いつまでも続けさせる 子どもの虐待死

2015-10-22 09:56:35 | 政治
10月21日付東京新聞夕刊『ごみと暗闇の中放置』
と題した記事で
厚木市の5歳児の虐待死事件に関する父親に対する判決が
今日22日 横浜地裁で言い渡されると報道
記事は
父親の身勝手な行動と周囲の関心の薄さを語っているが
しかし、読み進むうちに憤りを感じてきた。
それは児童虐待の最前線と言うべき児相がその役割を果たさなかったからこうなったと思うからだ。

父親一人に責任を押し付け、父親一人が罰せられても
日本社会から児童虐待死は無くならない。
これまでの事例で明らかである。

私は
なぜ 児童相談所がその重要な役割を果たさないのか
といつも思う。
こうした事件が起きるたびに、殆どといって良いほど一度は児相が関わっている
そしてその度に関係児相が謝罪会見を開き、深刻だとは思えなかったと言い訳する。
今回も裁判で 「反省している」 と述べたそうだ。
いったい何時まで
子どもの虐待死を続けさせるのかと言いたい
配慮が足りませんでした
と詫びることを繰り返すのかと言いたい。
多分 多くの方がそれは言い過ぎだと批判されるだろう
しかし、事件が明らかになるたびに
また児相が何もしなかったという感が否めない苛立ちをいつも感じるからだ。

もちろん虐待をした父親や母親の責任が無いとは言わない。
しかし、
子育てに悩む親、子育てをできない親の存在は
虐待死の中でこれまでも十分に明らかになっている。
問われているのは
命を奪われる前に保護する危機管理能力と
生活の安定や立て直しを支援し、そのことで安心して子育てをできる環境を作る応援
のできる体制づくり
である。
各部署、自治体の別、職種の別を超えて連携することである。

この事件でも
父親に生活再建の支援が必要だったこと
妊娠して高校を中退した母親の未熟なこと
3歳児検診未受診の情報が共有されなかったこと
等々
専門家が関われば虐待を察知できる情報はたくさんあった。

もちろんがばっている児相もあることは承知している。
が、それでも
児童虐待を 『ゼロ』 にするために
子どもの幸せのためにがんばらねばならないという
自らの役目を果たしているかと
児相の組織上げて、そのあり方を厳しく自らに問うてもらいたい。

政治の責任は
こうした事態を繰り返さないために
児童相談所をもっと身近なところに増やし、
一つの児相が過重な人口をカバーし、緊急性に対応できない今の現状を変えることだ。
児童相談所の増設は都道府県の責任である。
議会は
自らの自治体の児相の実態を把握し、その増設に向けて取り組むべきである。
こうしたところにこそ我々の税金は使ってもらいたい。

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