言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

(続)天子のこと

2020年12月27日 | 日記

    

 ここ2回ほどの‘天子’のことの記述だけでは理解してもらうのは困難かなと思って追記してみます。深田等にいってもよく分からず、郷土史の本で調べてみました。それを解説する能力はないのでそのまま抜き書きしてみます。球磨郡誌です。(戦前の発行郷土史て、人吉球磨の郷土史の底本となるものですが、表記が古いのですがあえてそのままで)

『天子  本郡に天子又は天下と称せられた地名が甚だ多い、今能く世に知られたものを挙ぐれば左の如くであるが、此の外記者の知らざれる所あるのであろう。

 上村字麓の天子  上村字石坂の天子   上村字塚脇の天子   免田町字久鹿揚田の天子

 深田村草津山の天子神社   一武村寺村の天子及び御手洗   川村大字柳瀬字三石の天子

 人吉町大字葦原の天子 山江村字山田合戦峰の天子  山江村城内の天子 中原村大字中神古屋敷の天子 

 多良木町字牛島の天子   中原村原田天下山  西村字京ヶ峰天下神社   木上村平良の天子神社

 右の天子及び天下の地名は景行天皇熊襲御親征の折の御駐輦の跡と伝えている。その頃熊縣クマノアガタに熊津彦という兄弟がいて暴威をふるっていたので、天皇はそれを事向け遊ばす為に御軍を進められた。兄の兄熊エグマは直ちに天皇の御召に応じましたが、弟の弟熊オトグマは中々詔に従いませんでした。それで天皇はやむを得ず討伐の軍を動かし一月近くも戦が続き、結局弟熊の一族は皇軍のために滅ぼされてしまいました。その折天子様が御とどまり遊ばれた地を今でも天子、或は天下アモイと言っているのだそうです。此の天下という言葉は「アモリ」の転訛で「アモリ」は「天降アマオり」の約だそうです。それで天降りとも書くそうです。万葉集に「久方の天の門開き、高千穂の、嶽に阿毛理し、すめろぎの、神の御代より・・・」とあるのと、球磨郡の天下とどんな関係にあるか考えるべきでしょう』

 とあります。史実は別として、各所に‘景行天皇’の名が残っているのです。いまではそれを確かめる術はありませんが、なぜかしらロマンを感じさせる話です。

 O先生に触発されてこのことを少し追っかけてみます。

 今日の天気() 今日は昼過ぎから雨になりました。昼前に資料館に行きました。“被災した神仏像展”も今日まででしたが、村内居住者限定になったので(開店休業状態)でした。


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