ペキニーズGG日記

ビッキーとチャッピーのコミカルな日常

第一部:青春真っ盛り編その6(不良グループ)

2007年10月31日 22時15分05秒 | 日々反省の日記
高校2年のときの話ですが、一年生の不良グループとトラブルがありました。
そのグループの一人で兄貴が広島の工業高校で番を張っている(番長)と
いうことで2年生に挑んできたわけです。
(親の七光りならぬ兄貴の七光り・・・かな)

で、何故か私が最初に目をつけられたみたいで、私を呼び出してきました。
「私のような小心者を呼び出しても仕方ないのにな~」と思いながらも
呼び出しに応じて出向きました。

その場は、適当にあしらって戻ったのですが、どうも彼は私のことを2年生の
不良グループのリーダー格ぐらいに思っていたようで、私を責めれば2年生も
シメルことが出来るぐらいに思っていたようです。

まあ、ここまでされて黙っているわけにもいかず「一度、話をつけておこうかな」と
なにげなくクラスの仲間に話をしたら「きっちり話をつけよう」ということになり
あれよあれよという間に仲間が集まり彼らを呼び出す事になりました。

結局、一年生のグループを全員(20人以上いたかな)呼び出し
こちらも声を掛けてあった2年生が30人近く集まってしまい大事になってしまいました。

数でかなわないと思った一年の彼は代表者同士で決着をつけようと
申し出てきたのですが、喧嘩の弱かった私は仲間で体格の良い男に
『お前なら絶対、勝てるから頼むわ』と押し出しているのを見た一年生が
「ヤバイ!」と思ったのか先に頭を下げてきました。

後から人づてに聞いた話ですが、彼らはてっきり私が2年の代表として出てくると
思っていたようですが・・・

その日は、それで一件落着したかに見えたのですが・・・

数日後、私にあらたなる試練がおとずれる事になろうとは、
この時はまだ知るよしもありませんでした。

つづく
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第一部:青春真っ盛り編の5 (出会い)

2007年10月30日 23時19分39秒 | 日々反省の日記
その2でも書いた上級生が新入生に対して行う「しめ」でも思い出があります。
この「しめ」を不条理に感じていた私は、無謀にも上級生に反抗してしまったのです。

丁度、弁当を食べている時間に上級生がいきなり教室に乱入してきた事に
納得のいかなかった私は、上級生の『立て!』の指示に従わなかったのです。

その上級生は私の目の前にきて『なんで立たんのじ』と怒鳴ると私も負けじと
『今、弁当を食べちょるんじゃ』と言い返す。
当然、上級生はカンカンになって怒るが、その場で手は出せない。
いや、一発くらいは叩かれたかもしれない・・・実はこの時、
私は相当びびりまくっていたのでハッキリと憶えていない。

本来、小心者のくせにこういった行動をしてしまうのです。

更に午後の休憩時間に上級生達に廊下に呼び出され、
「これは、もう袋叩きかな」と覚悟したその時です、
『あれ、おまえ○○○中学におらんかったか』と言う声にその顔を見ると
そこに見覚えのある顔がありました。

実は中学時代に私は体操部に所属していたのですが、
その人は他の中学校の体操部にいた人で度、私達の体操部の顧問の先生を
訪ねてきた事がある人でした。

詳しいことは知らないのですが、顧問の先生と親しかったようです。
私より2学年上でその時、彼女と一緒に来ていたのを私も憶えていました。

まあ、おかげで命拾いしたわけですが・・・
(大袈裟でなく本当にそう思うくらい怖かった)

あとでわかった事ですが、私を呼び出した上級生達は3年生の不良グループの
リーダー格だったのです。

その高校には体操部は無かったのですが、その先輩達が同好会を創っていたので
私もその同好会に所属する事になったのは言うまでもありません。

つづく
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第一部:青春真っ盛り編その4(喧嘩)

2007年10月30日 16時02分21秒 | 日々反省の日記
高校生時代、あまり喧嘩の強い方ではなかったので喧嘩がらみの話題は少ないのですが、
一度だけ派手にやった経験があります。
不良学生(見掛け倒し)だった私が生徒指導室に呼ばれて始末書のようなものを
書かされたのは、この時だけでした。

原因は小さな事だったのですが、椅子が飛びが飛んで鼻血だらだら(私だけ)の
凄まじいものでした。
私のシャツは自分の鼻血で真っ赤に染まったのですが、喧嘩のあと
女生徒の一人が洗ってくれました。

ただ、残念なのは誰が洗ってくれたのか分からなかった事です。
だから、お礼も言っていません。残念ですが・・・


あと、喧嘩とは直接関係無いのですが、外見だけは悪ぶっていた私なので
それなりに不良の仲間として扱われていましたので、好む好まざるに関わらず
よその学校との揉め事の際にも出ていく破目に陥ったこともありました。

相手を呼び出し、心の中では震えながら相手を威嚇し謝らせる。
(居直られたらどうしよう・・・と思いながら後に引けない状況)
今は、さすがにこんな無理してつっぱたりしないですけどね。

でも学生時代は、そんな事を言っていられない。
とにかく外観を悪ぶって見せて見た目だけでも強く見せるよう日々努力でした。

今では弱い部分をさらす事にそれほど抵抗もなくなり楽になりましたが・・・
当時は、きつかっな~

つづく
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第一部:青春真っ盛り編その3(シメ)

