牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

2月1日(土) 「聖霊による歩み」 A・B・シンプソン著  いのちのことば社

2014-02-01 07:32:51 | 日記

 著者のA・B・シンプソンはクリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスの創立者で、19世紀後半から20世紀はじめに活躍された方である。世界宣教に重荷を持って働かれた。彼と教団の信仰は、新生、神癒、聖化、再臨からなる四重の福音である。彼らはいわゆる福音派であるが、神癒を信じていたし、聖霊の働きを強調していた。それが本書を読んでもよく分かる。
 
 今の福音派は神癒や聖霊の働きに拒否反応を示す傾向があるが、そのような人たちはこのような福音派(福音主義)の古典を読んだら良いと思う。自分たちの源流に触れるといいだろう。また聖霊派だが、聖霊派は聖霊、聖霊というが、言っているほどには聖霊のことを知らないのではないかと感じる。聖霊派にとっても、現代の聖霊運動の本ばかりでなく、このような福音主義の先輩が書かれた本を読むと益になるだろう。というより読まないとダメである。そうでないと聖霊の働きの理解に偏りが生まれてしまうだろう。社会派に関していえば、聖霊によって歩むという前の段階、聖霊がうちにおられるかもあやしい、すなわち救われているかも疑わしい。

 私が属している教団はアライアンスではないが、アライアンスの流れも入っている。私は著者が主張している四重の福音(新生・神癒、聖化、再臨)に大きなアーメンである。ここには聖霊派が強調している癒しが入っているし、ホーリネスが強調している聖化が入っている。そもそもホーリネスもアライアンスと同じく新生、聖化、神癒、再臨の四重の福音である。全く同じである。アライアンスもホーリネスも生粋の福音派である。福音派でA・B・シンプソンを知らない人はいないのではないだろうか。その彼が福音の最も大切なこととして神癒を挙げているのである。しかし、現代の日本の多くの福音派はこれを取り去ってしまっているようだ。残念でならない。福音派の牧師が礼拝説教で、新生(十字架と復活の救い)は語るが、神癒、聖化、再臨について全く語ることがなければ問題ではないだろうか。

もともと福音派とは癒しを強調してきたのである、これが基本的な認識として回復されなくてはならないだろう。今の日本で癒しといえば聖霊派の信仰であると思われている。これは大いなる誤解である。本来的に癒しは福音派と聖霊派のどちらにとっても福音である。福音の大事な要素の一つである。イエス・キリストの福音といえばそこに癒しは含まれるのである。それは福音書を読み、教会の歴史を学べば分かることである。では福音派と聖霊派の違いは何か。それは一言でいえば癒しではなく、聖霊のバプテスマと聖霊の賜物の理解の違いなのである。

 さて著者は聖霊によって歩むとはどのようなことかを書いているが、引用する。
1.聖霊によって歩むとは、私たちの中に臨在され、宿られるお方として御霊を認識することである。
2.聖霊によって歩むとは、まさかの時にも常に御霊に信頼し、これにより頼むことである。
3.私たちが聖霊によって歩もうとするなら、聖霊に相談しなければならない。
4.私たちが聖霊によって歩みたいと願うなら、御霊の語られる時に従わねばならない。
5.聖霊によって歩むとは、聖霊と歩調を合わせて歩むことである。
 

 まず基本的なこととして、今の時代、すなわちイエス・キリストが十字架に架かって死なれ、死からよみがえって復活し、昇天され、聖霊が注がれた後(ペンテコステの後)は、聖霊の時代であることを知らなければならない。それは使徒の働きを読めば一目瞭然である。このことが分からないと、本書の内容を理解することは難しいかもしれない。

 そしてこれが大事だが、A・B・シンプソン自身も彼の先輩たちの聖霊による働きに敬意を表していることである。ジョージ・ホィットフィールド、チャールズ・フィニー、ドワイト・ムーディー、チャールズ・スポルジョンなどである。彼らの一人でも研究するなら、聖霊によって歩むとはどのようことかを理解することができるだろう。A・B・シンプソンにとってもそうであったと思うが、私にとってジョージ・ホィットフィールド、チャールズ・フィニー、ドワイト・ムーディー、チャールズ・スポルジョンらは信仰の英雄であり、聖霊によって歩み働くということの模範である。彼らこそ真の福音主義である。
私は霊的戦いなど今の聖霊運動に賛成だが、でもそれだけが孤立することには危惧している。まずルターとカルヴァンの宗教改革があり、次にジョン・ウェスレーやここに挙げた人物たちによる働きがあり、その上に現代の聖霊運動があるという理解である。そこに健全さがあると私は考えている。