合衆国の片隅で新館 2006~

5人と4頭プラスαと2羽と1匹とその他大勢だったアメリカ暮らしは2人と1頭と1匹になりました。

日本に行ってきました

2016-04-04 | 此処じゃない何処かへ

先月、一人っ子のうぃるちをトレーナーさんの友人に預けて(ええ、本気噛みまでされながらもしっかり躾てくださいました。おかげでまた一段とおりこうさんになって帰ってきました。ありがとう~)、日本で甥っ子の結婚式に出てまいりました。東京では娘のアパートに滞在。楽しかった。



飛行機はアメリカンエアライン。旅行会社のキャンペーンでウソみたいな値段で取れたチケットでしたが、基材はボーイングの787、クルーもサービスもとても良かったです。これからはできるだけアメリカン使おう。ノースワーストがなくなって本当によかったわ



映画やテレビ番組の選択肢も多かったけど、いつでも個人モニターで現在地の風景が、前、右、左とみられるのが楽しかったです。



まあ、ほとんどどこ見ても変わらないんだけれども。。。




結婚式は茨城で。なんと、我が甥っ子である新郎の手作りであるというテディベアがお出迎えしてくれました。



神式の結婚式なんて何十年ぶりだろう。新鮮でした。




オットの実家では梅が満開。水戸は臨時の「偕楽園駅」もオープンしていて、いい季節だったみたい。しかし、ここで初めて本当に杉の木から黄色い粉が飛ぶのを見てしまいました。怖いわー。でも十数年も杉から遠ざかっていたことで、体の中のアレルギー値がずいぶん下がったようで、そうひどい花粉症は起こさずに済んだのでした。




挨拶に行った親類の家で、オットの祖父が戦時中満州で受け取った絵葉書とか手紙とか、写真とか貴重なものを見せてもらい、当時のお話なんかもいろいろ聞けたのでした。同じ世代の戦争体験でも、住んでいた場所によってずいぶん違うのだと感慨深いものがありました。私の周りではとにかく食べ物に苦労したり空襲の中を逃げまわったり、ひどい話ばかりを聞かされて育ったのですが、田舎の方はわりとのんびりしていたようですね。
しかし、実際戦地にいる本人が受け取った友人からの葉書の文面には「銃後の防空訓練も猛烈さを増し、防空壕も掘り、敵様を迎え撃つ準備はできました」などと書かれていて!うひゃーっ!




東京に戻ってからは、買い物したり食べ歩いたり。



東京の温泉で楽しんだり。



たい焼き!



ああたい焼き!紫芋とか、いちごクリームとか、サツマイモとか、クロワッサンたい焼きも美味しかった~!



何食べても美味しいけど、1日平均軽く1万歩くらい歩くので太ってる暇もないんですね。




週末だけは娘とデート。



日暮里に「猫の町」があるなんて知らなかったわー。



素敵な古民家カフェで休んだり。



B-1グランプリ食べ歩いたり。



疲れたお腹には優しい自然食のカフェも充実。って本当にすばらしい。



ついに、本物の白紙鋼の牛刀も手に入れました。数年前に愛用の26cm牛刀が完全に折れてしまってから失意の日々(笑)でしたが、やっと思い切り料理できます。と言ってもダメになった牛刀のレベルからは程遠いのですが、それと同じものを今求めようとしたら数万円の単位では買えないと言われて諦めました。これからはこの24センチ牛刀がお友達。

今回のハイライトはこのケーキかなあ。南阿佐ヶ谷の葡萄の木という、お菓子とキッチン雑貨のお店。夢のように美味しい桃のムースでした。中は何層にもなっていて、とても自分では再現できそうもないです。



娘と楽しい日々を過ごして日本を十分に楽しんだけど、やっぱり地元に帰ってくるとホッとしました。

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実は、娘の仕事は本当に忙しく、11時ごろまで晩ごはんも食べずに働いて、帰ってきたらもう食欲もなくなっていてバタン…の日々でした。すっかり痩せて、体を壊して。せめて私がいる間だけでもちゃんとしたものを食べさせようとしたけれど…難しいですね。それでも自分の選んだ仕事、責任を背負ってがんばっていました。内容はもちろん、予算から会場、旅行の手配、こまごまとしたこと全て。それはそれは大変なプロジェクトだったんです。

しかし、その1年間の努力はすべて無になってしまったのでした。。。
先日のベルギー、ブリュッセルで起きたテロ事件。実はあの翌日、あの空港に、娘フーの率いる40数人の公演団が到着する予定でした。国と国との理解を文化交流を通して深めるために頑張ってきたのに、その努力はすべて、国と国とを引き裂こうとする勢力の暴力によって奪われてしまいました。当然ながらフーはひどく落胆し、憤っていました。たくさんの「もしも…」が頭の中に渦巻いてどうしようもない、と言っていました。それでも、母は、何よりもどんな使命よりも、娘が無事でよかった、と安堵しています。あと1日ずれていたら、一体どんなことになっていたのか。娘も、一緒に行くはずだった公演団のみなさんも。子供だっていたんです。本当に…よかった。犠牲になった人たちもみんな紙一重の運命だったはずだったのに。無念です。

でも何も解決はしていないんですね。これからも、またいつこんなことが起きるかわからない。こんな時代に生きていく我々はどうしたらいいのか。

娘はこう書いていました(無断抜粋):
日本の文化発信が注目されがちですが、もう一方で、日本人にとって他文化を身近に感じる環境づくりというのが、同じくらい大事だと私は信じています。今回の事件で、その相互交流に辿り着けなかったというのが悲しく、悔しいです。また海外は危ない、イスラムは怖い、というステレオタイプのループが繰り返されます。でも、過激派組織の行動でイスラムの背景を怖がらないでください。色んなものをひとくくりにしないでください。有事の際だからこそ、小さな理解の芽を育てていく、またいつか、いつか彼の地にこの人たちを連れて行ける時があれば、と強く思いました。(以上抜粋)


こんな時だからこそ、異文化間の対立を煽る勢力に乗せられてはいけない。それでは暴力グループの思う壺だ。それだけは私にもわかります。


茨城で素敵な喫茶店

2015-08-22 | 此処じゃない何処かへ
一行は東京で散り、若者組は一足先にアメリカへ。(ウーはこの頃新潟でお仕事。その後すっかり上越ファンになって帰ってきました)我々夫婦は最後にもう一度茨城に戻りました。



那珂湊線も復活したようで何より。(これは大洗線)