2007年10月30日 16時01分58秒 | 日々反省の日記
高校生のとき初めてかけたパーマがパンチパーマでした。
たしか2年生のときだったはずです。
修学旅行の写真にその頭で写ってたのを憶えていました。

その当時、高校生でパンチパーマは珍しかったので担任の先生も私の頭を見て
『短こうてさっぱりしちょる』と言ってくれたのです。
今ならパンチパーマなどとんでもない事ですが、当時は感心されたのです。
(嘘みたいな話ですが事実です)

就学旅行と言えば、思い出されるのが夜中に旅館を抜け出し
他校の宿泊先に悪友と二人で遊び行った事があります。

目的は悪友が昼間、声をかけてあった女生徒のところへ行く為でした。
ほぼ、時間通りに女生徒が宿から出てきたものの
すぐに先生に見つかり私と悪友のもくろみは水の泡と消えました。

あと修学旅行でお決まりなのが、バスガイドでしょう。
私達もぞってガイドのお姉さん達と写真を撮ったものです。
あの時のバスガイドさんのオレンジ色の制服は眩しかった・・・

ただ、ひとつ寂しかったのは額縁に入ったクラスメイトがいたことです。


話変わって、私が通っていた高校では新入生が入ってくると伝統的な行事がありました。

それは「シメ」と呼ばれていて上級生が昼休みに一年生の各クラスを回り、
新入生の規律を正す行事でした。

まあ、ただ単に起立させて返事をさせるだけでしたが一年生にとっては怖い行事でした。
それを先生達も黙って見ていました。

今考えてみると一見、野蛮に見えるこの行事も学校全体で学生に上下関係を
覚えさせる為の行事だったのかもしれませが・・・

つづく
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第一部:青春真っ盛り編その2(オートバイ)

2007年10月30日 16時01分39秒 | 日々反省の日記
私が幼少の頃よりオートバイに接する機会が多かった事は
前回のブログでも書きましたが、そのせいか小学3年生頃には既に
オートバイに興味を持ち始めていました。

叔父さんの部屋にあったオートバイの雑誌を見てワクワクしたのを
今でもはっきり憶えています。

それで、その当時に叔母さんが乗っていたオートバイに無理を言って
乾いた田んぼの中で乗せてもらいました。

まだ体の小さかった私は両足が届かずオートバイの後部を
叔母さんに持ってもらい5~6メートル自走するのがやっとでした。

それから2年もすると身長も伸びて足も届くようになると一人でも
乗れるようになり、しばらくは親元に行く度にオートバイで野道を
走り回っていました。

まあ、そういった事もありオートバイは私の趣味になっていった次第です。

高校生になり免(原付)を所得すると、やはり自分のバイクが欲しくなり
友達から古いバイクを安く買取、自分で整備して走り回っていました。
(もちろん校則違反ですが・・・)

その頃の思い出で、自分の部屋で悪友が集まりマージャンをしていた時に
クラスの担任が突然尋ねてきた事があります。

部屋はタバコの煙が充満していましたし、タバコの空き箱も散乱していたのですが
担任はその事には目をつむってくれました。

実は、その日の下校時に校長と私が自分の服装の事で揉めていたのを
担任が知って慌てて私の自宅にやって来たのです。

たしか、この時に家にあったバイクの事も聞かれたのですが、
事情聴取の際に同席していた父親が自分のだと言ってくれて
事なきを得ましたが・・・
翌日、校長室に謝罪に行かされたのはいうまでもありません。

この当時は、後の校内暴力が騒がれる以前でしたので
先生と生徒もお互いに理解しあえるところもあり大事には
至りませんでた。

その辺りの話は他にもあるのですが、また次回で

続く
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第一部:青春真っ盛り編その1(高校生)

2007年10月30日 16時01分21秒 | 日々反省の日記
自分の青春時代で最初に思い出すのは、やはり高校生時代になります。
(今から30年以上前の話ですが・・・)
私が高校生時代を過ごした場所は西の五橋でも有名な岩国というところです。
最近は米軍の基地問題でも有名になりましたが・・・

その頃の分はお世辞にも真面目な学生といえるものではなくて
喧嘩も弱くて臆病なくせにツッパっていた、いわゆる不良学生でした。

学校では禁止されているオートバイにタバコや飲酒等々
それに外観は立派に悪ぶっていました。

おかげで繁華街で絡まれたりする事も、たまにありましたが・・・

でもオートバイは本当に好きでした。

元々、父親やその兄弟がオートバイを乗っていたので
幼い頃よりオートバイと接する機会は多かったようです。
(母親の話によると、もの心つく以前から乗せてもらっていたようです)

オートバイは勿論、学校では禁止されていましたし免許の所得も禁止だったので
隠れて取りに行っていました。

最初は原付免許を得して50ccのバイクを人に借りたりして楽しんでいました。

父親の親元は山奥の軒寺だったので、そこでも親戚のバイクを借りたりして
野山を走り回っていました。

実は私のバイク暦はそれよりも更に古く小学生時代までさかのぼる事になります。

次回はその事にも少し触れていきます。

つづく
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