軍事力を使わない外交とは
あれから早くも1年。私は今、青少年の国際相互理解の推進事業に携わっています。父の急逝で母子家庭となった私にアメリカ留学のチャンスをくれたのが、私が現在務めている公益財団法人YFU日本国際交流財団です。
日本国の政治は今も本質的な議論を避けながら、とうとう「解釈改憲」などという言葉を再び生み出してしまいました。これはかつて日本社会党の石橋正嗣書記長がよく口にしていた「違憲合法」という言葉と同次元にあると感じます。
憲法が明確に日本の再軍備を否定しているのに、その憲法の議論を国民の前に政治家たちが堂々と論じることもなく、憲法解釈で自衛隊を組織しました。それを野党第一党の書記長が「違憲合法」と呼び、中庸を重んじる日本はますます海外から分かりづらい存在になりました。
そもそも憲法違反かもしれない自衛隊法は違憲立法である可能性があるのに、民主的に選挙された国会において選挙された内閣の決定(閣議決定)が本来の違憲立法審査権を司法が発動することよりも優先するという司法も自らの責任放棄であるようにも思える。
つまり、日本の三権(立法、司法、行政)はそれぞれが責任放棄。国会は制定から還暦を越えた憲法をこの間変化した日本や世界の情勢に合わせて変える議論をせず、最高裁判所は野党第一党の党首が「違憲合法論」を国会で論じているのに、違憲立法審査権の発動を議論せず、行政(内閣)は自らの権力の源泉たる憲法の筋を勝手な解釈によって曲げようとする。
「解釈改憲」という言葉は、立法と司法と行政の妥協の産物であり、その論理のあいまいさや危うさが日本的な感覚に近いのかもしれませんが、海外からは分かりづらいだろうと思います。
「違憲合法」という言葉が、そもそも自衛隊(再軍備)を正当化するための日本的あいまいさと妥協の産物。自衛隊の力はこの国の軍事力に他ならないのに、軍隊ではないという。
まず自衛隊を憲法を変えることなく設置し、いよいよ集団的自衛権を憲法を変えることなく閣議決定する。日本の政治はいつまでこのような本質的な議論から逃げ続けようとしているのでしょうか。
そもそも「軍事力によらない世界平和」をもっと政治家が議論してもいいのではないかと思います。政治家としての立場に私はありませんが、今、このことの必要性に全身全霊を掛けて取り組む必要性を感じています。
そして日本を世界に主張する男として、しばしその土壌作りとも言える「青少年の国際相互理解の推進事業」にもっと皆さんの関心を向けて頂きたいと思うのです。
留学先のアメリカで、日本人留学生と韓国人留学生を同じ家庭でホストしてくれるホストファミリーが複数でています。アメリカの地で、日本人の高校生と韓国人の高校生が兄弟や姉妹になろうとしています。素敵なことだなと思います。
もっと日本でも、もっと多くのアジアの青少年を受け入れて、彼らが日本を第二のふるさとだと考えるようになれば、もっと多くの日本贔屓(びいき)をアジア全体に広げていくことが出来るかもしれません。
これは時間がかかることかもしれませんが、アジアに本物の平和を創っていくために是非とも必要なことなのではないでしょうか。
長くなりましたが、どうか共に世界に平和を創っていけるように心を合わせて頂けないでしょうか。よろしくお願いいたします。
瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
前参議院議員候補
Former Candidate to
the House of Councilors
あれから早くも1年。私は今、青少年の国際相互理解の推進事業に携わっています。父の急逝で母子家庭となった私にアメリカ留学のチャンスをくれたのが、私が現在務めている公益財団法人YFU日本国際交流財団です。
日本国の政治は今も本質的な議論を避けながら、とうとう「解釈改憲」などという言葉を再び生み出してしまいました。これはかつて日本社会党の石橋正嗣書記長がよく口にしていた「違憲合法」という言葉と同次元にあると感じます。
憲法が明確に日本の再軍備を否定しているのに、その憲法の議論を国民の前に政治家たちが堂々と論じることもなく、憲法解釈で自衛隊を組織しました。それを野党第一党の書記長が「違憲合法」と呼び、中庸を重んじる日本はますます海外から分かりづらい存在になりました。
そもそも憲法違反かもしれない自衛隊法は違憲立法である可能性があるのに、民主的に選挙された国会において選挙された内閣の決定(閣議決定)が本来の違憲立法審査権を司法が発動することよりも優先するという司法も自らの責任放棄であるようにも思える。
つまり、日本の三権(立法、司法、行政)はそれぞれが責任放棄。国会は制定から還暦を越えた憲法をこの間変化した日本や世界の情勢に合わせて変える議論をせず、最高裁判所は野党第一党の党首が「違憲合法論」を国会で論じているのに、違憲立法審査権の発動を議論せず、行政(内閣)は自らの権力の源泉たる憲法の筋を勝手な解釈によって曲げようとする。
「解釈改憲」という言葉は、立法と司法と行政の妥協の産物であり、その論理のあいまいさや危うさが日本的な感覚に近いのかもしれませんが、海外からは分かりづらいだろうと思います。
