みなさん、こんにちは。
そろそろお正月気分は抜けましたでしょうか。それともまだまだですか・・・。
本業・牧師見習いのけいぞうは、昨日教会の礼拝でちょっとおもしろいことがありました。実はテレビのTBSが取材に来たんです。
おー、ついにけいぞうさとうメジャーデビューか!?
残念ながらそうじゃくて、ぼくの教会に2年後のバンクーバー冬季オリンピックの代表候補の女の子がいるんです。その子の取材だったんですね。
またいつか彼女の許可がもしもらえたら、このブログでもくわしくそのことをいろいろ書いてみたいな、と思います。
ぼくはちょっとそのTBSの方と話したのですが、しっかり「今TBSでおもしろいのは "エジソンの母" です!」と言ってさしあげました。あれおもしろいですよね。。。(なんですか?けいぞうさん、坂井真紀さんがタイプなんですか???)
・・・さて明るい話題からがらっと変わるのですが、毎年1月17日になると今から13年前、1995年の阪神大震災のことを思い出します。あの時は、ぼくの姉一家や友人も西宮で震災に居合わせました。(幸い体に被害は受けませんでしたが)
1995年はほかにもいろいろありました。
3月には地下鉄サリン事件が東京で起こり、
そしてその後連続してオウム真理教による一連の事件が起こりました。
当時を覚えている人にはまだ記憶に新しいと思います。
実はそのオウム真理教の一連の事件が終わるころ、夏にぼくはプライベートでいろいろあって、ノイローゼになってしまったのです。仕事をしているとき以外は、寝ていたか悩んでいたという記憶しかありません。
それから仕事をしながらでしたが、強いノイローゼ(ぼくの場合は神経症あるいは強迫神経症)が2~3年続き、そのあと軽い状態になり、でも4年くらいそれが続き、結局ノイローゼが抜け落ちるまで合計で7年くらいかかりました。
(当時の職場であった市役所の方々には、いろいろ考えてそのことは内緒で仕事をしていました。市役所のみなさん、すみませんでした。)
1995年が終わる時、父がこうつぶやいたのを覚えています。
「今年は地震があって、西宮の○○(姉の名前)の家は被害に遭ったし、オウムの事件はあったし、けい(ぼくのこと)は病気になるし、あんまりいい年じゃなかったな・・・。」
坂本龍一が1995年に出したアルバムで「スムーチー(SMOOCHY)」というのがあるが、その中の「美貌の青空」という曲の歌詞で、こういうフレーズがある。
狂おしい夏だった
青空も 声も
小さな死のように
狂おしい夏だった
手に触れる すべて
欠片の死のように
この曲は音的にも非常に細かいいろいろな音がちりばめられていた曲でしが、ある音楽家がこの曲について「1995年を象徴する曲」と言っていたのを、今も思い出します。(この曲は映画「バベル」のエンディングテーマとしてもインストゥルメンタルで使用された。)
また同じアルバムの中に「BRING THEM HOME」というすばらしいピアノ曲があるが、この曲はオウム真理教の信者の若者たちを、「彼らを家に帰らせよう。帰らせてあげたい。」という願いをこめて作ったそうだ。
1995年というのは、いろんな意味で忘れられない年になっている。少なくともぼくにとっては。
ぼくは今でも神経を使い過ぎると極度に疲れる。
まあその分よけいに休めば回復するのだが。
それで昨日(1/20)は疲れたので、久しぶりにDVDを借りて来た。
大好きなドラマ「優しい時間」を借りた。(2005年フジテレビにてオンエア。脚本:倉本聰)
これを見ていると時間の流れと、自然の豊かさと、自分自身をゆっくり形造っていくことの大切さを感じる。
ぼくのように教会やフリースクールで働いていても、すべて安らげる空間には残念ながらならない。なりたくても、やはり都会特有のストレスの影響は受けてしまう。
人間が人間らしく生きるには、いろんな努力が必要なんだろうな。
ゆっくり時間をかけて、これからも本当に大切なものを大事に育てながら生きていきたいな。
(BGM: スムーチー/坂本龍一 1995年発表 &
優しい時間 オリジナル・サウンド・トラック/音楽 渡辺俊幸 2005年発表)
(前回ブログ1/15号の更新当日のアクセス数が、過去最高のアクセス数(閲覧人数92名、クリック数では200を超えた)を記録しました。みなさん、どうもありがとうございました。
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そろそろお正月気分は抜けましたでしょうか。それともまだまだですか・・・。
本業・牧師見習いのけいぞうは、昨日教会の礼拝でちょっとおもしろいことがありました。実はテレビのTBSが取材に来たんです。
おー、ついにけいぞうさとうメジャーデビューか!?