この蛇足をなぜわざわざ書いているかというと、茨城で素敵な喫茶店を見つけたから!…と言っても、オットは何度も来ていて、連れてきてもらったんですけどね。その店は、茨城県大子町の 遊森歩 何度聞いても名前が覚えられないんですけどね。。。(^_^;)ユーモアって読むそうです。



超本格ログハウス


仕舞いの細かさが半端じゃないというか…。


なんとオーナーさんが10年かけて、自分の土地に自分の山の木材で自分で作ったんだそうです。すごいなあ。憧れます。


外のお席はこんな見晴らしで。



何が嬉しかったって、ヌワラエリアなんて何十年ぶりだろう!!!こんな山の中で本格的な紅茶が出されるなんて夢にも思いませんでした。…合衆国の片隅では、本格紅茶どころか、高いレストランでさえ、恭しく運ばれてくるぬるま湯にティーバッグがデフォだからして… また行かなくちゃ。袋田の滝の近くです。

茨城の後は、成田発早朝便でアメリカに戻るために、なんと…


大江戸温泉物語に舞い戻り1泊!

どんだけ好きなの…alien

ツアコンと英語漬けの重圧から開放され、見送りに来てくれた昔の仲間とどんちゃん騒ぎゴロゴロゆっくり楽しんだ温泉は最高でした。大江戸温泉物語良いサービスしてますね。しかし、夜半過ぎると食べ物やさんが全部閉まってしまうのは想定外でした。まさかあそこで飢えるとは…。ご利用の皆さんは気をつけましょう。



「やれやれでちね。やっと終ったでちか。きょーみねーってんでちよ。」



「次からボクが主役に戻るわけでちね。」


さて、どうかな?
長らくお付き合いありがとうございました。こうして日本怒涛の旅を終え、帰ってからは体調イマイチのままゆるゆると日常に戻り、とうとうブーの5年越しの引っ越しを完了。これから、残りの夏、からっぽになった部屋のペンキ塗りでもしようかと考えています。


東京・長野・大江戸温泉物語

2015-08-21 | 此処じゃない何処かへ
京都3泊の観光を終えて、「け」君の家族最後の目的地は東京。外国人に人気なのは、渋谷、原宿、スカイツリー、そして浅草あたりでしょうか。「け」君の亡くなったお父さんが昔出張で浅草に来たことがありました。おなじみ、赤い大提灯の下での記念写真。同じように写真が撮れますように。拠点は浅草にしました。



到着。深夜の浅草寺には、当然ながら人っ子一人いないのですね。



東京での、我々夫婦の宿は若者たちと合流して、かのサクラホステル。なんと目の前が花やしき遊園地!日本人客がほとんどいなくて不思議空間でした。今はバックパッカーが当たり前になって本当に便利。昔はYHととほ宿しかなかった。



浅草寺ではラッキーなことに年に一度のほおずき市でした。一鉢持って帰りたかったなあ。植物大好きの「け」母は、「せめて、その飾りだけ売ってくれない?」と交渉して風鈴だけ買っていました。一方「け」弟がおみやげとして持って帰りたかったのは、大香炉にくべる?(ああ、用語がわからない)ための線香の束。「持って行ってもいい?」と聞かれた私は、「うーん…」周りも「うーん…」。いけない理由もないかもしれないけど、やっぱりこれは、ここにお供えというかなんというかうまく説明できなくても申し訳ないけど「うーん…」なのよ。と無理やり納得してもらい、「け」弟、残念そうだったけど、ちゃんとお線香を手放してきました。



そしておみくじ。四苦八苦しながら漢文を解読してなんとか英語で説明してあげたんだけど、よく見たら下に読み方があった。さらに、ペラッとひっくり返したら英語の解説まで付いてました。がっくり。

東京では、浅草近辺、合羽橋でディープな買い物を楽しみ、新宿をうろつき(ビックロまで免税店になっていて驚いた!)一同へとへと。その翌日は、新宿御苑や、有名な、人間でいっぱいの渋谷の交差点を一度は見ておきたい渋谷・原宿を回る組と、東京脱出組の二手に分かれました。「もう都会はいい。綺麗な空気を吸いに行こう!」と我々が手にした切符は長野、もとい北陸新幹線!JRPassサマサマです。とんぼ返りだけど、長野に行っておそばを食べよう!



いざゆかん!


懐かしい浅間山


長野駅前でお蕎麦を堪能!軽井沢でも小諸でも良かったんだけど、新幹線だとあっという間に着き過ぎちゃうので長野まで行っちゃいました。滞在2時間弱。新幹線のチケットを引き換えるために並んでる時間がかなりもったいない。オンラインでできたらいいのにな。

つかの間の滞在だったけど長野はやっぱり空気が違うんです。人の歩くペースも、お店の人のテンポもゆっくり。長野県に足を踏み入れられて良かった。



そしてその日の午後には、東京・お台場「大江戸温泉物語」!


以前合衆国の片隅で仲良くしてくれていた家族に教えてもらってから是非是非行ってみたいと思っていた温泉テーマパーク。みんな合流して、各自浴衣を選ぶところから大はしゃぎです。ゆりかもめに乗れたのも良かった。ここでもお魚セラピーは人気でした。

やはり「け」家族女性陣は温泉はどう~しても無理、とのことでパス。確かにちょっとハードル高いかもですね。でも温泉には外国人の姿も多く、というより半分以上だったかも。一度入ってしまえばきっと気に入ると思うけど、今回はしかたなかったです。でも縁日の雰囲気や食べ物を堪能したみたいなのでめでたしめでたし。

ここでは私たち夫婦の古い友人たちも合流してくれて同窓会楽しかった~!こういうの、何年かに一度あったらいいな。

翌朝は、東京駅で「け」家族を成田エクスプレスに見送りました。みんな、一生忘れることのない思い出たくさん作って帰ってくれて何よりでした。空のスーツケース持って来て各種ネコグッズの買い物に勤しんだ「け」母、実は一番持って帰りたかったのはカレーパンだったかもしれません。普通はメロンパンの方が人気なんだけどなあ。後悔はかき氷マシーンを買って帰らなかったことかな。今度うちで集まってニッポンパーティしなくちゃね。カレーパンも作りましょうぞ。




