合衆国の片隅で新館 2006~

5人と4頭プラスαと2羽と1匹とその他大勢だったアメリカ暮らしは2人と1頭と1匹になりました。

シュノーケリング

2012-10-01 | 此処じゃない何処かへ
船から沈没船のあるダイビングスポット(島の南側にいくつもあります)で、スヌーバチームの我々以外はシュノーケリング。スヌーバの20分間ほどを終えたら私と娘もそちらに合流です。ここからは手持ちの防水カメラで。


こちら↑がオリジナル画像。黒山羊さんにいただいたコメントを参考に、ちょっとだけ色補正してみたのがこちら↓

確かにこんな色だった気がします。



これも補正済み。





ここからはオリジナルのままです。


大きめの青い魚は一心不乱に船の底に付いたコケを食べてました。


ツアーボートが止まると、エサをもらえると思って魚が寄ってくる。魚が集まると当然それを狙ってペリカンが。


このペリさんはスタッフ達のアイドルみたいでみんなに声を掛けられていました。


パンを握りしめたスタッフに群がる魚たち。私、魚のヒレで指を刺されましたよ。血が出てびっくり。


一カ所で45分楽しんだら、船のカウンターでサンドウィッチやらフルーツやら飲み物をもらって。


アルーバカクテル…綺麗な色だけど(>_<)。バナナ味のカクテルは私には無理~。でもとりあえず満面の笑みを保ちつつ、日本語で「まずい~~~!」と叫ぶ私たちでした。



なんとワンコ連れの客がいたんですよ。チワワサイズのミニチュアピンシャー。賢い子だったけど、「落ちたらどうするんだよー(>_<)」と気が気じゃなかったです。


2時間おきにサンスクリーンを塗りたくったけれど、見事真っ赤っかになりまして、帰りの飛行機は背中が痒くて辛かった。この太陽じゃ無理もないですね。でも実際ここにいると風が気持ちよくて太陽がそんなに強いということを忘れてしまうのです。


実はこのボートツアーの他に、陸からもスノーケルに挑戦してみたんですが、滞在先の近くのビーチは、気が遠くなるほどの遠浅で、100メートルくらい沖に出ても水深20センチ、みたいな。フィン付けて歩くのは無理、なんとか泳げばあちこちすりむくし、何かに刺されるし…で、やっぱり海って厳しいところなのね。しばらく滞在してもうちょっと冒険したかったです。


「オレ、お水は苦手。」




シュノーケルとスヌーバのツアーへ

2012-09-30 | 此処じゃない何処かへ
一週間留守にして、戻ってみると…

紅葉が始まっていました!

一週間って結構長いのね。


いちじくの実も着実に大きくなってます~。でもこの分では初霜までに食べられるサイズには…成長しないだろうなあ。


さて、Aruba旅行記みたいなものを。

今回のvacation、南国のリゾートで、普段離れて暮らす娘と2人、楽しくないわけがありません。もう最初から期待値も高く、実際期待を裏切らない楽しい日々だったのですが、さすが南国さすがリゾート。地元の人々はとにかく二言目には「人生楽しまないと!」と、とことん明るい。それでですね。当然ながら事務処理すごいいい加減~。

リゾートなので、大資本のホテルやら観光業界が取り仕切っているのですが、そういう施設で正規に働く人々のきっちり具合と、地元の人々のてきとー具合に結構翻弄されたのでした。

一番大変だったのは、滅多にないという大嵐の夜の翌朝、シュノーケル船ツアーのキャンセルでした。出発前にネットで予約し、当日はバスのピックアップもあったのを、敢えて安全のために40分もビーチを歩いて現場に向かったのですが、手続きを済ませて「待て」と言われたところで待っても待っても船が出ない。まあ誰も待つことで文句を言ったりもしなかったのですが、ようやくスタッフが現れたと思ったら「嵐の影響で船のメインコンピュータが壊れた。今日のツアーはキャンセルになるので、フロントデスクで手続きをしてくれ」と。

そして、そのフロントデスクに一番近い位置にいた私と娘が一番にデスクへ向かったのですが、「キャンセルになったツアーの再予約か払い戻しの手続きを」と言うと「えーっ!船がキャンセルになったー?」って。こちらのスタッフには話が行っていないんです。

そんなこんなで、とにかく翌日のツアーに振り替えてもらうことになり、引換券をもらってその日のスケジュールはすっかりメタメタになった我々ですが、まあそこまでは仕方がない。

問題は翌日でした。

今回はきちんとバスのドライバーに確認して、30分前に近くのホテルからピックアップしてもらうことにしてあった…のに…時間を過ぎてもバスが来ません。

船の出発10分前になり、さすがに不安でホテルの中にあるツアーのコンシェルジュに相談すると、「今日、うちのホテルの前でピックアップはありません」と言い切られました。でも昨日ドライバーにハッキリ確認を取ったのだ、と言うと「ドライバーにはそんな権限はないはずなんです」と。

