風のハーモニー

ある時はチョイ悪ライダー、ある時は良妻賢母、そしてもう一人のHUZUという人間が登場するドラマの始まりです。

た・す・け・て

2008-02-27 22:36:52 | Weblog
夕食後、のんびりテレビを見ていたら携帯のメールがなった。
娘からのメールで、老眼鏡を掛けなおし伝言を見て急に心臓が高鳴った。

   「た・す・け・て」

の4文字がハッキリ見える。何事かと思って急いで電話を架けたが話中・・・
{一体何が起こったのかしら!}
夫はお風呂に入っている。ドキドキ、何度も架けなおした。
ようやく繋がった。

  「たすけて・・お母さん、ゴキブリが・・・」

どうやら、季節はずれのゴキブリが部屋の天井に張り付いていたらしい。

「スリッパでビシっっと叩くか、スプレーでやっつけたら?」

  「怖くて出来ない、どうしよう、・・・・・」

そんな話の繰り返し・・・どうやら東京は、春一番でゴキブリも勢いにのって現れたかもしれない。

お嬢さんの健闘をお祈りします(^^)

冬山ウォッチング

2008-02-23 21:03:46 | Weblog
           

天気予報で今日は大荒れの日だったが、久々に小雨こそ降ったが暖かく感じた一日だった。
去年からどうしても気になってた事があった。

一年に何度か行く私のお気に入りの場所で、時々立ち寄る喫茶店のオーナーが冬場にスノーモービルを楽しむと聞いた事である。岩手山のふもと迄一直線に走る話を聞いたとき、私も是非便乗させてもらいたいと話したのを思い出した。

市内を出るときは小雨だったが、春子谷地に近づくにつれて吹雪いてきた。いつもいくお気に入りの喫茶店に立ち寄り美味しいコーヒーを頂、丁度ご主人が居たので
例の件をお願いした。
ご主人の趣味で開いた喫茶店だが、仕事を持っているご主人は土、日しかいない。普段は奥さんがきりもりしているが、宣伝もしなければ特別な企画も組むわけでもなく、時々忘れた頃にお客さんが来るがそれで充分とのこと・・・私も家族や、ツー仲間を連れてった事がある。

天気がよければ最高のロケーションだが、あいにくの天候にいまいちだった。最近置かれた双眼鏡を覘くと、遠くにある木々の芽が膨らみ始めたのがわかる。ウルトラマンの「スワッチ」の格好をしているのがよくわかる。
{あの山でバンザイしても、見えそう}・・・見ているうちに段々ワクワクしてきた。

スノーモービルで行くにはもう少し雪が固まったほうがいい・・と言う事で次回天候とコンデションを見てお願いする事にした。


おらよ(^^)

2008-02-20 22:25:05 | Weblog
朝のモーニングコールを、去年社会人となった娘と毎朝携帯メールでしているが、最近は私のほうが寝坊助になって、娘のモーニングメッセ「おはよ(^^)」で
私がお目覚めと逆転してしまった。
私も、あわててベットの中からおはようメールを送るのだが、眠気まなこに老眼ときて簡単な三文字の文章さえ間違ってしまう。

    「おらよ(^^)」
    「おもよ(^^)」
    「おっへー(ーー)」

などなど・・・にこにこマークが涙マークになったりと届いた娘はビックリするらしい。
一人暮らしし始めた娘のために朝遅れないようにと、始めは毎朝せっせとこちらからメールを送ってたはずだったが・・・

このたったの三文字のメールとマークで、お互いの様子が解るようになった。
最近このメールが遅くなった。

社会人一年生は、社会の荒波を乗り越えていけるだろうか・・・?
お金を頂くということは、嫌な事も全部ひっくるめてのお手当てなんだよって言う事が理解できるだろうか・・・?

{嫌な事はいらないポッケにしまって、良い事だけを見るようにしようね。いつも
 OOちゃんの味方だよ}とメールを入れといた。
{もうちょっと頑張ってみようかな・・}と返事が返ってきた。

今日は、「うはよ(^^)」の娘からのメール。私は間違えませんでした(^^)




バレンタインは誰のため?

