~旅とアート~

世界の秘境巡りの旅行記と絶景写真。
各国料理レストランの食べ歩きレポートや旅行情報など写真満載で発信。

ブログを引っ越しました

ブログを引っ越しました。新ブログはこちら↓

~旅とアート~KaycomDESIGN

また、旅行情報サイトTravel.jpの「たびねす」でナビゲーターとして記事の寄稿もしているのでご覧ください。

関連リンク 引き続きよろしくおねがいします!

インド(ラダック)旅行記#26-ラダック最大のヘミス・ゴンパ

2012-11-13 20:43:30 | インド(ラダック)旅行記
↓ヘミス・ゴンパ(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

4日目


ランチの後は、いよいよラダック最大のゴンパ、ヘミス僧院へ。
ドゥク派の総本山です。

駐車場から結構な階段を上って入口に到着。
息が切れてたまらない。
中に入ると広い前庭が広がり、大きな僧院が聳えていました。
確かに今まで見てきたゴンパとは規模が違う。









=====ガイド=====
標高3700m弱。
ラダックで一番大きくて、一番大切にされているゴンパ。
建立は16世紀で、シンゲン・ナムギャルの時代。
先ほど訪れたチェムレ・ゴンパと同じく、
シンゲン・ナムギャル王がタクツァン・レーパに王族の土地を分け与え、
建ててもらったもの。
王族のためのお寺なので、昔から王族と強いコネクションがあり、
ものすごい力をもったお寺になっている。

そのため、ラダック全土の人々がお参りに来たり、
土地や財産を寄付したりしていて、
今でもラダック各地には、ヘミス・ゴンパの土地がある。

一番賑わっていたころは、500人くらいの僧侶がいたが、
今はだいぶ少なくなって150人くらいになっている。

夏にやるヘミス・ツェチュというラダックで一番大きなお祭りのときは、
観光客があふれかえり、地元の人たちははじに追いやられてしまう。
パドマサンヴァバのお祭りだが、
彼は申年なので12年に一度のその年には、ひときわ盛大に行われる。
===============


まずは、ドゥカン・チェンモから見学。

=====ガイド=====
メインのドゥカンで現在修復中。
ヘッドラマはドゥクチェン・リンポチェ。
彼の写真が飾ってある玉座は中央で、その右側がタクツァン・レーパの玉座。
この写真は先代の(先代とは今の代のこと)だが、
チベットにいた方で、今は還俗して会社をやっているらしい。
他にドゥクチェン・リンポチェの初代、先代、二代目、三代目の像がある。








リンポチェが亡くなると、49日後に生まれ変わり、
その魂が転生した赤ちゃんがドゥクチェン・リンポチェとして生まれてくる。
すると、その赤ちゃんを探す捜索隊が組織され、
占いや各地から入ってくる情報をもとに探しに行く。
最初は完全な旅人を装って調査をし、
これはいけるとなったら正式な団体を組んでその家に赴く。

その段階でもいろいろな候補がいるので、
最終的には亡くなったリンポチェが普段使っていたものを当てさせるとか、
知り合いを連れて行き話をさせたりして決定する。
もし本当の生まれ変わりなら、使っていたものはわかるし、
知り合いだった人との話も辻褄があう。
その結果認定されたらお寺に行って、徹底的な英才教育を受けることになる。

リンポチェとは尊い人という意味。
そういう人たちをトゥルクと呼ぶ。
トゥルクはリンポチェだが、リンポチェが全員トゥルクとは限らない。
トゥルクは日本語で「活仏」と書き、何代も生まれ変わる人のこと。

タクツァン・レーパ像。
もともとンガワン・ギャムツォという名前で、
王族に迎えられる前に彼の師匠から「アフガニスタンとかに行って来いと」と言われ、
その方面の仏教の様子を見ながら旅をしていた。
しかし、当時はそのあたりの仏教はほとんどなくなってイスラム教になっていた。
そのためチベットの僧として活動するのが危険だったので、
名前をシャモナートと名乗り、ターバンを巻きひげを生やしながら旅を続けた。




壁画は雨漏りで傷んでいたが、今回の修復で新しく描きなおす。
すでに一部は描き終った。
グル・ツェンゲ(グルリンポチェの八変化)、ドルジドロ、チャクラサンヴァラ、
ヘーヴァジュラ、マハチャクラ、ワユパティヤマ、カーラチャクラなどが描かれている。
グルリンポチェのタンカもあり。












===============


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
↑気に入っていただけたらポチッとお願いします。

-----
商用利用可の写真素材

ブログセンター