ペキニーズGG日記

ビッキーとチャッピーのコミカルな日常

第9部:英会話スクールに・・・その6(キムチパーティ)

2008年02月29日 22時49分10秒 | 日々反省の日記
英会話スクールの仲間で以前、彼女の家にも同行した人の家で
お好み焼きパーティーを開く事になり私も誘われていた。
韓国出張から戻ってすぐの事だった。
その人の家を訪ねると奥さん共々、出迎えられた。
私は韓国でもらったお土産のキムチを持参しての参加。
結構、本場のキムチという事でお好み焼きと一緒に焼いたりして
皆、盛り上がっていた。
その頃夏休みを利用して友人達と3人で韓国無計画旅行を計画してい私は
パーティーの席でその事を彼女にも話し他のだが、
「私も一緒に行きたい」と言い出したのである。
最初は冗談か、と思ったが本気のようだった。

後日、一緒に行くことになっていた友人達に話をしたら「問題なし」との
ことだったが、「彼女の家族は本当に許可するのだろうか?」と思ったが
以外にあっさりとOKが出たらしい。
彼女の母親が私の事を知っていたからという事実もあったのかも知れない。

何はともあれ、夏休みには「男3人女一人の韓国珍道中」が始まる事に決定!

次回につづく
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第9部:英会話スクールに・・・その5(キムチ~韓国)

2008年02月24日 22時44分58秒 | 日々反省の日記
私が彼女を意識する事になったきっかけは、もう少し後で書こうと思う。
その前にそのきっかけになった事がキムチと韓国にある事を書いておこうと思う。

1992年の事だったと思うが、この頃仕事で韓国出張に行く事が多かった。
まだ韓国の国際空港は金浦空港だった頃である。
初めて金浦空港に降り立ったときは、その匂いにショックを受けた。
まるでニンニクの匂いが空港全体に染み付いているようにすら感じたのだ。
思わず「帰りたい・・・」と思ったほどだ。
だが、人間不思議なもので慣れてくると食べ物は美味しいし
人もフレンドリーだし嫌な気持ちなどあっという間に消えてしまっていた。

それから何度か出張で韓国を訪れているうちに韓国が好きになり韓国語も
少しだが勉強して片言の韓国語を喋ってみたりもした。

何度目かの韓国からの帰り道、空港バスの窓から韓国の景色を見ていると
何故か感傷的になり「今度はゆっくり観光で来てみたいな・・・」と思っていた。
スーツケースにお土産のキムチを詰めて・・・

次回につづく
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第9部:英会話スクールに・・・その4(コミニケーション)

2008年02月23日 14時04分15秒 | 日々反省の日記
後にスクールで講師(外国人)と生徒のパーティー等は諸事情により禁止に
なうrのだが、その当時はまだ公然と行われていた。
特に私は宴会部長並みに会合を催したりしていた。
スクールに行き始めた頃、付き合っていた女性とも別れていたし、冬場の
スキーシーズン以外は暇も多かったので何かと企てていたものです。
スクールの生徒の女性たちとも色々と出かけたり食事に行ったりと
レースに没頭していて失った青春を取り戻すかの様に人生を楽しんでした。
もちろん後に付き合うことになる彼女とも映画を観に行ったり
他の複数の生徒達と一緒に食事に行ったりもしていたけど、特に私も彼女を
意識する事もなく、また彼女も私に対して特別な感情は抱いていなかった。
後に彼女に聞いたところ「変な奴だけど危険はなさそう」程度に思っていたそうだ。

そんな私が彼女を意識するようになったのは、あるイベントからだった。

次回につづく
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第9部:英会話スクールに・・・その3(すき焼きパーティー)

2008年02月22日 22時41分12秒 | 日々反省の日記
彼女の家に招待される事になって数日後、私の車に講師と彼女も同乗し彼女の
家に向かった。
勿論、他の生徒も一緒に。
生徒は女性が彼女の他に二人と男性が私に他に一人、講師はアメリカ人と
イギリス人だったと思うが・・・二人とも男性講師。