「違憲合法」という言葉が、そもそも自衛隊(再軍備)を正当化するための日本的あいまいさと妥協の産物。自衛隊の力はこの国の軍事力に他ならないのに、軍隊ではないという。
まず自衛隊を憲法を変えることなく設置し、いよいよ集団的自衛権を憲法を変えることなく閣議決定する。日本の政治はいつまでこのような本質的な議論から逃げ続けようとしているのでしょうか。
そもそも「軍事力によらない世界平和」をもっと政治家が議論してもいいのではないかと思います。政治家としての立場に私はありませんが、今、このことの必要性に全身全霊を掛けて取り組む必要性を感じています。
そして日本を世界に主張する男として、しばしその土壌作りとも言える「青少年の国際相互理解の推進事業」にもっと皆さんの関心を向けて頂きたいと思うのです。
留学先のアメリカで、日本人留学生と韓国人留学生を同じ家庭でホストしてくれるホストファミリーが複数でています。アメリカの地で、日本人の高校生と韓国人の高校生が兄弟や姉妹になろうとしています。素敵なことだなと思います。
もっと日本でも、もっと多くのアジアの青少年を受け入れて、彼らが日本を第二のふるさとだと考えるようになれば、もっと多くの日本贔屓(びいき)をアジア全体に広げていくことが出来るかもしれません。
これは時間がかかることかもしれませんが、アジアに本物の平和を創っていくために是非とも必要なことなのではないでしょうか。
長くなりましたが、どうか共に世界に平和を創っていけるように心を合わせて頂けないでしょうか。よろしくお願いいたします。
瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
前参議院議員候補
Former Candidate to
the House of Councilors
田中市長は立派なお方です。しかし、前回出馬された際、自分はワンポイントリリーフをおっしゃいました。そこは引っ掛かります。瀬戸さんの大嫌いな今井宏さんとの関係もです。前回は選対に今井宏さんの実の弟さんが入りました。これでも、「だれもが幸せなまち」を目指せると思いますか?
走り続けたら、少しだけ立ち止まってひと呼吸おく。そしてまた、走り始める。私は本物の自由が尊いと思っています。私はいつも幸せです。自分自身が自分自身の感情から解放されたら本物の自由が手に入るのだと思います。他の人のせいで心が荒んだら、幸せじゃないですよね!でも、だれも他の人を変えられないから、自分がなんでも受け止めるしかありません。どう受け止めるかは自分自身の問題ですよね?
恨み、つらみ、妬み、やっかみに満ちたまちは不幸なまちです。心の荒みを無くしたいと思います。それが「だれもが幸せなまち」への第一歩だと私は本気で信じています。
コメントありがとうございました(^_^)b
過日の新聞各紙に、田中市長、市選管から注意。選挙前に推薦状を配布する事前運動の疑いと記事がでました。
以前ですと、議会から反省を求める決議がだされるのですが、どの会派からも出されておりません。やはり、草加市議会は異常だと思います。また、自民党から共産党まで田中市長を推薦するのですか?
共産党の与党化で草加市の財政はどうなりました?
瀬戸さんもだんまりみたいですね。おかしいことがおかしいと言えない議会もおかしいと思います。
田中和明氏が市長に就任してまもなく4年。この10月には市長選、市議選があります。前市長の独裁的、独善的な市政運営に市議会そして市民がノーを突きつけて現在の田中市政が誕生しました。それまでの瀬戸さんの功績を、私は忘れたことがありません。長い苦しい戦いだったでしょうが、瀬戸さんの果敢な挑戦が今日の田中市政誕生の要因の一つであることは間違いないと確信しております。田中市長本人の人間性もあって、様々な立場の人の言葉に耳を傾ける態度で議会との関係も良好で、市政が安定しているのは大いに結構なことと考えております。
瀬戸さんご本人は今後どのような政治活動を展開されるおつもりですか。そのあたりのことも、このブログで発信していただきたいところです。
そして最後に一つ。前市長が市長選に出馬するそうですが、裁判で有罪判決が確定した元助役を副市長にしようと画策して市議会から二度も不信任を突きつけられ、挙げ句の果てに出直し市長選で落選した人物がどのツラ下げて、という感想しかありません。在任中「民間の感覚で」だの「経営感覚」だの言っていましたが、あの人物の「民間」での経験や実績とはどんなものなのか、支持者でも結構なのでその明確な証拠を見せていただきたいものだ。さらには暴力団関係者との交際が取りざたされ、警察の捜査が市役所に入るという前代未聞の不祥事を忘れてはいけない。瀬戸さんも市議だった時と同じように鋭い批判をこのブログで展開してほしい。
岡野さんの逝去は草加の経営者層の世代交代をある意味で象徴するものでしたが、岡野さんに続く若い地元経営者たちが瀬戸さんのような良識派と共闘して、「自称改革派」の腹黒い政治屋や暴力団関係者に市政が乗っ取られることがないよう、尽力されることを願ってやみません。
前回はいきすぎた発言をしまして、申し訳ありませんでした。しかしながら、匿名希望さんの発言の中に市の人事に関して書かれていますが、この情報源はどこに書かれていたのでしょうか?
