今日の話題の岩ヶ野堂の薬師如来です、この中の十二神将像の台座底に墨書がありました。
人吉新聞に寄稿したことから。歴史をたどっていてもわからないことばかりです。仏像をみていますが、これまたわからないことばかりです。ひょっとすると山江の仏像だけを見ているから→ほかの地域(町村)の仏像を見る必要がある、仏像だけではなく→言い伝え、文献などで調べることも必要な気がしています。今後の課題です。
たまたま別の糸が同じことにからんできてわかったことがあったのでそのことを人吉新聞に寄稿してみました。100%の解明とは言えなくてもそれに近いものだとは思いました。それは、仏像の台座底に「文政五年七月 奉 彩色拾五躰之内 佛師 十間町 西 伊右衛門?」と書かれてあるのです。伊右衛門はちょっとはっきりと読めませんでした。
また、田代善右衛門という家老さんが日記を書いています。その日記になかに「山田岩ヶ野村 薬師入仏ニ付、廿七日・・・」と書かれてあるのです。期日は文政5年7月25日付です。まったく同じことが仏像の台座底と日記の書かれてあったのです。
‘ピッタシ、カンカン’だったのです。それを見たときはビックリしました。いろいろと調べたことが偶然のように結びついたのです。絡んでいた糸がさっと解かれたような気がしました。今回のことはたまたまのことだったのでしょうが、わからないことがわかるという楽しみを味わえました。
私の中にはまだまだ絡みついたまま、わからないままになっていることがたくさん残されています。たぶん解決もせずにそのままになることがほとんどだと思っています。今度のように一つでも解決できるようにコツコツと歴史探偵家は頑張ります。
今日も霧が深かったです。昼間は少し暖かかったです。観葉植物を一部分、部屋に取り込みました。
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