2008-02-14 20:41:06 | Weblog
           

このチョコ・・・ナル・チョコ

豪華で美味しく、お値段奮発のチョコレートである。北海道から取り寄せ、容器とスプーンがセットしてある豪華版・・・誰のためにって?もちろん夫にですよ。

{名目は夫でも、本心は自分のため・・・}

朝、会社に行く前にテーブルに目につくように置いていった。食べられてしまうか心配だったが、今回はそう簡単には手をつけないだろうと思い、帰ってからの反応を楽しみに仕事に出かけた。

家に帰り、夫の顔は自分は見てませんの知らんぷり。(本当は空けてみた筈)
お値段が高い事を教え、しかも限定品のお洒落なチョコの事を伝えたが、本人は
「それだったら、違うほうが良かった」・・・と言う可愛くない答え。
スプーンでざっくり味見をし始めた。上辺は生チョコ、中はホワイトキャラメルの生チョコ・・・美味しかったと見えて叉スプーンでざっくりと、大盛りに掘り返すように食べていた。

「大変!お父さん線・線・・・・・」
「なんだ、線って?   」
「真ん中に線引いて・・・境界線から出ないように食べて・・・」

そうなのです。これは私が楽しんで食べるセレブなチョコ・・・ナル・チョコ・・
ナルシスト・チョコなのです。

夫が寝たあとの、くつろぎティータイムでゆっくりと、口の中で直ぐ溶けてしまう
チョコを楽しみながら味わいます(^^)(^^)



孫への手紙

2008-02-07 21:41:57 | Weblog
           

今日母から電話があり一冊の本を取りに行った。この本の中に母の書いた文章が載ってあると言うう事で、大層自慢に渡された。

県の老人クラブが発行元で、太平洋戦争中に自分が遭遇し実際に体験したことが実に正確に記述され、読むものをいつの間にか引き込んでしまいますと、見出しにかいてあった。50人ぐらいが5ページくらいに渡って、外地での戦時体験、内地での戦時体験、戦後の暮らし、記録・随想・・・と4ブロックに分かれて書かれてあった。母が書いたのは内地での戦時体験で「遠い昔の物語」として書かれていた。

・・私の娘時代、手広く商売をやってた父のお陰でお姫様のような暮らしをしていたが、21歳の頃ある事情で倒産し、住み慣れた家を夜逃げるようにして引っ越した事(当時銀行パニックの影響と聞いている)お金のない事がどんなに惨めな事だと始めて知った・・と。家族の生活のため県庁で働いたが、当時女性が外で働くものではないとの風習があり、隠れるように通勤した事。
北満の部隊に勤務する父との見合い話で写真一枚で結婚することとなり、夜行列車に乗り継ぎ、挑戦の京城(ソウル)で二人だけの結婚式を挙げたこと、ロシアの国境線の近くに新居があり、極寒零下30度以上の寒いところで、山、木、草も生えぬところの暮らしに、只一つ「私は日本人であり、軍人の妻」という誇りだけで頑張った事、その時同じ奥さんたち5人ぐらいで支えあい助け合って生きた事、やがて子供が出来、お産のため3日間かけて日本海を船で渡り、帰省したが出産後叉満州に戻ったが、部隊が南方派遣にとなり、母は二人目の子を身ごもりながら長男を連れて朝鮮経由やっとの思いで日本へ帰れたときは、涙があふれて仕方がなかった事。八月の終戦が過ぎても消息不明の父をま待ち続け、絶対子供たちを守ると決心しながら待ち続け、主人の電報がきて駅に出迎えたときの事、南方では食料もなく、草や虫までも食べて生きながらえた事・・・・

やがて子供たちも4人となり、それぞれの道を歩き始め、現在母は92歳・・・そして最後に・・・・・苦しかった過去はふり返らず、親からもらった長生きの体に感謝しながら、くよくよせず、皆様から受けたご恩は忘れることなく、前向きに生きて生きたいと思います。・・・・・・・・・・・・・


私は、小さい頃から母の怒った顔を見たことがない、そして寝込んだ姿も見たことがない、想像絶する悲しみや絶望感を抱いてきたからだと、そしてそれを耐え抜いたからだと思った。
父はものすごく厳しかった。とくに食べ物を粗末にするとすごく叱られた。嘘をつく人間と約束を守らない人間にはなるなといつも言われてた事を思い出した。

そして、投稿された人達が述べているのは
「わが歩みし道は二度と繰り返してはならぬ」
               と言うう事でした。

{母のこの貴重な体験を子供たちにコピーして送ることにした}
     
                   *写真のねずみは二匹とも母の作品です