新海誠さんの新作「天気の子」の概要がリリースされたようですね。
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
という設定で東京に向かう船が東海汽船の「さるびあ丸」であることがほぼ断定されたことで、東京諸島の四つの島が「もしかして聖地?」と盛り上がっております。
さるびあ丸が就航していて、高校生がいる島は大島、新島、式根島、神津島に絞られます。
※式根島には高校はありませんが隣の新島の高校に通う高校生はいます。
実際は架空の島かもしれませんが、ま、勝手に盛り上がるのはお許しください。
予告編をよく見てみるとビルの上の神社が重要なスポットで、主人公の男の子を助ける猫が登場するらしい。
「神社」「猫」・・・・・・・・・式根島の猫神様だぁ~~~~。
ということで聖地かどうかは分かりませんが新海ファンの方に興味をもってもらえるとうれしいです。
式根島には猫伝説あり、猫神社あり、飼い猫、島猫、ウミネコと猫だらけなのです。
ちなみに猫伝説はこんなもの。
鎌倉時代、式根島は子供をさらう怪物猫に悩まされていた。流れ着いた平家落人が退治してくれたがそのトラウマで島民は猫を飼うのをやめました。その後、明治時代に鼠の害に悩まされたある島民が身をていして島の大王神社に願掛けし、それでようやく猫を飼えるようになり、神社を猫神様と呼んだのです。
大王神社(猫神様)
大王神社は質素な社ながら地元の方がきれいに掃除されてるようで清らかな空気が漂います。
扉を開けると賽銭箱。奥の台の上には猫好きさんから奉納された猫グッズが。
式根島の猫伝説(1)
ちながんばあ
今から800年ほど前のことである。式根島に大きい猫がおり、夜ふけになると、台所やいろりの残り物をあさるのであるが、乳房が長いので肩にかついで、戸棚を自由にあけて盗み取るので、島民は困り果てていた。そのころ、式根島へ平家の落武者が漂着した。その中の福矢源太衛門と小倉又次は、この話を聞いて、怪猫退治をすることになった。源太衛門は矢を射て、この猫を射止めたが猫は血を流しながら逃げて、海岸の洞窟へ逃げこんだ。後を追った又次が一刃のもとに仕留めた。その後、「猫」という言葉を使うと凶事が起きるとされ、式根では猫といわず、猫も飼わず、怪猫も「ちながんばあ」という言葉で表し、猫の逃げこんだ洞窟も、御釜浦の東の岬にあるが、「みこのいまし」と呼ばれている(「新島の歴史」より)
式根島の猫伝説(2)
猫神様
明治20年代、式根島に移住してきた人々は開拓に身を粉にして働いていたが、そのネズミの多い事にはホトホト困りはてていた。ネズミ退治のために猫を飼いたいが、式根島では猫を飼うどころか猫ということさえ禁じられていた。その時、最初に移住してきた人たちの一人、山本定吉さんは、考えに考えぬいた末、意を決して、足付は釜の下海岸のすぐ上の山にある大王神社にこもり、「式根島ではネズミの害で困りはてている。どうしても猫を飼いたいが、もし飼って悪ければどうか私の体にお知らせ下さい」と一心不乱に祈った。そして、祈っている定吉さんの体にはなんのお知らせがなかったので、ようやく猫を飼うことができるようになった。それでも呼ぶ時は決して猫とは言わず、猫がいつもいるタルモト(台所)といってタルモトの〇〇と呼び表していた。(「新島の歴史」より)
キャンプ場ネコ
まいまいず近くの島ネコ
お土産屋さん横の島ネコ
道路の真ん中で身繕いの島ネコ
綺麗な海と温泉と猫が式根島で待ってます。
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
という設定で東京に向かう船が東海汽船の「さるびあ丸」であることがほぼ断定されたことで、東京諸島の四つの島が「もしかして聖地?」と盛り上がっております。
さるびあ丸が就航していて、高校生がいる島は大島、新島、式根島、神津島に絞られます。
※式根島には高校はありませんが隣の新島の高校に通う高校生はいます。
実際は架空の島かもしれませんが、ま、勝手に盛り上がるのはお許しください。
予告編をよく見てみるとビルの上の神社が重要なスポットで、主人公の男の子を助ける猫が登場するらしい。
「神社」「猫」・・・・・・・・・式根島の猫神様だぁ~~~~。
ということで聖地かどうかは分かりませんが新海ファンの方に興味をもってもらえるとうれしいです。
式根島には猫伝説あり、猫神社あり、飼い猫、島猫、ウミネコと猫だらけなのです。
ちなみに猫伝説はこんなもの。
鎌倉時代、式根島は子供をさらう怪物猫に悩まされていた。流れ着いた平家落人が退治してくれたがそのトラウマで島民は猫を飼うのをやめました。その後、明治時代に鼠の害に悩まされたある島民が身をていして島の大王神社に願掛けし、それでようやく猫を飼えるようになり、神社を猫神様と呼んだのです。
大王神社(猫神様)
大王神社は質素な社ながら地元の方がきれいに掃除されてるようで清らかな空気が漂います。
扉を開けると賽銭箱。奥の台の上には猫好きさんから奉納された猫グッズが。
式根島の猫伝説(1)
ちながんばあ
今から800年ほど前のことである。式根島に大きい猫がおり、夜ふけになると、台所やいろりの残り物をあさるのであるが、乳房が長いので肩にかついで、戸棚を自由にあけて盗み取るので、島民は困り果てていた。そのころ、式根島へ平家の落武者が漂着した。その中の福矢源太衛門と小倉又次は、この話を聞いて、怪猫退治をすることになった。源太衛門は矢を射て、この猫を射止めたが猫は血を流しながら逃げて、海岸の洞窟へ逃げこんだ。後を追った又次が一刃のもとに仕留めた。その後、「猫」という言葉を使うと凶事が起きるとされ、式根では猫といわず、猫も飼わず、怪猫も「ちながんばあ」という言葉で表し、猫の逃げこんだ洞窟も、御釜浦の東の岬にあるが、「みこのいまし」と呼ばれている(「新島の歴史」より)
式根島の猫伝説(2)
猫神様
明治20年代、式根島に移住してきた人々は開拓に身を粉にして働いていたが、そのネズミの多い事にはホトホト困りはてていた。ネズミ退治のために猫を飼いたいが、式根島では猫を飼うどころか猫ということさえ禁じられていた。その時、最初に移住してきた人たちの一人、山本定吉さんは、考えに考えぬいた末、意を決して、足付は釜の下海岸のすぐ上の山にある大王神社にこもり、「式根島ではネズミの害で困りはてている。どうしても猫を飼いたいが、もし飼って悪ければどうか私の体にお知らせ下さい」と一心不乱に祈った。そして、祈っている定吉さんの体にはなんのお知らせがなかったので、ようやく猫を飼うことができるようになった。それでも呼ぶ時は決して猫とは言わず、猫がいつもいるタルモト(台所)といってタルモトの〇〇と呼び表していた。(「新島の歴史」より)
キャンプ場ネコ
まいまいず近くの島ネコ
お土産屋さん横の島ネコ
道路の真ん中で身繕いの島ネコ
綺麗な海と温泉と猫が式根島で待ってます。