京都駆け足観光

2015-08-19 | 此処じゃない何処かへ

大行事の翌日は、水戸から特急、東京で新幹線と乗り継いで一路京都を目指しました。数カ月ぶりに茨城で会った元生徒さんが、「水戸も結構な都会に見えるけど、名古屋や東京と比べたら本当に小さい農村みたいなもんだから!」と「け」君の家族に微妙な自慢?をしていましたが、その通り、東京駅に降り立ち、お弁当を買う!という一大イベントに走り回った一行は「確かに、ここはニューヨークだわ。ただし綺麗でものすごく礼儀正しいニューヨーク!」と感想を漏らしていました。東京駅の売り子さんたちのテキパキとした、それでいて完璧な接客には目玉が落ちるほどびっくりしたようです。でも、まだ十円玉と500円玉の区別もつかない皆さんにはあのスピードは大変だったことでしょう。



大東京のイメージ。「あそこの42階で働いていたことがあるのよ~」なんて、やっぱり盛り上がりますね。


京都初日は、ホテルに着いて、みんなで晩御飯を食べに行って、京都タワーから夜景を見たら終了。団体行動には何かと時間がかかります。



そして2日め。よく歩いた。。。



金閣寺は雨の中で、しかも中国人の団体さんなのか個別旅行なのかしらないけど、とにかくすごい人数とかちあってしまい、傘を避けるのだけで精一杯。ぐったり疲れちゃった。

この後、今宮神社と、

その隣にある、あぶり餅のかざりやさんへ。



その場で串にさした小さなお餅を炙って、柔らかくなったところで白味噌のタレに付けて食べる。事前に予約しておけば、体験もさせてもらえます。串の一本一本、縦に裂け目が入れてあって、お餅がプクーッと膨れるとちゃんと一緒に広がって支えるようになってます。すごーい。



美味しかったです!雨の中だったけれど、つかの間の休息。



次は清水坂にあるガラス館さんに申し込んであったガラス作り体験をしてきました。


真剣な女性陣。男性陣は……?



なんと、抜け駆けでラーメンを食べていたそうです。…くっ! 



でも女性陣はカレーパン食べてがんばった甲斐あって、こんな素敵な結果が!(後から郵送してくれます)


京都3日め 7月8日。今年は、ほぷちゃんのお命日記念日を京都で迎えることになりました。


人酔いした前日の経験から学んで、清水寺は開門の6時から。「け」君のおばあちゃんと私は後発隊で清水寺はパス。






貸し切りですよ~。



清水あたりには「ここにしかいない」毛の生えたかたつむりが生息している……なんて知らなかった~。



銀閣寺で後続組と合流。


2010年7月8日。5年前と同じように写真を撮りました。



2010年6月29日。この一週間でクチナシはほぼ終わっちゃうんですね。それにしても、二人とも、持ち物が変わってない!?




銀閣寺は登りがたくさん。おばあちゃん、がんばりました。「私、やったわ!」って。アメリカではほぼ歩く必要がない人生を過ごしてきたおばあちゃん、こんなに歩いたのは今までの人生で初めてだそうです。

それから、一行はうどん屋さんでお昼を食べて、賀茂川、先斗町を散策した後、新京極へ!「け」母の希望で猫カフェにも行きました。「日本がこんなネコ天国だなんて知らなかった!」と終始目を♥マークにしていた「け」母です。世界で2番めに美味しいメロンパンも本当に美味しかったし、満足満足。それにしても歩き疲れたなあ。京都で最後の晩御飯は、



「なんちゃって」だけど、日本の御膳を楽しんでもらいました。

一行はこの後二手に別れ、数日前から別行動を楽しんでいたウーと私が合流、名古屋へ。残りのメンバーは、「外国人観光客に人気ナンバー1!」と誉れの高い伏見稲荷へ。
名古屋では、なつかしのメンバーとブートキャンプのクラスを受けたり、台湾ラーメン食べたり、シャチホコに乗ったり(オイ)、織田信長サマ(笑)と写真撮ったり、めいっぱい観光客して楽しく過ごしました。地元民の案内があると楽しいな~。ウーは、この後大学のお仕事のために上越へ。社会学のお手伝いでインタビューなどをしに行きました。しばしのお別れです。いや~、大人になったもんだわ。とうとうアメリカでもお酒が飲める歳になりました。
子離れは寂しいけど、感慨深いものです。


名古屋城本丸、金ピカですごかった~。当時、こんな贅沢ができたなんてすごかったんですね。



ニッポン旅行記 イバラキ編

2015-08-18 | 此処じゃない何処かへ


時差ボケの一行を従えて向かったのは、那珂湊の魚市場。


魚介狂いのブーはもとより、ブーの親友チャレンジャーのLちゃん、生牡蠣に始まり、イカ、エビ、たこ焼き、塩辛、ウニ……etc.と食べまくった魚市場。


ピカピカのイカ、持って帰りたかったなあ。


「け」くんは、「新鮮な魚は、目が生き生きしてるんだよ、ほら!」とみんなにレクチャーするほどの成長ぶりでした。

おばあちゃん、初体験。手にウニを載せて叫ぶ!の図。動くんです、これが。



ぶんぶん回るイカの干物。よく考えるとなかなか衝撃的な光景かも。


海なし州に住む我々にはこれが楽しみでした。


磯遊びは飽きることがないですね。

この後、海辺をドライブしてジョイフルホンダへ。何を血迷ったか、モールの方へ行ってしまったけど、考えてみればあれならアメリカのモールとそう大して違わないわけで、むしろ本館の方でクラフト用品とか見せてあげたらよかったかなあ、と反省。

暗くならないうちに、オットの実家へゾロゾロと挨拶に向かい、両家の顔合わせ。つかの間だったけれど、オット母は「手を握って、相手の体温を感じられると、やっぱりいいわね」と喜んでくれました。オット母はすごい!まったく英語がわからなくてもちゃんと日本語で話しかけてコミュニケーションを取っていました。結局それができるかどうか、なんだと思います。そういえば、京都の市バスでも、「け」君のおばあちゃんと、乗り合わせたお年寄りたちが全くコトバが通じないはずなのに、何故か談笑していた姿がありました。そういうのって素敵です。



さて、翌日はフォトウェディング。(わざとぼかしてあります。決して写真屋さんのせいじゃありません)

この時のお料理がメニューを見ただけでもすごかったので、みんなお腹がいっぱいだろうと、二次会のグレードを落として、居酒屋○やにしてしまいました。これは大失敗。予約してあるのに30分も待たされるとか…今回の日本旅行で唯一のガッカリなお店でした。この日まであまりにも忙しく、頭の中がぐるぐるで疲れ果て、せっかく遠くから来てくれたみなさんとあまりお話もできなかったのが心残りです。。。





温泉お魚セラピーと造り酒屋見学

2015-08-17 | 此処じゃない何処かへ

今回の日本旅行は、見事梅雨の時期にぶつかりました。

でも、これが意外と正解。暑さが苦手なメリケンピーポー、肌寒いくらいの気温で本当に助かりました。5年前の夏には、「け」君が「ホームシックには全然ならないけど、アメリカのエアコンだけは心から恋しい」と言ってましたっけ。



梅雨の時期ならでは。あじさいも綺麗だし。


茨城では、温泉に行き、造り酒屋を見学し、魚市場を楽しみ、磯遊びに狂喜、と盛りだくさん!