彼女の家に着くと彼女の母親がすき焼きの用意をして出迎えてくれた。
すき焼きパーティーの始まりだった。
猫がいると聞いていたのだが、大勢の人間に怯えたのか姿を現さない。

彼女の母親もなかなかの社交家で外国人が二人混じっていても物怖じもせず
談笑に参加していた。
このとき彼女の母親は私に対して好印象をもったようだったが、この時点では
私と彼女は単なるスクール友達程度でしかなかった。

次回に続く
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第9部:英会話スクールに・・・その2(駅前スクールで)

2008年02月16日 13時28分04秒 | 日々反省の日記
私の通っていた英会話スクールは京阪沿線の一つの駅前にあった。
レッスン内容は普通の3人1クラスの授業と講師が一人付いて50分間自由に
話すフリートークの部屋でのレッスンの2種類で構成されていた。
先日のバレンタインパーティーで同じテーブルについた女性二人は、私よりかなり
上のクラスにいたので通常授業で一緒になる事はないのだが、フリートークでは
一緒になった事がなんどかある。
ある日、スクールで時間待ちをしていると正面からスーツ姿の女性が近づいてきた。
『こんにちは、今度うちでパーティーをすることになったんだけど一緒にこない?』
と声をかけてきた。
化粧もちゃんとしていてメガネまでかけていた彼女はバレンタインパーティーで一緒だった
冴えない印象の女性だった。
その後も何度かフリートークルームで何度か会ってはいたのだが、いつもノーメークで
面倒臭そうにしていた。
だが、その日は違った印象に見えたのは、ちゃんと化粧をしていたからかもしれない。
「結構、かわいいやん!」と内心思った。
結局、私と外国人講師二人と生徒が男女合わせて3人の合計6人で
彼女の家に訪問する事になった。
後に聞いた話では『話の流れで講師の一人が家に来ると言い出したので知ってる人に声を掛けた』らしい。

次回に続く
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第9部:英会話スクールに・・・その1(バレンタインパーティー))

2008年02月11日 22時50分37秒 | 日々反省の日記
英会話スクールに通い始めた翌年、スクールの講師や親しい生徒達何人かで
バレンタインデーの近づいたある日、パーティーをする事になった。
1992年の2月だったと思う。
私も誘われたので参加する事に・・・
ただ、その年の冬にスノーボードを始めていた私は転倒の際に右足の腱を
痛めていた為、ジャージ姿での参加であった。

少し遅めに会場に入った私が席を探すと、ほとんどの席が埋まっていた。
当然、かわいい女性の隣は全て埋まっていて見渡すと、あまり花のなさそうな
女性が座っているテーブルの席があいていた。
どちらかというと暗いイメージの女性とその横にその女性と親しそうに話す女性が。
二人ともパッと見、見栄えのしない印象を受けた。
その二人の対面に座り色々と話をしながら一人の女性を見ると
まったくのノーメイクである。
だが、手にはマニキュアをしタバコまで吸っているし・・・
なにか全て面倒くさそうにしている印象だった。
「変わった女性だな・・・」
あまり魅力のある女性とは思えなかった。
それでも一つだけ気になったのが、家に猫が何匹かいるという事だった。
私も猫が好きだったからだ。

次回に続く
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第8部:引退後の暮らし・・・その3(英会話)

2008年02月09日 22時58分26秒 | 日々反省の日記
習い始めた英会話だが、学生時代に苦手だった私の英語力は散々だった。
月に2~3回程度のレッスンでは到底、理解できるはずもなく限界を感じていた私は英会話スクールに通う事を決めていた。
今は、なくなった?NOVAである。出張時に乗る京阪電車に広告がでていたので
勤務先からは遠かったが、難波校にとりあえず入学した。
当時、付き合っていた子と一緒に・・・
そのうち、勤務先に近い所にもスクールができたので早速、転校の手続きをとり
移動した。
そこで出会ったのが今の嫁だ。
ただ、彼女と付き合い始めるのは、かなり時間が経ってからだ。

次回からは英会話を中心に話を書いてみようと思う

次回に続く
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第8部:引退後の暮らし・・・その2(海外出張から)

