先月のこと
2年間入院していた病院を退院して施設に移りました
有料住宅型の医療型ホスピスとかナーシングホームと呼ばれる施設です
主治医の先生から退院の話があったのは2月でした
「奥さんが入院されたとき、ここで最後まで診ます、と私は言いました」
「2年経って退院の話をして申し訳ない」と涙を流す先生
「正直、こんなに生きるとは思いませんでした」と正直な素敵な先生です
「コロナが明けてから、ご主人が毎日面会に来られたことが一番大きいです」
「おかげで看護師たちも看るモチベーションが高かったと言ってます」
入院患者の中には、ほとんど面会者がない人もいるそうです
「次は、私が信頼している施設なので安心して奥さんを任せられます」
「今後も私が主治医として診ますから」
ありがとうございます よろしくお願いします
倒れて救急病院で緊急手術して4カ月入院
次の病院で丸2年お世話になりました。
なんの不安も不満もなく安心の2年でした
先生、看護師さん、介護士さん、スタッフのみなさんには感謝しかありません
退院の日
忙しいなか見送りしてくれたみなさんを見て、泣きそうになりました
初めての介護タクシー(救急車仕様)で、次の施設へ引っ越ししました
移るにあたり
社会福祉士、ケアマネージャー、他いろんな方が尽力してくれました
市役所の手続きに2カ月ほどかかりました
すべてお任せで手続きしていただきました
3月末にようやく承認されて4月に引っ越しとなった次第
次はどんなとこなのか不安でした
受け入れる施設もカミさんの容態を前もって聞いているので
移った日はスタッフから緊張感が伝わってきました
入所して2週間、今は不安もすっかり消えました
看護師さん、介護士さんが24時間います
みなさん優しくて心配りができる方ばかりです
おひとりの女性の介護士さんが
「あの~ まだお若くてきれいな方ですね ご主人はわかると思うのでお聞きしますが」
「男性スタッフがケアすることが嫌がるようなら、言ってください」と
そんなわがままはいけない、というか考えたこともありませんでした
「いえ、大丈夫だと思います お気遣いありがとうございます」
面会は24時間いつでもOKで時間制限もなし
病院では一日10分制限だったのでありがたい
病院では2週間に一度シャワー入浴していただいてましたが
こちらでは週2回の入浴
しかも先日は湯舟に入れてくれたそうで
倒れてから2年4カ月ぶりの湯舟です
気持ちよかったねえと声をかけました
病院では4人部屋で賑やかでしたが
施設では個室に入りました
看護師さんが
「さみしいと思うからテレビかラジオでも持ってきてください、流しますよ」と
早速、CDラジカセと昔のCDを20枚くらい持っていきました
山下達郎、ドリカム、ゴスペラーズ、ユーミン、小田和正、松田聖子、西野カナ、
スタッフが「奥様と同世代なんです、懐かしくて一緒に聴いてます」と
「そりゃよかった、好きなの聴いてください」
時間制限なしで面会できるのが何よりありがたいです
一緒に聴いてた音楽をかけながら、いろいろ声をかけます
目はぱっちり開いてあちこち見て、あくびしたり
しばらくすると目を閉じてスヤスヤ眠ったり
寝顔をこんなにじっくり見たことなかったなぁ
こんなに手を握ったことなかったなぁ
愛おしくてたまりません
僕も一緒に眠りこけたり、ずっとなかった穏やかで幸せな時間です
先日、耳かきしてあげて、爪を切ってあげました
倒れてから2年5カ月になりますが
時間を気にせず、ゆっくり面会できるのは初めてのこと
時間がある限り面会したいと思います
GWも毎日面会してます
3月はカミさんの母が急逝しました
ケンシロウ、金太郎と3人で千葉での葬儀に参列しました
義母にすれば娘が生んだたった2人の孫です
2人は人生初めての葬儀で戸惑いもあったようですが
血のつながりを実感したと思います
亡くなったことはカミさんには話していません
義父も話さなくていいって言ってます
看護師さん、介護士さんの献身的な働きをずっと見てきて感銘をうけ
僕も介護資格をとることにしました
これまでカミさんに何もできない、何もしてあげられなかったので
少しは身体的な介護ができるようになりたいと思ったから
「介護職員初任者研修」
4月からスクールに通い始めました
初回9時から17時までの座学でめっちゃ疲れました
一日中座って授業なんて何十年ぶりのこと
尻が痛くなったんでクッションを買いました
週に一度のペースで8月まで通います
スクールの他、通信自宅学習もあり、試験もあり、レポートもあり
想像してたより厳しくて、真剣に取り組まねばと気合を入れているところです
カミさんの容態ですが
主治医曰く、徐々に下降していると
人工呼吸器をつけて、経管栄養で、寝たきりで、意識がもどらないまま
2年5カ月も経ちましたから、体の機能は落ちていく一方、そのおとりと思います