温泉での初体験はこれです!お魚セラピー!最初はくすぐったくて死にそうになりますが、慣れてくると気持ちいい!



お魚さんの好みは年功序列だそうです。年取った足のほうが食べるところがたくさんあって人気なのだとか。。。男性陣の方がやっぱり魚たくさん集まってました。




茨城県那珂市の 木内酒造 さん



地元なのでスーパーで売っている商品には馴染みがあるものの、中に入るのは初めて。いざゆかん!


見たことありますか?



なんと、地球の裏側のこの街にも売っているのです!1本330ccで5ドルの高級ビールです。




造り酒屋のシンボル、さかばやしもちゃんとぶら下がっています。



古い建物をそのまま生かしたお店の中。


ディスプレイも素敵。このテーブルは昔、絞ったお酒を集めるために使っていた道具。真ん中の赤いところが溝になっていて、お酒はそこを通って樽に入っていったとか。



ここは杜氏さんが働いている、窯場、というのかな?若い女性の杜氏さんがとても親切にツアーをしてくださいました。



ビール工房。ここでは体験でビールの仕込みができるということで、そのビールを結婚披露宴の引き出物にする人もいるそうです!すごい!もっと前に知りたかった!と「け」君も残念そうでした。私も昔ビール作ってみたことあるけど(飲めないくせに)、こんなところで本格的にやったら楽しそう!



少しずつ買ってきたお酒。飲めない私とブーも試飲(試舐?)。いいお酒はやっぱり美味しいのがわかります!飲めないけどね。


この後、アメリカからの家族・友人が到着して怒涛の民族大移動が始まりました。


アルーバ旅行最終回 アラシ・ビーチ

2012-12-04 | 此処じゃない何処かへ
すでに2か月が経ち、記憶も怪しくなってきているアルーバ旅行。これで最終回です。

午後3時の飛行機で島を出る日。朝から最北端のカリフォルニア・ライトハウスとアラシ・ビーチへ行ってみることにしました。5日間お世話になった部屋に息子特製の折り紙とチップを置いて。食材もなんとか使い切ることに成功!でも、現地で買わざるをえなかったコーヒー、紅茶、パンなどはお持ち帰りとなりました。教訓:キッチン付きの宿に泊まるときは必要量の調味料・嗜好品は持っていきましょう。


カリフォルニア灯台は、この付近に”カリフォルニア号”という船が沈没していることに因むそうです。そしてアラシビーチ。このArashiは、日本語の嵐、ストームのことでしょうか?まさかアイドルグループの名前ではあるまいな




全長20kmそこそこの島だから最北端と言ってもあっという間です。
ちなみに、スヌーバを楽しんだのは、この地図のピンクの輪のすぐ下にあるArtilla Shipwreckという沈没船。



残念ながら、現在上へは上れません。知人が新婚旅行で行った頃(5年前?)は上から島が一望できたそうです。いいなあ。ココナッツスタンドはこの灯台のふもとにありました。


このイタリアンレストランが島で、つまり国で一番人気があるそうですよ。


アラシ・ビーチです。


この島はどこも白い砂だけれど、ここはとびきり真っ白。




砂を手ですくってみると、貝殻でいっぱいです。


貝殻拾い、大好き母子はここで飛行機の時間ギリギリまではまってしまう。



実はここはアラシ・ビーチではないのだけど、普通の散歩道に突然ウミガメの産卵地があるんです。ピタピタ、ヨチヨチと海へ向かう姿を観察するのも夢じゃないのねー。


空港まで30分足らず。途中でガソリンを入れたわけですが、まあ、アメリカとは勝手が違うこと!最初に店の中へ入り、ポンプナンバーを告げて現金を先払いした後、自分でガソリンを入れて、余ったお釣りを返してもらいに行く、というシステムで、テンパっていたあまり、「目盛りの7まで入れる」はずのガソリンを満タンにしてしまいました。もちろんレンタカーオフィスでの返金はされず…orz ガソリンは高かったです。しかも、一種類でハイオクのみ。世界のどこにハイオクで走るトヨタ・ヤリスがあるかしら。

そして「3時間前に」空港入りと言われた理由は、イミグレでわかりました。チェック・インで長蛇の列、そして別の建物で、まず出国審査、その上に今度はここにアメリカの入国審査まであるのです。3時間でもギリギリでした。おまけにレンタカーの中にブーが忘れてしまった思い出の帽子は、そこにあることが電話でわかっていてもとうとう取りに行くことが許されず。その場では「着払いで送ってくれる」約束を取り付けたものの、結局うやむやになってしまったようです。最後まで事務関係は南国でした。。。



アルーバはここにあります!
すぐ下が、南米・ベネズエラ。左下が中米で、上の方に長く伸びているのが、キューバ、ハイチ、ドミニカといったところ。

娘と二人きり、夢のような旅でした。またいつか、その日のためにまたがんばろう!

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おまけ。飛行機の中で楽しんだピクショナリー。お題は"remove"です。あのときの私とは雲泥の差でしょ?



私のブログで旅行記がきっちり完結するなんて、グレート・スモーキー以来初めての快挙かもしれない。その分、日本旅行記はパスでーす。


アルーバの植物

2012-11-29 | 此処じゃない何処かへ
アルーバはサボテン天国


…というよりも、もともとが厳しい砂漠気候なのでサボテンしか育たなかった…ってところなのかな?