2008年02月06日 23時25分11秒 | 日々反省の日記
海外出張でイギリスに行ったことから「英語を喋れるようになりたい」という
気持ちが芽生えていた。
元々、英会話に興味はあったものの学生時代に全くといっていいほど
英語の勉強をしなかったせいで、英語は大の苦手科目になっていた。
それでもイギリスに3週間も滞在しているうちに
「英語が喋れるともっと楽しいはず」という思いが強くなっていった。

国内にいるときも海外から研修にくる人達に講師として講習をする事もあり
外国人と接する機会が増えてきたので英会話を習い始める事にした。
この事が将来、今の嫁と出会うきっかけになろうとは、この時は予想もしなかった・・・

最初に英会話を習い始めた場所は、友人の知り合いで外大の講師が開いていた
小さなスクールでした。
といっても身内ばかりで集まったサークルの様なものでしたが・・・

20代後半から始めた英会話は英語の苦手だった私には、大変だったが
レッスンのあと生徒達、皆で居酒屋に行くのが楽しくて続ける事ができた。

次回に続く
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第8部:引退後の暮らし・・・その1(新たな趣味)

2008年02月04日 21時37分45秒 | 日々反省の日記
1988年限りで引退を決意した頃、友人の車で事故を起こしてしまった。
この年は、よくよく運がなかった。
無理に車線変更をしたところに後ろから追突されてしまったのだ。
車は廃車になったが、幸いにも誰も怪我をせずに済んだのは
不幸中の幸いだった。
とりあえず車が無くなった友人に車を手当てしなければならず、
私の過失が6割で相手が4割なので保険で手当てできなかった分は、
マシンを売った金で補填して友人が車を購入する資金に充てた。
これで完全にレースからは引退することに・・・

引退してからは、夏は趣味のオートバイで仲間とツーリングを楽しんだり
冬場はレースをしていた頃から始めていたスキーに没頭していた。
それまでは、正月は田舎で過ごしていたのにスキーをし始めてから、
何年かは正月は友人達とゲレンデのペンションで迎えていた。

仕事面も前年度から初めての海外出張でイギリスに行ったりと
かなり充実していた。
それまでレースの為に色々と犠牲にしてきた事も多かった。
それらを取り戻すかのように日々の暮らしを楽しんだ。

次回に続く
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第7部:2年目のシーズン・・・その4(引退を決意)

2008年02月03日 14時21分43秒 | 日々反省の日記
鈴鹿全日本選手権の悔しい予選落ちから、レースを続けていく事に少しづつ
自信をなくしていた。
菅生サーキットでも予選は補欠枠で結局、決勝は走れずじまい。
筑波では恐れていた裏ストレートか侵入する高速コーナーでの転倒。
エンジンの焼き付きが原因だった。再び右手部骨折。
2回目の鈴鹿選手権ではエントリーすら忘れていた。
他にも西仙台サーキットでも予選落ち等、散々なシーズンであった。
年齢も28歳を過ぎて遊びでレースを続けられる年齢ではなくなっていたし
そろそろ次の人生を考えなければいけない時期がきていた。

この頃、人材派遣で入っていた会社の仕事が、派遣を辞めて個人契約の
形になり個人事業者として仕事も楽しくなっていた事もあり引退を決意した。

次回からは個人事業から会社を立ち上げるまでを書いていきます。

次回に続く
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第7部:2年目のシーズン・・・その3(第2戦鈴鹿)

2008年02月01日 23時03分42秒 | 日々反省の日記
全日本第1選の筑波から一月も経たないうちに第2戦の鈴鹿でのレースがある。
筑波で負傷した私もエントリーしていたので右手のギブスが外れないまま、参戦することになった。
サーキットで走行するときだけ、ギブスを外しマシンに乗るのだが、握力がほとんどない状態ではアクセルを開け続ける事ができない。ストレートを走っていてもアクセルが戻りスピードが落ちてくる事もしばしばである。
結局、予選でもタイムが出せず鈴鹿での悔しい予選落ちである。
体が問題なければ、鈴鹿で予選落ちする事などなかったはずなのに・・・
言い知れぬ悔しさを胸に、鈴鹿をあとにした。

次回に続く
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