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B型ゲンゴロウのブログ

見たまま、感じるまま、想うままに岐阜から発信するゲンゴロウの日記

愛しい妻のこと話します その4

2025年05月02日 | ファミリー

先月のこと

2年間入院していた病院を退院して施設に移りました

有料住宅型の医療型ホスピスとかナーシングホームと呼ばれる施設です

 

 

主治医の先生から退院の話があったのは2月でした

「奥さんが入院されたとき、ここで最後まで診ます、と私は言いました」

「2年経って退院の話をして申し訳ない」と涙を流す先生

「正直、こんなに生きるとは思いませんでした」と正直な素敵な先生です

「コロナが明けてから、ご主人が毎日面会に来られたことが一番大きいです」

「おかげで看護師たちも看るモチベーションが高かったと言ってます」

入院患者の中には、ほとんど面会者がない人もいるそうです

「次は、私が信頼している施設なので安心して奥さんを任せられます」

「今後も私が主治医として診ますから」

ありがとうございます よろしくお願いします

 

 

倒れて救急病院で緊急手術して4カ月入院

次の病院で丸2年お世話になりました。

なんの不安も不満もなく安心の2年でした

先生、看護師さん、介護士さん、スタッフのみなさんには感謝しかありません

退院の日

忙しいなか見送りしてくれたみなさんを見て、泣きそうになりました

初めての介護タクシー(救急車仕様)で、次の施設へ引っ越ししました

 

 

移るにあたり

社会福祉士、ケアマネージャー、他いろんな方が尽力してくれました

市役所の手続きに2カ月ほどかかりました

すべてお任せで手続きしていただきました

3月末にようやく承認されて4月に引っ越しとなった次第

 

 

次はどんなとこなのか不安でした

受け入れる施設もカミさんの容態を前もって聞いているので

移った日はスタッフから緊張感が伝わってきました

入所して2週間、今は不安もすっかり消えました

看護師さん、介護士さんが24時間います

みなさん優しくて心配りができる方ばかりです

おひとりの女性の介護士さんが

「あの~ まだお若くてきれいな方ですね ご主人はわかると思うのでお聞きしますが」

「男性スタッフがケアすることが嫌がるようなら、言ってください」と

そんなわがままはいけない、というか考えたこともありませんでした

「いえ、大丈夫だと思います お気遣いありがとうございます」

 

 

面会は24時間いつでもOKで時間制限もなし

病院では一日10分制限だったのでありがたい

病院では2週間に一度シャワー入浴していただいてましたが

こちらでは週2回の入浴

しかも先日は湯舟に入れてくれたそうで

倒れてから2年4カ月ぶりの湯舟です

気持ちよかったねえと声をかけました

 

 

病院では4人部屋で賑やかでしたが

施設では個室に入りました

看護師さんが

「さみしいと思うからテレビかラジオでも持ってきてください、流しますよ」と

早速、CDラジカセと昔のCDを20枚くらい持っていきました

山下達郎、ドリカム、ゴスペラーズ、ユーミン、小田和正、松田聖子、西野カナ、

スタッフが「奥様と同世代なんです、懐かしくて一緒に聴いてます」と

「そりゃよかった、好きなの聴いてください」

 

 

時間制限なしで面会できるのが何よりありがたいです

一緒に聴いてた音楽をかけながら、いろいろ声をかけます

目はぱっちり開いてあちこち見て、あくびしたり

しばらくすると目を閉じてスヤスヤ眠ったり

寝顔をこんなにじっくり見たことなかったなぁ

こんなに手を握ったことなかったなぁ 

愛おしくてたまりません

僕も一緒に眠りこけたり、ずっとなかった穏やかで幸せな時間です

先日、耳かきしてあげて、爪を切ってあげました

 

倒れてから2年5カ月になりますが

時間を気にせず、ゆっくり面会できるのは初めてのこと

時間がある限り面会したいと思います

GWも毎日面会してます

 

 

3月はカミさんの母が急逝しました

ケンシロウ、金太郎と3人で千葉での葬儀に参列しました

義母にすれば娘が生んだたった2人の孫です

2人は人生初めての葬儀で戸惑いもあったようですが

血のつながりを実感したと思います

亡くなったことはカミさんには話していません

義父も話さなくていいって言ってます

 

 