とにかく私たちは言われたとおりに言われたところに来たのだから船に乗らないわけにはいかない、なんとかしてくれー!とねじ込んだら、「自力でタクシーで行ってくれ。運が良ければ間に合うかも」みたいなお返事です。いや、それはおかしいでしょう、とここから徹底交渉。…しているうちに当然船の時間となり、船は出てしまいました。しかも、私たちのもらった引換券というのが、実は前日の(元々の)ツアーのチケットそのままだったのでした。
それを確認したコンシェルジュは「残念だけどこのチケットは払い戻し不可のものだからどうしようもありません」とか言うのです。

いや、どう考えてもこちらには何の落ち度もないのだし、私たちのスケジュールがめちゃめちゃになった上にその仕打ちはないでしょう。ここまでくると私は感情的になってしまうので、交渉上手の娘ブーにバトンタッチです。すったもんだの末、上のマネージャーが出てきて、やっと現場職員の手落ちを認めてくれて、チケットは再発行、ツアーは少し時間が短くなってしまうけれど当日午後のものに振り替えてくれて、さらに割引もしてくれました。

とりあえず、元々のツアー料金を払い戻してくれて、新しいツアーを現金で支払いです。


…長くなりましたが、ようやくめでたしめでたし!


…と思ったんです。


午後までの時間をプールやビーチでのんびりつぶし、お昼ご飯も食べてさあ、気を取り直してでかけるか、というとき私のiPhoneにメール着信。なんとびっくりクレジットカード会社からの確認で、「ツアー会社から○○○ドルの引き落としがあったが、身に覚えはあるか」というもの。ありませんって。

もう新しいツアーは現金で払ってあるし、あとはツアー会社から払い戻しがあるはずで、引き落とされてるはずないんです。ここでまたツアー会社とメールのやりとり。そうこうして時間がなくなっているというのに、立て続けに残り2通の同じメールがクレジット会社から届きました。半分パニックの私に、さすがアメリカの社会で日々揉まれ続けている冷静な娘が一言「大丈夫、このお金は何があっても絶対に私が取り戻します。お母さんは心配しないで。」もう娘にしてあげられることはないなー、と頼もしかったです。


とりあえず、この心配事のことは見えない棚に載せて、とにかく目の前のツアーを楽しむことにしました。 結局、ツアーを終えて夕方、ツアー会社から謝罪のメールが来て曰く「申し訳ありません。あなたのアカウントに○○○ドルの払い戻しを1回するつもりで、引き落としを3回もしてしまいました。これはもちろんすぐに払い戻しましたし、こちらがレシートです。」

…結局こうして事なきを得たのですが、精神的にドドッと疲れた一件でした。「なんとかなるさー」と明るく生きることができればいいけど、そうそう呑気にはなれないもんです。


ともあれ、今日はシュノーケリングツアーの写真を。(長くなりますよー)



ツアーが出るピア。



楽しく飲み食いしながら出発を待つ仕様です。


マスクをかぶるために娘に前髪を編んでもらっていたら、いつの間にかお札を手に持った「お客さん」が次に並んでいた、という(笑)。


シュノーケルツアーがメインなのですが、私たちはオプションでスヌーバを申し込んでありました。スヌーバというのは、シュノーケルとスクーバの中間みたいなもので、タンクを背負わず、海上に浮かべたボートの上から空気のチューブをつないで潜るタイプのダイビング・アクティビティです。私は一応、Cカード(スクーバダイビングの認定証)を持っているダイバーのはしくれ…ってことになっているのですが、いかんせん大昔の話だし、実際に海で潜ったことはほとんどないペーパーダイバーです。娘に至っては、6歳で一回、15歳くらいで一回シュノーケルをしたことがあるだけ、という未経験者なのでスクーバのオプションはなしでした。

スヌーバなら、全くの素人でも大丈夫!とパンフレットには書かれていたので気楽に申し込んでみました。もっとも、潜水前のブリーフィングで受けた注意事項の数々、娘にはことある事に教え込んでいたこともあってなんとか理解していましたが、全くの素人だったら本当に付いていけるのか?と少々疑問ではありました。大体が、Cカード持ってるはずの私でさえ、沈み方とか船からの飛び降り方とか、すっかり忘れてましたから( ̄▽ ̄;)。


ともあれ、全く初めての潜水にしては上出来のブーちゃん。耳抜きには多少苦労していたみたいだけど、痛くなったら少し上がって、留まって…とパニックになることもなくうまくこなしていました。


船の上での飲食はすべて料金に含まれています。つまり食べ放題!パンもチーズもハムも、アメリカのと味が違う!美味しいんですよー(涙)。ブーちゃんなんかサンドイッチ4つも食べました。アルコール各種(ビールとカクテル)も飲み放題でした。スヌーバの誓約書に「アルコールを飲んでいない」ってサインしたと思うんだけど、船の上ではいいのか!? インストラクター曰く、「人によっては多少飲んだ方がリラックスできるからねー」だって。アルコールアレルギーよい子の私たちはもちろん飲みませんでしたよ。…潜る前は。



10分ほどで潜水スポットの沈没船に到着。この回、残り19人はシュノーケルの人々で、スヌーバは娘と私の二人だけ。



初めてにしてはすごい余裕なのですよー。





3メートルほど潜って沈没船です。


いきなり魚の群れに囲まれるわたくし。



スヌーバでの写真はすべてインストラクターが撮ってくれてます。



船の窓ですね。












記念撮影








ここまでがスヌーバで「潜り」の写真。

いくらなんでも長くなりすぎたので、今日はここまでにして、残りは「続く



「さすがに合成で海の中に入るのは遠慮した横タンのオレ。」


「でもリクエストにお応えして出てきたでちよー。なんか無理矢理でちねえ。」



南の島から帰ってきました!