施設に入るにあたり
もし今度心肺停止したら、蘇生措置は行わないことにしました
これまで3度も死の淵まで行って戻ってきましたから
もう十分がんばった、がんばってきた、がんばってると思うから
これまでこのブログでは病名はふせてきましたが
倒れた病気は「急性大動脈解離」でした
中でも上行大動脈が裂ける危険度が高いものでした
難しい緊急手術をしなければ、手術が成功しなければ、その日に亡くなる怖い病気です
前兆はなく突然襲う病気です
9時間の手術は成功して一命をとりとめましたが
発病・発見から手術までの時間がかかってしまったこと
また術後3週間くらい後に一度心肺停止してしまったこともあり
全身への血流が滞った時間が長くなり、重篤な後遺症が残ったのでした
術後に執刀医が言ったことを覚えています
「開腹したとき、心臓が動いているのが不思議なくらいの状態でした」
カミさんの生命力・生きる力はすごいです
今も実感します
そんなこんなです
久しぶりにここに記せてすっきりいたしました
今日の面会時に聴いた歌
奥様は幸せだなとおもうし、そんな夫婦で過ごせたゲンゴロウさんも素敵な方だなーと思うのです。
奥様のことをこんなにも考えてくれる主治医や看護師、そして新しい施設の方に恵まれるのもお二人の人徳でしょうね。
私はどこかに書いてたかもしれませんがケアマネです。
当時ヘルパー2級という資格がいまの初任者研修と同じ形です。
それが最初の資格だったので懐かしく思います。奥さんのためにお尻痛くなっても勉強してるゲンゴロウさんのこと応援してます。
>目を細めて飛びはねて喜ぶ姿が・・
きっと本人はそんな夢ばかり見てるんじゃないかと
そうであってほしいと思います。
登ったり、走ったり
元気なイメージで思ってくれてありがとうございます。
ケアマネさんでしたか!
尊敬します。
いろんな方を見てきてるんでしょうね。
たいへんなお仕事だと思います。
看護も介護も人手不足で運営ががたいへんってニュースに敏感になりました。
応援ありがとうございます!
真剣に取り組みます。
状況の変化を丁寧に整理して、周りの方への感謝を前進する力に変えていくゲンゴロウさんをこれからも静かに応援してまいります。
私も昔の事ですが、身内の闘病をきっかけにヘルパー2級を取りました。座学も実習も大変ながら、どんどん新しい知識や技術に上書きされていく介護のプロの方達の努力を目の当たりにし、
「頼って下さい」と受け止める仕事なのだなと思いました。
>身内の闘病をきっかけにヘルパー2級を取りました
同期の受講生6人いますが、半分は身内の事情からです。
まったく縁のなかった世界に入るのはそんな理由が多いんですね。
だからこそですが、若くして介護・看護の道に進む人たちに心から尊敬するようになりました。
>「頼って下さい」と受け止める仕事
AIにはできない、心ある人が人の世話をする尊い仕事ですね。
応援に感謝です!
みえます、なんて言って変な人と思われたかもw
現実はつらく厳しく大変なものだと思います。ただ遠い昔「こんなになって可哀相とだれからも思われる事がなによりつらい。過去も含め自分が全て台無しにされてしまうようで。今までと変わらず皆の日常に私もいれて欲しいのに、特別扱いされる度に惨めになる。」と知人に打ち明けられ、人の尊厳について考えさせられました。それ以降、人を想う時、その人の歴史に寄り添うよう心がけています。なので、私は奥さまの喜ぶお顔が見える気がするのです。ブログで奥さまを知り、先頭を切って果敢に山道を進んでいく姿がとても素敵でした。今、話せなくとも歩けなくとも心は昔と変わらず果敢に毎日と向き合っていることでしょう。奥さま、ゲンゴロウさん、これからも応援させて下さーい!
変な人なんて思いませんよ~
知人の方は辛い思いをされていたんですね。
>人を想う時、その人の歴史に寄り添うよう心がけています
深いやさしさですね。なるほどです。私も心掛けたいと思います。
>ブログで奥さまを知り、先頭を切って果敢に山道を進んでいく姿がとても素敵
とってもうれしいです。
山を歩いてると、妻の姿が浮かぶときがあります。
楽しそうに前を歩いて時々振り返って笑います。
変な話ですが・・
肉体は不自由なままですが3回も生死をさまよいました。
心(魂・真我)は自由自在なので、今の彼女はこの世もあの世も分かったうえで、好きなだけ走ったり登ったりどこにでも出かけていって楽しんでいるんじゃないか、と思うことがあります。
コメントくれる方々は一度も会ったことがないのが不思議です。
人を想う心、応援する心ってすごい価値があると思います。
あの世には物質は持っていけないけど、目には見えない心・想いは持っていけると思うので。
ブログを見てくれて応援していただいて
ただただ感謝してます。