なので、それを生かして、植栽や街路樹扱い、さらには道路の中央分離帯なんかにまで使われていました。

あとは、ホテルの庭に「これでもか」と美しく植えられた植物たちです。














あ、サボテンの他にヤシの木も自然にふんだんにありましたね。


ほんと、ふんだんに。


「とーりゃーっ!」
それくらいでココナッツは落ちてきやしませんって。


南国南国♪


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舞台は南国から一転して氷点下の中西部。


攻防が続いております。


「ココナッツの入れ物ならお水飲んでやってもいいんだけど。」


クキさん、約6週間前のトラウマをひきずって、自分のボウルから水も食べ物も摂れません。ただいま、「このプラスティックのタンクにお水を入れろ。」と抗議中。→3日間の攻防の末、人間が折れました。。。 orz

プラスティックのタンク、清潔に保てないし、なんか環境ホルモンとか出そうでイヤなんだけどなあ。


元オランダ領アルーバ

2012-11-24 | 此処じゃない何処かへ
いくらなんでもアルーバの旅行記だけは終わらせないと…な今日この頃。家族3人きりの今年の感謝祭は、無事ギョーザとカレーパーティにて賑々しく行われました。

翌日、ドッグパークでクッキーとじゃれてくれたおばさまが「昨日はターキーもらったの?いっぱい食べた?良かったわねー。みんなターキー食べる日だものね。ターキー食べて良かったわねー」と”ターキー”を連呼していて、クキさん不憫でした。今年はターキー(のクビ)なかったね、クキさん。来年食べようね!


「こんな広いドッグパークなの。楽しかったけど、オレ、ターキー食べたっけ?。」


さて、アルーバ旅行。北米中西部から行くと、とにかく食べ物が美味しく感じられます!
20数年前までオランダ領だったということで、独立した今でもオランダの影響が濃く、ベーカリーもオランダ風らしいです。だから美味しいのね。

公用語はオランダ語と英語、他に地元のパピアメント語、さらにスペイン語が話されています。地元の人は、家庭でパピアメント語を使って育ち、小学校に入ると授業はオランダ語で行われ、学年が進むとそこに英語とスペイン語が入ってくるので、国民全員が4カ国語使えるんだそうです。

アルーバ、この夏のオリンピックには水泳の選手も輩出して、見事4位だったそうですよ。端から端までわずか20kmくらいの独立国、さぞかし大騒ぎだったことでしょうね。

観光客としての我々がここで出会った人々、タクシーの運転手さんは地元アルーバ人、小さいホテルやイベント会社ではオランダ人が多く、大きいホテルのコンシェルジュはアメリカ人、という感じだったけれど、みなさん、見事に相手によって瞬時に言葉を切り替えていたのがとても印象的でした。私のような「大人になってから苦労して第二言語を身につけました」みたいなのとはもう根本的に違う、ナチュラルな切り替え。羨ましいなあ。



イグアナ君と同席のレストランにて。オフシーズンで軒並み閉店のレストラン街、かろうじて開いていたお店です。



食べたパフェが美味しかったんですが、その見た目は結構すごかった…。細かいことにこだわらないのが南国風?



ダッチ・マーケットにて。チョコレートムースは絶品でしたぁ。



ケーキも毒々しいフードカラーではなく、フルーツで飾ってあるんですよ!日本みたい。


オランダ人作家ブルーナさんの原語版ミッフィーちゃんだ!


ある日の朝ご飯。左奥のはキューリのスプレッド。サワークリームベースに薄切りのキュウリが入ったもので、トーストに良く合いました。それにしてもカナダも南の島もパンが美味しい。アメリカのパンはどうして…(涙)。



クレープやさん
日本のみたいに、紙にくるまった三角のクレープをちょっと期待したけど、やっぱりお皿に載っかってきました。



灯台のふもとでココナッツを売るおじさま。大きいナタを振り下ろして削ってくれるのをその場でもらいます。$3なり。



食べ物じゃないけど、ナイトマーケットの写真。この島は豪華クルーズの立ち寄り先で、そうそうたるブランドの店が軒を連ねているんですが、対照的に安物も徹底してすごい!明らかに素人が描いた絵や工作品にマジックで「ARUBA」なんて書き込んで売ってます。買えないよ、どっちにしても買えないよ。



オランダ物は可愛いなー。



クルーズ船ってこんなの。私にこの島を勧めてくれた人達もこんなのに載って旅行したんですねー。


ランダム写真集化しているAruba旅行記、まだ続きそうです。


文化の日のパフォーマンス

2012-11-03 | 此処じゃない何処かへ
ちょっと急ぎのお知らせです。

実は今日、片隅タマ子、目からウロコのすごーいパフォーマンスを見て感動してしまいました。つきましては、その同じパフォーマンスを明日も見に行くつもりでおります。

とある日本の伝統芸能、でも現代を取り入れた、若い子たちのパフォーマンスです。

場所は東京都下、時間は午後早く。ここではこれだけしか書けないのですが、明日の朝7時までに、←左メニューからメール(メッセージ)をいただければ、詳細をご返信します。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、ご連絡くださいませ。

ああー、あまりにも思わせぶりでごめんなさい。とても急でとても短い期間のお知らせで、でも多くの人に見ていただきたいなー、と苦肉の策で告知させていただきましたー。




「パフォーマンスくらいボクだってでちね。」
「なんかうちのがーちゃんに関係あるらしいんだよな。」


「あらよっとでち。」



アルーバ ベイビービーチへ

2012-10-22 | 此処じゃない何処かへ

アルーバ旅行記、続いております。

ピンクのマルがベイビー・ビーチ。最南端?最東端?


このあたりはドンキー(ロバ?)のサンクチュアリになっているそう。


車はそこらへんの道路に適当に停めます。

しばらくシュノーケルで遊んで発見、水が青く明るくて綺麗なところは砂地なので魚がいない。


海草やサンゴのあるところは水の色が緑色に見えて、そこはもう魚の楽園です。ここで初めてアジ玉みたいな、何千何万という魚の群を見ました。


とにかく穏やかな、遠浅のビーチ。気がついたらもうほとんど人がいない。


さあ、何してあそぼ。


バレリーナごっこはどうだ!



楽しゅうございました。おかーさんバージョンは見るに耐えないのでボツ。バレエ暦、トータルでは私のほうがずっと長いのに、やっぱり敵わないなぁ。


名残惜しいベイビー・ビーチを後にして帰路につきました。


ダートを走りながら、ふとがけの上に目を凝らすと、何か動いてます。


野生のゴートの群れ。


野生の馬もいるしね。


写ってないけど、このあたりにも犬がたくさん。動物天国でしたね。


夕暮れのダウンタウン。


帰りに立ち寄ったスーパーで。なにこれ?6円99銭なら山で買っちゃいますが?


