけで、創業者の退陣が決定要素のすべてではない。

確かに巨星の輝きが陰ることは痛手だが、逆にjobsなき後を占う格好の機会と捉えればappleを応援したくなる。

「かんぽの宿」売却問題

2009-01-15 09:46:08 | モブログ
日本郵政がかんぽの宿をオリックスに一括売却するというのに鳩山総務大臣が反対している。オリックスの宮内会長が郵政民営化を推進した立役者というのが理由だ。

オリックスへの売却は競争入札で決まった。次点との入札額の差は大きかったという。合理性から言えば、入札額が高い者に売却することに何か問題があるのだろうか。

入札額の開きから不正の可能性は低い。日本郵政から売却金の一部がオリックスに裏金で渡るなら問題だが、これだけ世間の耳目を集める取引でそれはないだろう。

オリックスが他よりも高い入札額で買収するということは、彼らにはかんぽの宿を再生する責任が降りかかってくる。一括ということは利用者が多いところも少ないところも一様に引き受けるということになる。その再生は容易ではない。

オリックスは郵政民営化に関わった関係者がいる企業として、社会的責任をお金を支払って負ったとも言える。
日本郵政としてもグループの資産有効活用を目指す観点から言えば、本業との関わりが薄いかんぽの宿を売却するのは当然と思える。

政界では「経済人は自らの利益のみを追求するのか」という批判があるらしい。誤解を恐れずに言えば、経済人は自己の利益を社会の規範に則って追求する。それでなければ持続可能な企業運営は出来ない。ただ、経済人は利益の源泉が従業員と消費者であることを良く知っている。彼らの幸せの実現なしには利益は生み出せない。

取引の度に従業員や消費者の審判を受けるという点では、企業と企業人は政治家よりも頻繁に世間の評価を受ける。数年に一度選挙をする政治家とは比べものにならない。

政治家の宮内会長への批判には、「商は賤業、虚業」という政治家や官僚の儒学的な価値観が見え隠れする。損失が出ても社会のため、市民のためとは「美しい」考えだが、それでは持続しない。国家財政が破綻しても日本郵政が破綻しても迷惑を被るのは国民だ。鳩山総務大臣はその疑問に答えて欲しい。

浮ついた世論

2009-01-14 16:49:41 | モブログ
二次補正予算が衆院で可決された。野党は共産党以外は欠席か退席。自民党では離党する渡辺氏に加えて松浪氏が採決前に退席した。

世論調査では「首相にしたい政治家」に渡辺氏が麻生首相を押さえて三位に急浮上。一位の小沢氏と合わせて麻生政権への国民の批判が大きくなったとメディアは言う。

しかし、同じ世論は半数が世襲議員を否定している。が、首相に相応しいのは上位六人で一名を除いて世襲議員。(FNN調べ)

本当に、アテにならないのは世論なり。

変わり行く業界

2009-01-14 09:06:43 | モブログ
東芝が富士通のHDD事業を買収すると発表。

フラッシュメモリと原子力発電に経営資源を集中している東芝。市況の悪化でフラッシュメモリの業績は頭打ち。そこで、HDD事業を買収して2.5インチではシェアNO1を手に闘いを仕掛ける。

富士通はシステム開発やソリューション提供に舵を切る。国内市場では富士通の存在感は大きい。IBMとの競争にその存在感で一定の成果をあげないといけないだろう。ただ、富士通は国内市場だけでは立ち行かない。国内と海外のバランスをとるためにもソフトへの資源集中は良いと思う。

アメリカ発の金融恐慌は多くの企業を危機に陥れている。だが、この状況を利用して機会に変えていける企業が生き残っていくのだと思う。

初雪ってどこに?

2009-01-09 12:54:17 | モブログ
東京で初雪なのだそうだ。

ただし、北部の山沿いなので海っぺりで働く身としては全く関係ない。

夕方にかけて寒くなり、さあ夜更け過ぎに雪へと変わるだろうか?

流さないという選択肢もある

2009-01-09 08:28:41 | モブログ
「広告見る通行人、瞬時に識別」
「NTT、属性に合わせ映像」
1月9日 日経新聞 13面

デジタルサイネージの話し。

通行人をカメラで撮影して年齢や性別を識別。人に合わせた広告を表示するというもの。

街中で、電車の中で、タクシーの中でさえも広告を目にしないことはない。渋谷のハチ公前からは大きな電光掲示板が三つも見えて、次々と広告を映し出す。

人は刺激を受け続けると麻痺してしまうらしい。広告が溢れかえる状態になれると風景の一部になって意識されなくなる。無意識に働きかけて消費意欲を刺激するという方法もあるが、その効果は本当にあるのか。

逆に広告のない空間の方が人の目を惹くかもしれない。ならば、いっそのことほとんど何も表示しない掲示板があってもよいのではないか。

例えば、ず~っと壁の模様になっていて、一時間に一回だけ広告を流す。一定数の人が立ち止まった時だけ広告を流す。

どうだろう?