日経マガジン 11月号 №42
特集 「消えゆく都市のワイナリー」より
半世紀前にここを開いたのは
戦前のパリで出会ったマーゼル・ゲイマーと康子という一組の夫婦。
三年前まで小規模ながら赤、白、ロゼのワインとブランデーを生産していた
ワイナリーは来春にも造成が始まり工業団地に姿を変える事が決まっている。

このぶどう園は、木漏れ日の森のすぐ近くですが、三年前まで生産していたとも知りませんでした。
娘が産まれてすぐに相模原に引っ越して30年あまり、当時は小田急の相模原駅前の行幸道路添いに 「ゲイマーぶどう園行き」 というバスの駅がありました。
これは記憶違いで、ここには今のジムが出来るまで別のぶどう園があって 「ぶどう園前」というバス駅があったらしいです。
その駅があるのが不思議なくらいに誰もぶどう園には行っていないと思っていましたが、1976年頃までは、秋の収穫祭が賑やかに開かれていたそうです。
この年にオーナーのマーセル氏がまた8年後に康子さんも亡くなり 華やかな時代は終わったということです。
横浜線古淵駅の開業に伴い住宅地が広がると肥料や農薬に関する苦情が多くなり閉園 貯蔵されていたワインは税務署職員の目の前で2日かけて廃棄。
その後も、40年以上この葡萄園に勤めた2人の女性により管理され今日まで園内は美しく保たれているそうです。
「やる人がいないのだから仕方がない。でも、入梅の時期にやって来る燕や秋に舞う赤とんぼがコンクリートに塗り固められた畑の姿を見たら混乱するでしょうね」
という管理人の言葉で記事は結ばれていました。
今はまだ、マーセル夫妻がよく座っていた石のベンチやテーブルが残されているとありました。
この周りは何度も
で通りますが、入り口もどこか未だに分かりません。こうなってから慌ててもなんの役にも立たないことは分かっていますが春までに出来ることなら一度中を見せてもらいに行ってみようと思っています。
特集 「消えゆく都市のワイナリー」より
半世紀前にここを開いたのは
戦前のパリで出会ったマーゼル・ゲイマーと康子という一組の夫婦。
三年前まで小規模ながら赤、白、ロゼのワインとブランデーを生産していた
ワイナリーは来春にも造成が始まり工業団地に姿を変える事が決まっている。


娘が産まれてすぐに相模原に引っ越して30年あまり、当時は小田急の相模原駅前の行幸道路添いに 「ゲイマーぶどう園行き」 というバスの駅がありました。

その駅があるのが不思議なくらいに誰もぶどう園には行っていないと思っていましたが、1976年頃までは、秋の収穫祭が賑やかに開かれていたそうです。
この年にオーナーのマーセル氏がまた8年後に康子さんも亡くなり 華やかな時代は終わったということです。
横浜線古淵駅の開業に伴い住宅地が広がると肥料や農薬に関する苦情が多くなり閉園 貯蔵されていたワインは税務署職員の目の前で2日かけて廃棄。
その後も、40年以上この葡萄園に勤めた2人の女性により管理され今日まで園内は美しく保たれているそうです。
「やる人がいないのだから仕方がない。でも、入梅の時期にやって来る燕や秋に舞う赤とんぼがコンクリートに塗り固められた畑の姿を見たら混乱するでしょうね」
という管理人の言葉で記事は結ばれていました。
今はまだ、マーセル夫妻がよく座っていた石のベンチやテーブルが残されているとありました。
この周りは何度も