旅行先で車がある便利さをかみ締めた一日となりました。本当はバスで移動したかったんです。Arubusって名前も可愛いし。(余談ですが、ここのバスはアルーバスだけど、銀行はアルーバンクじゃなくて、普通にAruba Bank。なんかつまんなーい。)バスは時刻表があってないようなものだし、Villaのある北部では1時間に1本しかない、ってことで残念ながら乗るチャンスがありませんでした。残念だなー。旅行するなら路線バスに乗りたい!



「で、今日も出番ないワケ。へー。」

クキさん、一週間ぶりに食事台からご飯が食べられるようになりました。大きいトラウマ、克服してえらかったねー。というか、この一週間手から食べさせたり、食器をお持ちしたり、なだめたり、すかしたり、脅したり私たちニンゲンもなかなか偉かったと思うんだけど…ダメか。


アルーバ シーフードレストラン Zeerover

2012-10-20 | 此処じゃない何処かへ
実はまだ終わってなかったアルーバ旅行記再開します。

「ってことはオレたち一回休み?」
「一回で済めばいいでちけどね、むかつきまちねえ。」


Day 3の午後。 Villaのお姉さんが予約してくれたレンタカー、ちゃーんと時間に迎えに来てくれました。若いカリブ系のお兄さん、私たちを一目見るや「君たち、ミックスでしょう!」 唖然としました。人種に関する話題ってアメリカでは本当にタブーなので、普段はほとんど「アジア」という言葉さえ耳にしない私たちです。質問の意味を掴みかねて「ええとー?」と答えあぐねていると、さらに「ほら、だってキミ(ブーちゃん)目がチャイニーズみたいだもん。チャイニーズのミックスなんでしょう?」目をキラキラさせて「当たった?」って感じ。いやな感じはぜんぜんしませんでした。差別的な意味じゃないのは明白だったから。でも、アメリカでこれやったら大変なことになりそうだな。

とにかく、「ミックスじゃなくて、日本人よ。」と胸を張って答えたら、「ってことはチャイニーズジャパニーズなんでしょう?」なんでそうなるんだよ!…ってくらいここではアジア人に馴染みがないんでしょうね。それでも中華系のマーケットは何件も見たんだけど、少なくとも日本人はあまりいないのかもしれない。日本人は中国人とは違う国籍で、一応違う人種なのよー、って教えたけど。なんだか細かいことはどうでもよくなってくるアルーバ3日目なのでした。

しかし、日本人はほとんど見かけないものの、ゴージャスな(らしい)Japanese Restaurantはあるし、なにやら「ササキアパートメント」とか「アラシビーチ」なんていう日本語っぽい地名もゴロゴロ。日本由来なのかもしれません。世界はどんどん小さくなっていきそうですね。

そうして借りたレンタカーは、トヨタのヤリス。日本で言うヴィッツで、ひとつ前の型でした。地元でレンタカーを借りるとたいていピカピカで傷ひとつなくて緊張するものだけど、さすがアルーバ。これはもう傷だらけ、テールランプの片方は割れてる、集中ロックなんてとんでもなくて、窓も手動でグルグル回して開ける、とまずめったにお目にかかれないカッコよすぎる車。いいなあ。残念ながらATでしたが。

ここアルーバは、なぜか運転が結構荒いんです。のどかなところで急ぐ必要なんて何もなさそうなんだけど、一般道の制限速度が80kmだし、もうみんな飛ばす飛ばす。それでいて、突然観光客乗せた馬が横切ったりするんで油断ができません。いつものように超頼りになるナビゲーターのブーが隣に乗っていてくれたのでかろうじて運転に集中できたけど、工事の多い街中やほとんど目印もない分かれ道、一人では厳しかっただろうなあ。


信号はこんな。


ガソリンスタンド。どっちのノズルもプレミアムですがな。


ちなみにガソリンは1.25リットル/L くらいでした。ヨーロッパの影響を受けているから単位がSIなんですね。これはありがたい…と言いたいところだけれど、アメリカンスタンダードにすっかり慣らされている我々にはちょっとした混乱となりました。ガソリンの値段は全島均一、種類もひとつ(全部ハイオクだって)ひとつのスタンドにセルフとフルサービスとがあったりします。で、クレジットカードの機械はなくて、現金払い。セルフのときは前もってレジに行ってフルタンク分くらいの金額を払い、入れ終わってからもう一度レジへ行って差額を現金で返してもらう、というややこしいシステムでした。 レンタカーも満タンで借りて満タンで返すというのに慣れすぎていたので、つい「メーター7分目で返すように」と言われていたのを忘れてフルタンクで返してしまったり。これは交渉したけど戻ってきませんでしたねー。

それから、どうも、「一時停止」が極端に少ないような気がしました。その代わりに「先方優先道路」みたいな標識があって、つまり、明らかに車が来なければいちいち停まらなくてもいいってことなんですね。合理的といえば合理的か。多くの交差点はランダバウトでした。これは好きだけど、二重になっているランダバウトは緊張します。慣れるまえに帰ってきちゃった感じです。


滞在先の島の北西から、中央のダウンタウンを通って最南端のベイビービーチまで。そこからちょっと北東をドライブして島の裏側を覗いて戻ってくるルートにしました。なんたって島の端から端まで20kmあまりです。自転車でもいいくらいじゃない?



こんなクルーズ船が観光客をどっさり運んでくるんですね。


ダウンタウンの真ん中


実は、目指していたのは、「魚が食べたい!」と言う私たちに地元の数人が口をそろえて薦めてくれたZeeroverというレストラン。その日に獲れた魚や海老をその場で調理して食べさせてくれると聞いて行く行くモード全開のブーちゃんが張り切ってナビしてくれました。



わーい、見つけた!


ZeerOver


メニューらしきものはこれだけ!







サンタモニカで行ったBubba Gump (トム・ハンクスのフォレスト・ガンプの店)をワイルドにしたような。


番号札とおつり。四角いコインがある! この島では米ドルがそのまま使えます。地元のお金はフローリン。1ドルが1.75フローリンとなっていて、どの店でも最終的に米ドルに計算してくれて、小銭は大抵フローリンで戻ってくる。

待つこと15分くらい?


じゃじゃーん!大きな超安っぽいプラスティックのカゴに入って出てくる。最高!海老と、魚と、ポテトに、なんとバナナのフライ。これが普通フライになるバナナみたいに甘くないやつじゃなくて、普通の甘いバナナのフライなのでびっくりしました。あと、紫オニオンの甘酢ピクルスみたいなのがついてました。


幸せなブーちゃん


ちょっと悲しいブーちゃん


このパパイヤソースがめっちゃくちゃ辛い。甘いんだけど辛い!


