加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「コパクト・シティ」に関する考察(その12):「日本型コンパクトシティ」と市民社会

2005-11-28 00:31:29 | Weblog
 ここ10年ばかりの間、「ネオ・トクヴィリアン」と呼ばれる人々の論説を中心いして、市民社会と民主主義を巡っての議論が世界中に隆盛となっています。
 1830年代にアメリカを訪れたフランス人のトクヴィルは、アメリカ人の間で地域社会における様々な市民的連来活動が極めて活発であることに強く印象付けられ、アメリカ人は民主主義が根付き栄えるために必要な公共心に富む「心の習慣」(habitts of heart)を持ち合わせていると結論しました。このトクヴィルの見解を20世紀末から再び強調するのが、「ネオ・トクヴィリアン」と呼ばれる人々です。
 その立場を象徴する代表的な論文が、ロバート・パットナム(ハーバード大教授)の”Bowling Alone”(1995)であり、その中でパットナムは、20世紀後半に多くの学者によって形成されたソーシャル・キャピタル(社会的資本)の概念をよりどころにして、社会的相互作用の緊密なネットワークが社会の人々の信頼を醸成し、ソーシャル・キャピタルを豊かにし、それが「良い社会」につながると指摘しました。
 そして仲間と一緒ではなく「一人でボーリングする」アメリカ人が増加していることは、アメリカ社会においてソーシャル・キャピタルが減退している証左ではないかと主張し、アメリカの市民社会の劣化について警告を発したのです。
 この論文のインパクトは非常に大きく、それ以来市場でも国家でもない、この2つを補完する第3のものを模索する動きとして「市民社会論」が展開されるようになりました。
 現在さまざまな「市民社会論」が展開されていますが、結論を言えば、私はパットナムが指摘したような信頼が醸成された「良い社会」だけではなく、市民が連帯や協働していく「連帯的市民社会」、さらには『新しい公共』作りを目指す「公共圏としての市民社会」の3つのアプローチを統合したホリスティック(全体論的)な「市民社会」を「日本型コンパクトシティ」において目指すべきであると考えています。