看護師さん、介護士さんの献身的な働きをずっと見てきて感銘をうけ

僕も介護資格をとることにしました

これまでカミさんに何もできない、何もしてあげられなかったので

少しは身体的な介護ができるようになりたいと思ったから

「介護職員初任者研修」

4月からスクールに通い始めました

初回9時から17時までの座学でめっちゃ疲れました

一日中座って授業なんて何十年ぶりのこと

尻が痛くなったんでクッションを買いました

 

 

週に一度のペースで8月まで通います

スクールの他、通信自宅学習もあり、試験もあり、レポートもあり

想像してたより厳しくて、真剣に取り組まねばと気合を入れているところです

 

 

カミさんの容態ですが

主治医曰く、徐々に下降していると

人工呼吸器をつけて、経管栄養で、寝たきりで、意識がもどらないまま

2年5カ月も経ちましたから、体の機能は落ちていく一方、そのおとりと思います

 

 

施設に入るにあたり

もし今度心肺停止したら、蘇生措置は行わないことにしました

これまで3度も死の淵まで行って戻ってきましたから

もう十分がんばった、がんばってきた、がんばってると思うから

 

 

これまでこのブログでは病名はふせてきましたが

倒れた病気は「急性大動脈解離」でした

中でも上行大動脈が裂ける危険度が高いものでした

難しい緊急手術をしなければ、手術が成功しなければ、その日に亡くなる怖い病気です

前兆はなく突然襲う病気です

9時間の手術は成功して一命をとりとめましたが

発病・発見から手術までの時間がかかってしまったこと

また術後3週間くらい後に一度心肺停止してしまったこともあり

全身への血流が滞った時間が長くなり、重篤な後遺症が残ったのでした

術後に執刀医が言ったことを覚えています

「開腹したとき、心臓が動いているのが不思議なくらいの状態でした」

カミさんの生命力・生きる力はすごいです

今も実感します

 

 

そんなこんなです

 

久しぶりにここに記せてすっきりいたしました

 

 

 

 

今日の面会時に聴いた歌 

 

 

 

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愛しい妻のこと話します その3

2024年12月03日 | ファミリー

カミさんが倒れた日から2年経ちました

ふだんは考えないあの日のことを思い返してみました

救急車からの突然の電話

大病院の慌ただしい風景

パニック状態でわけもわからず何枚も同意書類に署名したこと

夜通し9時間、生きるか死ぬかの手術

真夜中の静かな待合室

仕事終わりで飛んできて泣いてた金太郎の姿

晩ごはん食べてないけどまったく腹がすかず

でも食べなきゃと外のコンビニまで歩いたこと 

風が強くて寒かった

青緑色の見たことない大きな流れ星を見ました

えっ? まさか星になっちゃうじゃなよねって思ったこと

不安と恐怖に押しつぶされて果てしなく長い長い夜だった

朝方、成功したと、手術画像を見ながらの先生の説明

ICUで面会して握ったカミさんの手の温もりの感動、そして号泣したこと

あの日の情景と感情が蘇ってきて胸がぎゅ~っと痛くなります

 

 

おかげさまでまだ生きています

今の病院でカミさんは2回誕生日を迎えました

面会規制が緩和されて今は毎日面会にいってます

1日10分間

手を握っておでこをなでて声をかけます

スマホでいろんな歌を2曲ほど日替わりで耳元で聴かせてあげます

気配や音は感じているようです

 

 

容態はすこしづつ下降しています

具体的には書きませんが

今夏からいろんな症状が出始めました

主治医から

調べるなら転院して診察することはできます

でも何か新たな病気がわかったとしても

手術や治療に耐える体力はないと思いますよ

まったく同意しました

もう2度と手術はしないでほしい

この状態でまた開腹するとかあまりにつらい、かわいそう

「最後まで私がみますから」

主治医の言葉がどれほど心強くてありがたいことか

「よろしくお願いします」

 

 

変わらず大勢の看護師さんやスタッフさんが

24時間みてくれています

体位変換、痰の吸引、流動食、水分補給、着替え、口腔ケア、血圧、SOD、

シャンプー、入浴、体重測定、人工呼吸器のチェックとか

僕には見えないところでやることがいっぱいです

まわりも重篤な入院患者さんが多くて、みなさん忙しそうに動き回っています

でも声掛けが丁寧でやさしいんです

み~んな天使です

僕は何ひとつとしてやること、やれることがありません

差し入れや御礼は禁止なのですが

たまに取り寄せたお菓子詰め合わせとか無理にもらってもらいます

若いみなさんに献身的に看護していただいていることにただただ感謝する毎日です

 

 