残念ながらそうじゃくて、ぼくの教会に2年後のバンクーバー冬季オリンピックの代表候補の女の子がいるんです。その子の取材だったんですね。
またいつか彼女の許可がもしもらえたら、このブログでもくわしくそのことをいろいろ書いてみたいな、と思います。
ぼくはちょっとそのTBSの方と話したのですが、しっかり「今TBSでおもしろいのは "エジソンの母" です!」と言ってさしあげました。あれおもしろいですよね。。。(なんですか?けいぞうさん、坂井真紀さんがタイプなんですか???)
・・・さて明るい話題からがらっと変わるのですが、毎年1月17日になると今から13年前、1995年の阪神大震災のことを思い出します。あの時は、ぼくの姉一家や友人も西宮で震災に居合わせました。(幸い体に被害は受けませんでしたが)
1995年はほかにもいろいろありました。
3月には地下鉄サリン事件が東京で起こり、
そしてその後連続してオウム真理教による一連の事件が起こりました。
当時を覚えている人にはまだ記憶に新しいと思います。
実はそのオウム真理教の一連の事件が終わるころ、夏にぼくはプライベートでいろいろあって、ノイローゼになってしまったのです。仕事をしているとき以外は、寝ていたか悩んでいたという記憶しかありません。
それから仕事をしながらでしたが、強いノイローゼ(ぼくの場合は神経症あるいは強迫神経症)が2~3年続き、そのあと軽い状態になり、でも4年くらいそれが続き、結局ノイローゼが抜け落ちるまで合計で7年くらいかかりました。
(当時の職場であった市役所の方々には、いろいろ考えてそのことは内緒で仕事をしていました。市役所のみなさん、すみませんでした。)
1995年が終わる時、父がこうつぶやいたのを覚えています。
「今年は地震があって、西宮の○○(姉の名前)の家は被害に遭ったし、オウムの事件はあったし、けい(ぼくのこと)は病気になるし、あんまりいい年じゃなかったな・・・。」
坂本龍一が1995年に出したアルバムで「スムーチー(SMOOCHY)」というのがあるが、その中の「美貌の青空」という曲の歌詞で、こういうフレーズがある。
狂おしい夏だった
青空も 声も
小さな死のように
狂おしい夏だった
手に触れる すべて
欠片の死のように
この曲は音的にも非常に細かいいろいろな音がちりばめられていた曲でしが、ある音楽家がこの曲について「1995年を象徴する曲」と言っていたのを、今も思い出します。(この曲は映画「バベル」のエンディングテーマとしてもインストゥルメンタルで使用された。)
また同じアルバムの中に「BRING THEM HOME」というすばらしいピアノ曲があるが、この曲はオウム真理教の信者の若者たちを、「彼らを家に帰らせよう。帰らせてあげたい。」という願いをこめて作ったそうだ。
1995年というのは、いろんな意味で忘れられない年になっている。少なくともぼくにとっては。
ぼくは今でも神経を使い過ぎると極度に疲れる。
まあその分よけいに休めば回復するのだが。
それで昨日(1/20)は疲れたので、久しぶりにDVDを借りて来た。
大好きなドラマ「優しい時間」を借りた。(2005年フジテレビにてオンエア。脚本:倉本聰)
これを見ていると時間の流れと、自然の豊かさと、自分自身をゆっくり形造っていくことの大切さを感じる。
ぼくのように教会やフリースクールで働いていても、すべて安らげる空間には残念ながらならない。なりたくても、やはり都会特有のストレスの影響は受けてしまう。
人間が人間らしく生きるには、いろんな努力が必要なんだろうな。
ゆっくり時間をかけて、これからも本当に大切なものを大事に育てながら生きていきたいな。
(BGM: スムーチー/坂本龍一 1995年発表 &
優しい時間 オリジナル・サウンド・トラック/音楽 渡辺俊幸 2005年発表)
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