公務員人事も気に食わないで、議員の方に相談することはあるかもしれませんが、真偽のほどは定かではないと思います。
それに、民間企業から草加市役所に中途採用で採用された職員も与えられたポジションで市民のために活躍されていることも忘れてはいけないと思います。
前の市長が自分の後援会の役員を秘書課に配属したことばかり、ここではクローズアップされましたし、絶対にやってはならないことだと思いますが、それとこれとは切り離して考えるべきだと私は思います。
しかしながら、市・県・国がタッグを組んで取り組まなければならない事案もたくさんあります。例えば、県南7市治水大会もそうですが、水害対策や道路などのインフラ整備、病棟数の整備計画などです。そうなれば、自民党系会派である草加新政、自由市民クラブ議員団と自民党の県議会議員、黄川田衆議院議員が連携して草加市の課題に取り組まなければいけないと思います。また、公明党さんも同様の考えだと思います。
話は変わりますが、インターネットで拝見するとわかりますが、9月9日の草加市議会9月定例会の一般質問に於いて吉沢市議が田中市長に質問を行った際、
①推薦状を事前に自治会長や町会長に配布したこと。
②上田県知事の検証大会に後援会ではなく、市の部長級職員を研修目的で派遣したこと。
③24日開催の田中かずあき後援会決起大会の会場を後援会幹部でなく、市の秘書課の職員が抑えたことなどを認めました。
本来、公務員は選挙運動に関わることは法律で禁じられています。そして、田中市長、秋元選挙管理委員長の答弁も完全に逃げていたように見えました。
そのことも判断材料にしなくてはならないと思います。
それと、市役所の建て替え問題の件もそうですが、総合庁舎という考えはないのでしょうか?
もしも市民の皆様の大多数の声や声なき声を草加市議会が反映していないとすれば、それは4年間に1度の選挙によって、市民の皆様の審判が下されることになる。それが議会制民主主義という制度です。
草加市民が自分たちの代表者として相応しいと思える候補者を見つけることが出来ないとすれば、政治にもっと関心を持つべきなのかもしれません。
私が地方政治に政党政治が馴染まないと考えているというご指摘はその通りです。それは国政が国際社会における日本の国体や取るべき立場を決めるためにイデオロギーや政策論争が不可欠であるのに対して、地方政治は国政において決められた国体や国策がいかなるものであるにせよ、生活者である住民の必要と要請に応えなければならないからです。
つまり地方政治は国政に比べてはるかに国民目線の実務型の政治センスが問われる分野だと言えると私は考えています。
住民自治や国民生活に関わる実務的な課題解決にイデオロギー論争や党利党略は持ち込むべきでなく、むしろイデオロギーの違いや政党の論理を超えて、国会議員は、特に代議士と呼ばれる衆議院議員はその選挙区の首長がいかなる思想信条の持ち主であったとしても、自らの所属政党に所属していようといまいと、住民の実務的な必要や欲求が最大限に叶えられるような働きをしなければなりません。
地方政治はむしろ、財務官僚を頂点とする霞ヶ関から発信されるこの国の統治機構と対極にあるべき存在である。地方の自治権の拡大こそが国民目線で「だれもが幸せなまち」を実現するために不可欠な内政課題だというのが私の信念であり、私は負けはしましたが、そのために参議院議員選挙に立候補しました。
今回の市長選挙にも市議選にも私は立候補いたしませんが、自分が神様から与えられた政治的な使命は今も心に熱く燃えていますので、時が許せば捲土重来を期していくつもりです。
そういう意味で草加市議会が政党の枠組みを超えて住民自治に立ち向かう姿は、私自身が思い描いてきたビジョンですから、しっかりとこれからも見守っていきます。
最近、市議会がピリッとしないと多くの皆様から伺いますが、首長と議会のある程度の緊張感はあって然るべしだと私も思います。
誹謗中傷や単なる批判批評ではなく、市民国民の幸せに繋がるかという視点から、これからも大いに議論していきましょう。