ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

八ッ場(やんば)に行ってきました。

2009-10-08 10:28:07 | 市議会議員として
※八ッ場ダムが完成すると深い谷間がダム湖に変わります。そのダム湖を横断する道路の橋脚は、ご覧のとおりの高さです。

「やっちまったな。」現地に行き、地元のある方の話を聞いて、私はそう思いました。何を?

■まず飛び込んできた小渕優子さんのポスター

関越高速道路の渋川伊香保インターを降りて、まず目に飛び込んできたのは、小渕優子さんのポスター。故・小渕恵三元内閣総理大臣は私も面識があり、小渕氏がアメリカ合衆国上院交流で来日した交換留学生を迎える際に、2度ばかり私が通訳を務めさせていただいたことがあります。その小渕氏がプログラムの合間に、「私は福田先生と中曽根先生のハザマで当選させて頂いている。」とお話になったのが印象的でした。

■ここは「上州戦争」とよばれた旧・群馬3区。

小渕氏は、中選挙区時代の群馬3区で自民党公認がとれず、無所属で勝ち抜いていました。それは4人区だった当時の群馬3区からは、自民党の公認候補は福田赳夫氏と中曽根康弘氏のお二人。その二人が常にトップ当選を争ういわゆる「福中戦争」の中で、小渕氏に自民党公認はでなかったわけです。

さらに4人区の3番目の指定席は当時、日本社会党の書記長だった山口鶴男氏でしたから、ここ群馬3区は単独の選挙区としては日本一豪華な顔ぶれの選挙区であり、しばしば「上州戦争」とも呼ばれた激戦区です。

■民主党新政権誕生。~実は候補者空白区だった八ッ場(群馬5区)

ようやく政権交代を実現した民主党は、「官僚支配からの脱却」を標榜し、「政治主導」の政権運営を目指すとしていますが、かつて「上州戦争」がこの地で行われていた時代は、政治家が大きな力を持っていた時代だったことを私は鮮烈に覚えています。今回の選挙でも、民主党は独自候補をここで立ててさえいません。

■日本列島改造論と土建王国ニッポン

日本の国土を首都東京を中心に日帰りで往復できるようにしようという田中角栄氏のビジョン「日本列島改造論」に象徴される「土建王国ニッポン」はまさに八ッ場ダムが計画された時代にその絶頂期を迎えていたのだと思います。大型ダムプロジェクトもその時代に構想が創られたことを忘れてはならないと思うのです。

■ダム建設は日本の巨大国家プロジェクトのひとつ。

しかし、だからといって国土の7割が山間部で、四方を海で囲まれた日本にとって、治水と利水は大きな国策課題であることは事実です。ダム建設はその大きな解決策の一つですが、これが自然環境に対する人間の大いなる挑戦ともいえる事業である以上、環境破壊と大型土木プロジェクト=利権構造の生まれやすい土壌をもたらす側面を無視することはできません。


※この広くて深い谷が水没し、新しいダム湖になろうとしています。

■八ッ場ダムは上州戦争の遺物であったのか?

瀬戸健一郎の直感:「八ッ場ダムは上州戦争の遺物であった。」

すべてのダム事業がそうだとは言い切れませんが、「八ッ場ダムは政治家の威光を象徴する事業として生まれ、その必要性におけるプライオリティの低さから、官僚たちは当初から推進に消極的で、事実上の抵抗勢力となってきたのかもしれない。」

私は以上のような印象を現地で感じました。

■沈む川原湯温泉郷。~八ッ場ダム反対運動のシンボル

ダム建設の底地買収や反対運動への対応の結果、ダム本体工事の建設ポイントを上流方面に移動させたことは、ダムの底地面積の縮小=ダム水位の上昇を意味していますから、結果的に源頼朝に由来する名湯「川原湯温泉郷」を水没させる結果となりました。それが新たな反対運動のシンボル的存在になることくらい、霞が関の官僚たちにも分かっていたはずです。

地元選出の大物政治家たちはやる気でも、霞が関の官僚たちはやる気がなかったのかもしれないとさえ、感じます。

そして、これらの過去の経緯とも利権政治とも無縁であった民主党が政権をとって、このダムの存在意義そのものを疑問視する様々な調査結果や見解がベールを脱ぎ、政権交代直後に国土交通大臣が「中止宣言」する。民主党政権と官僚組織の意思がここで一致したのではないでしょうか。


※ここJR吾妻線川原湯温泉駅はダムが完成すると水没することになります。ダム建設が中止になっても、鉄道は切り回され、河原湯温泉は存続しても最寄駅を失うことになるのでしょうか。

■本当に地域に必要なものを必要な規模で!