微妙に揚げすぎだったけど、お腹いっぱい。満足してベイビー・ビーチへ向かいます。

異様に長くなったので分けます~。



Aruba で 乗馬

2012-10-09 | 此処じゃない何処かへ

アルーバに到着した日は、もうひたすら歩いて歩いて食べるものを探して終わりました。「このゴージャスなリゾートで飢えてるのってきっと私たちだけだよねー」なんて冗談を言っていられたのは最初の20分くらいだったか。歩いても歩いても店一軒見あたらず、ビーチばっかり。やっと繁華街らしきところに出ても、恐ろしいことにレストランもヴェンダーの食べ物やさんも見事に閉まっているのでした。やっとのことでなんとか開いているフードコートみたいなところを見つけて晩ご飯を注文。残りを持ち帰って、とりあえず翌朝のご飯を確保。……ってどうしてリゾートに来てこんなことしてるんでしょう(涙)。

翌日聞いたところによれば、「オフシーズンだから」 …だそうです。ほとんどの観光客はオール・インクルーシブでホテルに食事が含まれているのでわざわざ外に出ないんですね。なのでレストランは閉まっている。知らなかった~。


最初の間違いは、敢えてオール・インクルーシブのホテルをやめてVillaを取ったのに、ろくに食料を持ち込まなかったこと。そしてレンタカーの手配をしなかったこと。さらに、周りにスーパーマーケットの一軒もないと知らなかったこと。次回の教訓としましょう。

ともかく、なんとか朝ご飯を終え、Day2が始まりました。午前中は近場でシュノーケルを楽しんで、午後は乗馬のツアーです!

実は、今の家に引っ越すとき、選んだ決め手は、隣が馬牧場だったことでした。実際、娘2号のフーは結構長い間乗馬を習っていたりしたんですが、当時バレエで大忙しだったブー、そして親の私は実は一度も馬に乗ったことがなかったんです。

だからって、何も海のリゾートでわざわざ乗馬をすることもなさそうなものなんですが、この青い海の横を馬に乗って歩いている写真を見てしまったらもうたまらず。villaのフロントの人に言ったら、申し込みもピックアップの電話もしてくれたし(やはりオランダ語の方が話が早いみたい)、時間きっかりにお迎えのバンも来たし。スムースでした。


いや…ほぼ、スムースだったんですが…問題があったといえばちょっとあったような…のは、この写真の隅にチラッと写っているお方(とその奥様)。




「え?馬に、ののの、乗るんですか?本当に?」という150kg級の方々だったんです。当日は32℃ピーカンの直射日光バリバリの日。無事に馬にまたがった娘と私、そこのお嬢さんを馬の上に待たせた状態で「強い馬じゃないとダメよ、私が乗るんだから。それから私を馬の上に載せるのにもっと人がいるわね。2人じゃ無理無理!っていうのが始まって…軽く15分、馬の上で日あぶりの刑になっていた我々でした。




まあ、実際のところ、馬は意外と丈夫でそれくらいの重さでも大丈夫…らしいのですが…(涙)でもさあ。。。なんだか気が気じゃなくて、初めて馬に乗った印象とかぶっとんでしまいました。でも、ほぼ想像通り。「高い」って聞いていたから「ああ、確かに高いな」って。あまりに想像通りでデジャブ?って思ったくらいです。

まあとにかく3人がかりでなんとか彼らを馬の上に押し上げてツアーは出発!



よろしくねー。



最初は道なき道を歩きます。「これは馬じゃないと無理!」っていう道を造ったんだろうなあ。


ここでブーの乗った馬が突然暴走。この前に車の通る道路を渡ったのですが、そのとき車が近かったか何かで馬たちが興奮してしまい、馬同士のいさかいが起きたんです。走り出す馬にひきつるブー。この馬は最初から今日は仕事の気が進まなかったようで何かとブーに嫌がらせ(笑)をしていたとか。で、ここでインストラクターさんと馬交替となりました。



こんな車道脇も、ビビることなく、初心者を乗せて淡々と歩くんだから馬ってお利口です。でも、やっぱり扱いが素人なのは一瞬でバレて、ナメられちゃうんですね。私の言うこと、あまり聞きません。先頭のガイドさんが「アリババ(私の乗った馬)、水が大好きだから注意し……」言い終わらないうちに、


アリババ、海に突入。

垂直にどんどん沖に進んでいく(実際は数メートル)ので、このまま帰ってこられないのかと思いましたが、しばらく水と戯れてオシ○コなど豪快になさって、気が済んだのか、列にお戻りになりました。



粛々と。


1時間のツアーを選んで正解でした。2時間とか半日とかだったら体力持たなかった~。腹筋、かなり使いますね。あれは身体絞るのに良さそうです。初日は飛行機と歩き疲れ、2日目はこの乗馬とまたもやランチを食べる場所を探して歩きまくりで疲れました。

幸い、このツアーの帰りにスーパーで降ろしてもらって、また迎えに来てもらって送り届けてもらって…という夢のような幸運があったので、この日の晩ご飯と翌朝の食事は確保。コーヒーやお茶やパン…という当たり前のものがある幸せをかみしめました。ただ、普通のスーパーにはやっぱりそんなに魚を売っていないのでちょっとガッカリかな。新鮮な魚を買ってデッキでグリルして食べる!というのがちょっとした目標だったのだけど。



アルーバのお家はどれも可愛いかった。



「オレもまた馬さんと遊びたいー。」



Aruba旅行 イキモノ編

2012-10-04 | 此処じゃない何処かへ


このカバーアップは、1枚の布でできてます。ブーが布を買って、四辺を縫ってくれたもの。いくつか結び方のパターンがあって、水着の上に羽織るのに便利。



ホテルの沖合数百メートルのところに唐突に存在する難破船。
これ、ハリケーンカトリーナの前までは影も形もなくて、ハリケーンの通り過ぎた朝、そこに忽然と現れたそうです。この島は、いわゆるハリケーンベルトの南にあり、通常ハリケーンの影響を受けにくいところにあるのです。それがここを行き先に選んだ理由でもあったのですが、カトリーナがどれほどの威力だったのか、ということですね。

このあたりまでは恐ろしいまでの遠浅で、シュノーケルで行こうとしたけれど、浅すぎてほとんど泳げませんでした。かといってフィンを付けて歩くのも大変。裸足だとサンゴや貝殻で怪我をしそう。ということで断念しました。



海岸を散歩してホテル群の中に入っていきます。






ウチの鉢植えと同じ植物とは思えない。。。



こんなビーチがゴロゴロと。


だーれもいません。


ウィンドサーフィンとかカイトボード?とかジェットスキーとか、マリンスポーツ選び放題みたいでした。


実は、これは滞在中から「ブログに書こう!」と思っていたのですが、なんとアルーバは野良犬天国!



