21日の早朝、高瀬川のふち瀬を散策したのち、祇園小路(赤穂浪士の大石蔵之助が遊んだことで有名な「一力茶屋」などがある歴史的風致地区)、建仁寺(栄西が開いた日本最古の禅寺、「双龍図」で有名)、八坂神社(祇園さんの名前で京都市民から慕われている神社、毎年7月日本三大祭の一つである祇園祭が開かれる)を経て、円山公園(昔は真葛や薄などが生い茂っていたところですが、今は八坂神社の裏口で端正な日本庭園として整備されています)から知恩院にまで足を延ばし、浄土宗の開祖である法然上人の御廟と「勢至堂」に詣でてきました。
円山公園では、鎌倉時代に慈円僧正が詠んだ次の歌を思い出し、日本のエロティシズの一端に触れるような感がしました。
「わが恋は松を時雨と染めかねて真葛ヶ原に風さわぐなり」(新古今和歌集)
その後山道を登り法然上人の知恩院に詣でました。知恩院はほぼ25年前に庭園と鶯廊下を拝観したことがありましたが、今回は早朝ゆえに、庭園ではなく法然上人の御廟と「勢至堂」に詣でた次第です。
法然上人の浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土におけると説いた仏教の宗派ですが、御廟に至る石の階段の登り口に、弟子の源空が書いた次のような起請文がありました。
「・・・智者のふるまいせずしてただ一向に念仏して
皆の為に両手印(りょうしゅいん)をもってす
浄土宗の安心起行(あんじんきぎょう)この一紙の至極なり
源空が所存この外に全く別義を存ぜず
滅後の邪義をふせんがために所存を記し畢んぬ」
幸いにして、「勢至堂」では私一人しかいなかったため、法然上人に手を合わせつつ、ゆっくりと時間を費やして、この起請文の一節を何回も心の中で読み上げてみました。
日本のエロティシズと「南無阿弥陀仏」による安心起行という一見奇妙に見える取り合わせが、不思議としっくりと心の中で融合したひと時でした。
円山公園では、鎌倉時代に慈円僧正が詠んだ次の歌を思い出し、日本のエロティシズの一端に触れるような感がしました。
「わが恋は松を時雨と染めかねて真葛ヶ原に風さわぐなり」(新古今和歌集)
その後山道を登り法然上人の知恩院に詣でました。知恩院はほぼ25年前に庭園と鶯廊下を拝観したことがありましたが、今回は早朝ゆえに、庭園ではなく法然上人の御廟と「勢至堂」に詣でた次第です。
法然上人の浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土におけると説いた仏教の宗派ですが、御廟に至る石の階段の登り口に、弟子の源空が書いた次のような起請文がありました。
「・・・智者のふるまいせずしてただ一向に念仏して
皆の為に両手印(りょうしゅいん)をもってす
浄土宗の安心起行(あんじんきぎょう)この一紙の至極なり
源空が所存この外に全く別義を存ぜず
滅後の邪義をふせんがために所存を記し畢んぬ」
幸いにして、「勢至堂」では私一人しかいなかったため、法然上人に手を合わせつつ、ゆっくりと時間を費やして、この起請文の一節を何回も心の中で読み上げてみました。
日本のエロティシズと「南無阿弥陀仏」による安心起行という一見奇妙に見える取り合わせが、不思議としっくりと心の中で融合したひと時でした。
源空とは、法然上人の弟子ではなく、ご本人です。
一枚起請文は法然上人が亡くなる2日前に病床にて説き、それを法然上人の弟子が書き記したとされています。
蛇足ですが、法然上人は幼名を「勢至丸」といい、そこから勢至堂という名が付けられました。
明日(1月25日)は法然上人794回目のご命日です。
平成23年は没後799年目に当たり、浄土系の各本山では盛大に800回忌が執り行われます。
突然のコメント、失礼しました。