戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年〔1868〕一月二十日 高松藩の降伏  板垣退助日誌

2005年01月20日 | 板垣退助日誌
その日の午前二時に板垣退助ら迅衝隊は多度津藩兵足軽三十名と農兵三十五名と合流する。
迅衝隊は隊を二分し、一方は丸亀藩兵とともに陸路から、もう一方を海路から多度津藩兵の案内で高松に進軍させる。
陸路より進んだ一隊、丸亀藩兵とともに午後二時頃高松城下の岩清尾神社に布陣する。
一方、海路より進んだ一隊は多度津藩の先導により調達した小舟四十艘にて高松に進み、午後四時頃には土佐藩・丸亀藩とともに城下真下寺に集結する。
夕方に、一大隊と大砲二門をもって城に迫り、常磐橋外に空砲二発打ち、小銃を空に向けて弾を残らず発砲する。。
高松城下にある松林寺に本陣を進めたときに、高松藩主松平頼聡が浄願寺に退去謹慎し、城頭には降参と書かれた降服の白旗が立てられ、城門はひらき、藩士たちはみな脱刀して迅衝隊を迎える。
迅衝隊は緋の菊の錦旗を高松城の表書院の上段の床の上に安置し、土佐藩家老・深尾丹波は上段に着座され、高松城内は土佐藩の封印を張られる。

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