一昨日、私は島根県益田市を視察しました。視察案件は「ふるさとづくり寄附条例」でしたが、調査終了後に案内された島根県芸術文化センター「グラントワ」を見せていただいて、人口5万5千人余の市域の9割が山間のまちに、1500人収容の大ホールと400人収容の小ホールを併設し、168億円もの巨費をかけて建設されたこの巨大施設のグレードの高さには、ただただ驚かされました。

日本列島改造論に、私は政治家・田中角栄氏の大きな使命感とビジョンを感じます。しかし、これを「国土の均衡ある発展」と読み替えると、全国一律に地域のニーズとは必ずしも一致しない施設やインフラストラクチャの整備が必要となり、地方の個性は薄まって、均一的な財政投下が行われていきます。

これでは本末転倒です。地域に本当に必要なものを、必要な規模で整備していく政治を行っていかなければならないと思います。

■八ッ場ダム建設事業の中止と治水&利水への影響は?

計画発表から57年もの間、事業進捗は大幅に遅れてきたわけですが、この間、このダムがないことが原因で起きた災害や水不足があったでしょうか?少なくとも八ッ場ダムは緊急の課題とは言えなかったわけです。

草加市でも、節水機器の普及とミネラルウォータのような飲用水による水道水離れによって、公営水道に依存する水需要が減少の傾向にあります。「水と安全はタダ。」と考えていた時代には想定できなかった実情です。

八ッ場ダムの建設を中止しても、治水と利水の両方の分野で流域住民の安心安全が後退することにはならないようです。

■八ッ場ダム建設事業を中止した場合のいくつかの課題点

ダム建設が中止となれば、ダムの底地として国が取得した土地の使途が新たな課題となります。ダム建設を中止しても、既に着手されている道路や鉄道の切り回しは計画どおり完了すると言われていますが、これはまちのインフラストラクチャとしては無駄にはならないでしょう。

しかし、ダムが建つからこそ、冒頭画像のような高い橋脚の橋が必要だったわけで、ダムがなくなれば、それは必要以上の規模と規格の道路・橋梁となることは否めません。さらに、川原湯温泉は存続することになるのに、鉄道駅が廃止されることも無視できません。

■諸課題の徹底検証と生活再建に向けた「対話」がポイント。

多角的なダム建設中止にまつわる諸課題の徹底検証と川原湯温泉郷関係者のみならず、すべての関係地元住民の生活再建が必要です。

既に投下された財源の一部は、事業が予定どおり完了しないことで無駄になる点もあるわけで、関係自治体と関係住民が納得できる結論を導き出すために、十分な「対話」が行われ、その議論が全国民に公開されていることが重要だと思います。

■民主主義は必ずしも効率的な政治手法ではありません。

民主主義=デモクラシーは必ずしも効率的な政治手法ではありません。十分な関係者合意に至るのも時間がかかりますし、施策の急展開もしにくい制度でもあります。さらに「地方自治はデモクラシーの学校」なわけで、地方政府の意向を中央政府は最大限に尊重しなければ、デモクラシーは阻害される危険性があります。

独裁政権が中央集権で政治課題に対する意思決定を行う方がはるかに効率はいいかもしれませんが、議会制民主主義はデモクラシーを実現するために人類が生み出した英知の結晶でもあります。

■デモクラシーを理念として発展させていくことが瀬戸健一郎の使命。

「政策主導の対話型の市政」を目指し、「だれもが幸せなまち」をつくるため、「草加を変える」。そのための制度と手続きとして、「草加市みんなでまちづくり自治基本条例」を制定したのが、瀬戸健一郎の草加市議会議員としての19年の活動でした。

これからも、デモクラシーの理念を実現するために、根気よく諸課題に取り組み、様々な政治課題に独自の視点から考察を加え、それをみなさんとシェアしていくことが瀬戸健一郎の使命であると考えています。またそうしていきたいと心から願っています。

どうぞ、みなさんの声を私に聞かせて下さい。そして、この国のデモクラシーをみんなで発展させていきましょう。

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor


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