ビーチはどこも



野良犬ちゃんだらけで


勝手に海に入って泳いだり


そこらで観光客と戯れたり



そりゃーもう



好き勝手に



犬生を謳歌していました。


水や食べ物はどうしているのかな?誰かが面倒を見ているのかもしれませんが。ペットの犬たちみたいな生き方ももちろんありだけど、こういう自由を持った犬たちも幸せそう。


でもって、ビーチにいるのはもちろん犬だけではなく、ウミウシも転がってたし、


お約束のカニさんもね。


綺麗ー、と手に乗せたのはいいけれど、痛い痛い痛い!



ごめんなさい。私が悪かったです。


怒ってるし。


そして!南国名物?これまたお約束の、イグアナやトカゲ天国でもありました。






さて、イグアナさんはどこでしょう。






何か食べてると寄ってきます。



ちなみに、食べていたのは島最大のオランダ系マーケットで買ったデニッシュ類。甘いのだけじゃなくて、ハムやチーズ、ソーセージの入ったのもあってとっても美味しかったです。






噂を聞きつけて(?)ぞろぞろとやってきます。



だんだん


遠慮が


なくなってくる、というか


ちょ、ちょっと…



触っちゃった。ざらざらして乾いてました。ほぼ想像通り。


今日は「イキモノ編」をお送りしました。



「そのお肉、ここでたき火して焼いて食べたら美味しそうでちよ。焼きトカゲでちー。」





アルーバへ到着初日 

2012-10-02 | 此処じゃない何処かへ
今回は時間を節約するために、離れた州に住む娘との中間点を出発空港に選びました。その町のホテルで1泊して早朝の便で出発、ということで犬たちも一緒にお泊まり。


「2時間も車に乗せられてオレもうげっそり。こういうのってカンベンしてほしいの。」


「ドア越しにどっかのヤクザ犬とケンカしてやったでちよ。これから南の島へ行くでちねえ。」行きません。


空港で犬たちとお別れして、いきなりここで里心がつく私。


南部の空港で乗り継いでカリブ海上空です。乗り継ぎまでは寒かったけれど、リゾート行きの飛行機の中は既に南国。空気が浮かれてたなあ。


アルーバ!!

1980年代まではオランダ領だったというこの国、今でもオランダの影響が強く、オランダ語も公用語の一つとのことです。他に、地元のパピアメント語、英語、スペイン語が使われ、誰もがこの4言語を自由自在に操るんだって!…とタクシーのお兄さんに聞きました。家庭ではパピアメント、小学校はオランダ語で授業が行われ、外国語として英語とスペイン語を学ぶそうです。私のようにいちいち「あー」とか「うー」とか言うこともなく、相手によってパパッと言葉を切り替えるその様子は何度目の当たりにしてもAmazing!でした。




空港からのタクシーは政府が決めた料金だそうで、白タクの心配はありません。(でも、代わりにものすごーく安く乗せてくれる民間のバンもあるらしいですよ。縁がなくて乗れなかったけど)それでも私たちが滞在した北部の宿までは30ドル以上かかったので、できればバスに乗りたかったのです。だけどバスは荷物のある客を乗せてくれません。どこまでも観光仕様になってる…。

後で思えば、キッチン付きのアパートメントに滞在する時点で、スーパーマーケットの場所確認は一番最初にすべきでした。そしてそれがわかっていればこの空港からレンタカーを借りるのが正解だったんです。

…が、後の祭り。いくつかの繁華街を通り抜けてたどりついたそのアパートメントは…


Aruba Beach Villaに到着。おお、良い感じだ~!









しかし



CLOSED が~~~~ん

「いらっしゃいませゲストさん、ご挨拶できなくて残念ですが、オフィスはただいまの時間閉まっておりまする。右に案内図貼ってあるから、自分の部屋に行ってちょうだいね。では明日会いましょう!」だって。
さすがにオドロキました。半信半疑で部屋に向かい、ドアを引くと…開いてます。カギは…なんと、テーブルに置きっぱなし。やるな、アルーバ。

もちろん大きなホテルではこんなことは起きないのでしょうが、私はどこに行ってもできるかぎりキッチン付きに泊まります。地元のスーパー巡りが何より楽しみ。旅行先で外食ばかりって耐えられません。非常食のお米と海苔と醤油、梅干しは必須。アルーバの一般的な利用客はall inclusive(食事、チップまでもすべて込み料金)のホテルに滞在して優雅に過ごすみたいだけど、今回もこれで正解でした。

…とは言え、近くにスーパーマーケットがなかったのは痛い。スーパーどころか、レストランへも1マイルほどビーチを歩かなければ行けません。しかも、オフシーズンで繁華街のレストランがほとんどランチタイムに閉まっていて、初日、2日目は餓えそうでした。ゴージャスな海を前にお腹を減らしているって結構切ないです。こんなところでこんな経験してるの、私たちくらいだろうか…。とくにうちのブーちゃんはお腹が空くと凶暴になるので、なんとか空腹になるまえにfeedせねば、と歩きに歩いた2日間でした。



小さいけど、清潔で必要なものはそろっているキッチン付き。BBQグリルやブレンダー、その他必要なものはフロントに言えばなんでも貸してくれます。…ただ、問題はそのフロントが9-5時しか開いてないってことなんですが。



部屋のデッキの真向かいが海って素晴らしい~。


そして、とにかく食料探しに出かけることにしました。


Arubusという路線バスがあるのだけど、この時刻表がまたあってないようなもので、人に聞くと「ここではバスは終点まで行って5分後に引き返してくるから、とにかくバスが見えたらその5分後までに準備して道に出て待て。(合図すればどこでも乗り降り可)」というんです。しかも1時間に1本。とうとう一度も使うチャンスがなかった。


ビーチをひたすら歩いて……



ときどき止まって。




マリオットの新館を建設中。ホテルの部屋ってこうして見るとただの穴なのねえ。




おー、リゾートに入ってきた……




すでに日が陰ってきてますが…



歩いて……



繁華街に着く頃は既に夜ですが。



賑やかな夜のリゾートを楽しみました。



帰り道は真っ暗で怖かったなー。夜のお出かけには注意しましょう。


つづく。(と思う)