老夫婦バックパッカー世界旅

定年退職後、老夫婦で安宿を泊まり歩きの世界旅の記録です

ポルト

2008-03-17 11:06:41 | 西欧の旅
サンティアゴ・デ・コンポステーラからバスに乗りポートワインの町、ポルトに着く。

遠距離バスターミナルから路線バスに乗り市内の中心地に来る。そこで、あちこちとホテル探しをする。今日はポルトの祭りの日だというのでどこのホテルも混んでいたが、日本人スタッフの居る宿を見つけて、そこに投宿することにした。

町中を散歩する。坂道が結構あり、街角には花売りや野菜売りなどが出ていて、やはりポルトガルに来た感じがする。

子供達がドンキーみたいなもので人の頭を叩いて回っていた。私達も頭を下げて喜んで頭を叩かれてやった。なにやら叩かれると幸福が訪れるとか言われたが、はたして真相は如何。

医・食・住

2008-03-14 11:04:18 | 愚観想
人間が生きていくために必要な事柄の三要素は”衣食住”と言われた。衣服に関しては流行とブランドを追わなければ、現在の日本ではあまり重要な要素ではなかろう。従って、この「衣」を医療の「医」に取り替え”医・食・住”は、まだ、生活に重要な基本的な要素になると思われる。

政治の要諦はこの医・食・住を国民に安心して提供することだろうと思う。
果たして、戦後の政治はこれらに対してどう対処してきたか考えたい。

まず最初に「食」を考える。敗戦後まず最初になすべきことは国民を食べさせることでした。幸い”敵国”米国等の援助物資でなんとか餓死を免れ、農産物の増産を奨励し食うに困らぬようになった。その後、貿易立国で重化学工業を推進し、食料を外国から輸入し、現在のような食物需給率が30%まで低下してしまったことに対しては抜本的な解決策を考えないといけない。これについては、次回詳述する。

巡礼の街

2008-03-13 09:44:55 | 西欧の旅
日本ではお伊勢参りとか四国巡礼などがあるが、西欧でもエルサレムやメジナ巡礼と同様、ここサンチティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼が有名である。

フランスなどからピレネー山脈を超え800Kmを歩いてこの聖地を訪れる人が絶えない。
日本人の顔をした一人の男性巡礼者に会う。どこから来たのかとの問いに「私は日系ブラジル人で、父は熊本、母は鳥取の生まれで、今はサンパウロに住んでいる」と言う。

栄光の門を潜り、ヤコブの祭られたカテドラルの中に入る。流石に荘厳な佇まいである。出口近くにお土産を売る売店があり、孫達に祈りを込めて、些細なお土産品を購入する。

聖地・サンチャゴ

2008-03-12 09:44:45 | 西欧の旅
オビエドを出たバスは右に海、左に山を見て西に向けて走る。景色は良い。貝殻を背につけて杖をもった巡礼者も見受けられた。途中、ア・コルーニャの港町に立ち寄りキリスト教三大聖地の一つであるサンティアゴ・デ・コンポステーラに着く。

長距離バスターミナルから市内行きのバスに乗り換えカテドラル近くでホテルを探すが満員でなかなか適当なものがない。近くの案内所で紹介されたカテドラルのすぐ裏手のホテルに投宿する。

部屋に案内されて荷物を置き、窓を開けるとそこには見事なカテドラルが見ることが出来た。

早速、ホテルを出て、裏道を散歩しながら教会を見学に行く。広場には世界中からの巡礼者が集まり、やはりここはキリスト教の聖地であることを実感する。

小さき世界遺産、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会

2008-03-11 11:17:55 | 西欧の旅
ホテルの前からバスが出ていると言うので、それに乗り、最も小さいと思われる世界遺産のサン・ミゲル・デ・リーリョ教会を見に行く。

レコンキスタ発祥の地である、アストゥリアス地方ではならぬ世界遺産であろう。私達、キリスト教に無縁の者にとっては、この小さな教会がなぜ世界遺産であるかが分からない。
それでもイスラム教徒がイベリア半島をほぼ制圧してコルドバ帝国を築こうとしていた8世紀始めここにキリスト教の王国が誕生し、そしてイスラム帝国を撃破していった歴史を顧みればある程度納得することが出来る。

一人1€=134円、支払い10人程度集まり説明員からこの教会の建物を始めとする世界遺産の説明を聞く。言葉が分からず、まつたく意味不明。

ツールド・フランス?