たまに

提携してる美容師さんがカットにきてくれます

寝たきりで首もすわらないのに、髪切るの難しいだろうなと思います

2000円でカットしてもらえます

 

 

免疫力の弱い状態が続いているので

僕が何かうつすことがないようにずっと気をつけています

うつしたらそれが命取りになります

特にこれから冬は注意しないと

人混みはいかないし、大勢の忘年会も行きません

車の運転はさらにノロノロになりました

 

 

そんなこんなで

毎日カミさんに会えることが楽しみでありがたく幸せです

一日一日、感謝しながら過ごしてます

いつまでも続くといいのだけれど

 

 

 

 

 

むか~し

カミさんが「これいい歌だね」って言った歌

 

 

冬のうた Kiroro

 

 

 

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子育て感謝状

2024年07月19日 | ファミリー

 

 

今年1月に挙式をあげたケンシロウ

式で親に渡された子育て感謝状

あとで送るからと半年たって送ってきました(忘れてたよ)

病院にいるカミさんに見せなきゃと

早速もって面会にいってきました

見せながら読んであげてたら

ダメ、泣けてきました

伝わったと思う・・

 

 

 

一緒に箱に入ってた大好物

北海道旅行で余市蒸留所で買ったって

これはうれしい

 

 

ケンシロウの大学卒業祝で

カミさんと3人で余市を訪問したのは9年前

もう大昔の感じがします

 

 

 

 

 

 

9年前のヒット曲

 

西野カナ 『No.1』MV(Short Ver.)

 

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愛しい妻のこと話します その2

2024年06月03日 | ファミリー

カミさんが倒れた日から1年半経ちました

それからずっと時が止まったままの感じもあって

仕事とかの日常の月日の流れと記憶・感覚がずれてよくわからないときがあります

 

現在も入院中で生きています

最初に救急車で運ばれて手術した救急病院に約4か月いて

今の病院に転院して1年以上お世話になっています

ナースステーションに一番近い部屋の

窓際のベッドにずっといます

 

今日は面会日でした

今は週一度の15分です

面会が今の僕の生きがいです

耳元にスマホを置いてカミさんの好きなミスチルを流しました

今日の午前中に久しぶりにお風呂に入れてもらったらしく

さっぱりとした様子でした

カミさんの大好きな歌

 

 

Mr.Children 「HANABI」 

 

 

 

変わらず意識はないまま、体は動かせないままです

食事は口から食べることはできませんし

人工呼吸器もずっとつけたままです

 

それでも目はパッチリ開けているし

ときどき大あくびしたり

何か音や気配のする方に首を向けて見たり

左腕に力が入って動くことがあります

登山や走ったりで太陽を浴びまくって顔にシミが増えていたけれど

今はシミが消えて、ふくよかで顔色がよくて、若くなったように見えます

太陽を1年以上浴びないでいるとシミが消えるのか、不思議です

それと白髪が少なくなって髪が黒々しています、不思議です

顔だけ見てるとふつうに元気そうで

目が合って声をかけていると

今にも話しだしそうな希望的勘違いをしてしまいます

鍛えあげられていた足腰の筋肉はありません

体重は15kgくらい減っています

増えすぎないよう減りすぎないようコントロールしてくれているそうです

 

 

 

今年3月のことでした

主治医から電話があり呼ばれました

「容態が急に悪くなりました」

「今回はもたないと思うので会えるご家族を呼んでください」

熱が40℃から下がらず、心拍数が150を超えていました

何かの感染症をおこしているそうです

今にも命の火が消えそうなぐったりとして力がない様子でした

 

 

翌日、ケンシロウが横浜から飛んできて金太郎も一緒に面会

翌々日には、千葉からお義父さんが面会にきました

そのたびに主治医が立ち会って容態を説明してくれました

「大手術をして、コロナ禍を乗り越えて、よく1年以上も生きられました」

「よく頑張りましたよ」と

聞くたびに胸が張り裂けそうで涙が止まりませんでした

お義父さんからは励まされる始末でした

 

 

倒れて数カ月したとき

今後はなにがあってもうけとめる覚悟をしました

葬儀屋の会員にもなったし遺影も用意しました

なんならかわいい仏壇も探したし

いつそのときが来てもあわてないぞ、と

覚悟したつもりでした

でも覚悟なんてできていませんでした

 

 

なにも手に着かない、落ち着かない、オロオロ、ドキドキ

ま~た頭がパニックでまわりが白黒の世界になり

弱気な幼子にような自分がまたまたあらわれました

先生のいうとおり、よく頑張ったね、よく生きたね、とは思うけれど

この世からいなくなる、もう会えなくなる、と思うと

耐えられない寂しさ・喪失感が湧きだしてどうしようもありません

 

 

「〇〇ちゃん、頼むから生きて、死なないで!」

自分勝手な想いで泣いて祈るばかりでした

 

 

10日ほどして「乗り越えましたよ」と

「今回は抗生剤がギリギリ効きましたが、次はわかりません」

飛び上がって大声を出しそうになりました

視界がカラーで広がってなんとも爽快な晴れやかな気分

ひとりでスキップをふみました

懸命に看護してくださっている先生、看護師さん、スタッフに感謝感謝感謝です

みなさんが本当に献身的で優しくて真剣なのが伝わります

 

 

命の崖っぷちを乗り越えたのは3回目です

1回目は、倒れて生きるか死ぬかの9時間の手術

2回目は、入院中に突然心肺停止になったとき

そして今回の危機

死の淵から3度のカムバック!

すごい生命力です

みなさんのおかげです

 

 

ぐちゃぐちゃになる僕をみて

これじゃぁまだいけないなぁ、もうちょい生きるかと

踏ん張ってくれたのかもしれません

 

 

徐々に弱るのではなく

悪くなる時はいっきにあっという間である現実をみました

寝たきりで、口から噛む食事ができず、人工呼吸器であることから

ずっと免疫が弱い状態が続いていて感染症のリスクが常にあることは

当初から聞いていました

だから面会時に僕が何か悪いものをうつすことが一番の恐怖です

大勢が集まる研修とか、会場とかは行きません

飲み会の集まりにもほとんど参加していません

コロナもまだ続いていますしね

 

 

先々週の面会時にうれしいことがありました

面会は時間予約制です

面会しやすいように配慮がみられ、

ベッドのまわりをカーテンで囲んで人目を気にせずに面会できるようにしてくれます

面会してるとチラチラこちらを覗く方がいて、目があうと

「あの~ 先週ご主人が帰られた後、すごく機嫌よさそうにニコニコ笑ってたんですよ」

「絶対に耳は聞こえてますよ」と

僕と同年代の看護助手かサポートスタッフの方でした

「ありがとう、ありがとう」

それだけの会話だったのですが、こみあげてきました

体が動かないので、床ずれができないように、体の体勢や向きを頻繁に変えてくれています

大勢の看護師さん、スタッフさんに24時間お世話していただいています

中には夜勤のみで働いている方もいるようです

お一人がわざわざ伝えてくれたこと、その優しさがうれしかった

今の病院に入れてもらって本当にありがたく思っています

 

 

それから

あとで知ったことですが

最初に運ばれて手術をしてくれた先生は

その症例の手術が抜群にうまいと評判の先生で

もしかしたら岐阜県NO.1かもしれないと

予約なしの救急で、どこが受け入れてくれるか、

誰が担当になるか、これは運です

しかもめっちゃイケメンな先生! 

オッサンがドキドキするくらいでした

「〇〇ちゃん あんな男前の先生に助けてもらって良かったね~」って

よく声かけしてました

転院してもう会えないけど

今でもこれからもいろんな素敵な意味で忘れません

 

 

そんなこんなで入院継続中です

今の病院にいることの安心

週一回会えるどきどきと喜び

どうか一日でも長く生きられますように

 

覚悟なんてできません

そのときがきたら精一杯オロオロするでしょう

気合なんていれず感情むき出しでいいとします

 

 

以上

ひさしぶりに記しました

 

 

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妻に結婚式の報告

2024年01月19日 | ファミリー

 

今日はカミさんの面会日でした

 

ケンシロウの結婚式の写真を見せて話しました

穏やかな表情でほほ笑んだようにみえました

 

 

ゲンゴロウファミリー

 

 

 

カミさんがいないのはやっぱり寂しかった

喜んで笑う顔が見たかった

この日だけでいいから

元気になって一緒に来れたらなって思いました

 

右端はカミさんの父(90歳) 現役で仕事してるすごい人です

 

 

披露宴では隣にカミさんの席が用意されてました

 

 

両家家族だけの参加で総勢11人

新婦のご両親が漫才夫婦みたいにゆかいで

楽しく時間が過ぎました

 

 

そんなこんな話をカミさんに

面会時間10分じゃ話足りないくらい

 

 

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