2008-03-10 10:41:05 | 西欧の旅
オビエドのバスターミナルに午後3時前に着く。

駅構内でサンティアゴ巡礼をしてきたと言う二人の日本人男性と会う。40日間もかかって歩いて来たと言っていた。宿は照明書を出せば一泊4€=500円位で泊まれた所もあったと言う。

鉄道の駅近くにホテルを探すも適当な値段のものがないので、サン・フランシスコ公園近くに歩いて行き、そこら辺も探すが、シェスタの時間か案内所も開いていない。

そのうち、道路はお巡りさんで賑やかになり、ツールド・フランスの如くの自転車レースが通過した。ヨーロッパではこのように自転車レースが盛んである。

結局、駅近くのホテルに投宿した。

役人根性

2008-03-07 10:51:43 | 愚観想
先のイージス艦事故に伴う防衛大臣を始め事務次官以下の役人の記者会見などを見るにつけ、役人の組織第一、個人と上司の地位を守るのみの発言が目に余る。事故発生原因の究明は百歩譲って、事故後の対応にもっと誠実さが欲しい。

厚生労働省、国土交通省などの不祥事に於ける大臣、次官を始めとする役人達の発言の責任なさに、この国はいったいどうなってしまうだろうと危惧の念が覚めやらない。

残念、ゲルニカに立ち寄れず

2008-03-06 10:36:03 | 西欧の旅
ホテルを出て長距離バスターミナルまで歩いて約30分かかる。
午前8時45分発のオビエド行きのバスに乗る。バス代はサン・セバスティアン―オビエド間、一人€23.13=3,100円。バスは大型で座席は広く室内も清潔で快適なドライブが出来た。

スペインの北海岸を西に向って走る。途中、バスク地方の産業と文化の中心都市であるビルバオに立ち寄る。ここからバスに乗り換え約1時間でピカソで有名なゲルニカに行けたが残念ながらオビエド行きのチケットを買ってしまったので諦めざるを得なかった。

日本の若狭湾を走る感じだ。ホンダとか日産の車が目立つ。ブリヂストンの工場もあった。

サン・セバスティアン

2008-03-05 10:39:17 | 西欧の旅
サン・セバスティアンは人口20万にも満たない都市である。

リオのコパカバーナにも似たコンチャ海岸の両端にそびえる二つの丘モンテ・ウルグルとモンテ・イゲルドがある。残念ながら海水浴には少し早い季節であったので、泳ぐことが出来なかったので、ただ、散歩するのみ。

若者に紹介してもらった民家の一室みたいなホステルに二泊する。そのホステルは憲法広場に近く便利な所にあったが、変哲も無いビルの入り口を入り、曲がりくねった廊下を上がり4階にあった。中庭からは普通の家族の生活が見受けられた。
部屋の鍵と廊下の鍵の二つを預かり、外出する時にもこれを持って出る。チェックアウトの朝は部屋にそのまま置いていってくれと言われ、三日目の朝は8時に言われたとおりに鍵を部屋に置きそのまま出る。

ビスケー湾の真珠

2008-03-04 10:03:11 | 西欧の旅
フランス国境に近いバスク地方のここサン・セバスティアンは「ビスケー湾の真珠」と言われるように風光明媚な避暑地である。

コンチャ海岸を散歩して、フニクラからケーブルカーでモンテ・イゲルドの展望台に登る。ブルジルのリオほどではないが、コンチャ湾に浮かぶサンタ・クララ島、その先にモンテ・ウルグルの山頂のモタ城などが見えて中々の絶景である。

展望台の料金係りのおばさんがなぜか日本語がなかなか上手い。スペインに入りフランスと違い親日感を強く感じる。