2012-09-29 | 此処じゃない何処かへ
常夏の楽園、Arubaから帰って来ました。まだボーッと夢の世界にいます。とりあえずハイライトのみ。




































ああ、こんな楽園で一週間も過ごしちゃったです。。。現実世界に戻るのが大変。早速でかけたバレエのクラスではロシアの鬼教師S君に「おい!おきてるか!朝だぞ!」と怒られました。
それにしても、あくまでも私たちらしく、トラブル満載ネタ満載の旅でした。

詳細は後ほど…(と思う)



ナイアガラの滝 その2 花壇編

2011-08-22 | 此処じゃない何処かへ
ナイアガラの滝 つづき


カップルの写真でーす!


…と言ってもおかしくないくらい身長的にお似合いの二人なんですが、本人達には冗談にもならなかったようで、くだらないことを言った途端に逃げられてしまいました。幼なじみとは言っても、年齢差4歳なので(フーが年上)一緒に遊んだ、というよりは「近所の小さい子」みたいな印象だったみたいですね。長身イケメンで優秀な上ユーモアのセンスもなかなかなH君なのにもったいない



霧の乙女号乗り場にはビーバー君(?)が観光客を横目に我が道を行っていました。




他の観光客のみなさんは、気づかないのか珍しくもないのか???




ちょっと意外なことに、街にはハイビスカスがたくさん咲いていました。




さらに意外なことに、ハイビスカスとムクゲは似ている。




さすがカナダ、というべきか、植栽にセンスを感じます。












真ん中に立ってる背の高いのは何だろう??




そしてこれは?意図は?




パセリ!?




そうなんです。パセリがこの花壇のグラウンドカバーに使われていました。目からウロコ!確かに濃い緑で背が低くて寒さにもかなり強い。理想的かも。…使えるぞ、恐るべしカナダの知恵!



そして、また国境を渡って、今度は米国側



あまり評判が高くないアメリカ側から見たカナダ滝だけど、こちらも悪くないですよ。


しかし




突然花壇がショボくなった気がする。




日本コリークラブ絶賛宣伝中 ※我が家は会員じゃありません




コリウスの花壇は良かったです。挿し芽が簡単らしいし、私も手を出してみたくなりました。




下流へ数分歩くと今度はアメリカ滝。こちらもかなりの迫力です。




しつこいようですが、これで水量はカナダ滝9に対してこちら1.さらに、ナイアガラの水量自体が発電のため75%カットされている…と読んだような気がするのは…気のせいですよね、きっと。(こわいよー)



実は、このアメリカ側からアメリカ滝のすぐ横を歩くツアーが、霧の乙女号よりも滝の裏側ツアーよりも一番スゴいのだとか!今回はもう気力も時間もなかったけれど、また機会があったら是非行ってみたいです。


さいごに。



大観光地ですが、時には事故も起きます。1960年に7歳だったロジャー君は、17歳のお姉さんと一緒にボートで流されました。お姉さんはかろうじて滝の上でレスキューされたものの、ロジャー君は救命胴衣と海水パンツだけの軽装で滝を落下。奇跡的に救出された物語が語り継がれています。(参考記事:英語です)本当に恐ろしい流れでした。



2011年夏のプチ旅行記 おしまい


国境を越えて ナイアガラの滝 その1

2011-08-20 | 此処じゃない何処かへ
珍しく本当にすぐ続きを書いてみる。

地元でスーパー巡り観光を満喫した我々は、週末を利用して、泣く子も黙る大観光地へ出かけたのです。行き先は大好きなカナダ!flag11



初の陸路で国境越え!想像以上にスムースでした。今までの苦労は何だったのだろう。。。




ロッキーマウンテンバンクーバー島、私のカナダのイメージは澄んだ空気に美しい花、優しい人々、美味しい食べ物といいことづくめです。大自然が待っている!いざいかん!



…と思いきや




がーん



大自然のイメージだったナイアガラの滝、ここまでの観光地とはびっくり。



いさぎよいほどお下品でしたわー。



これでもかって。



グレートスモーキーマウンテンズも、自然がいっぱいの森を一歩抜けると、そういえばこんなんだったっけ。


気を取り直して観光の王道を進むぞ!


かの有名な”Maid of the Mist" 霧の乙女号 です



カナダ側から乗って、まずアメリカ滝に近づいた後、カナダ滝へと向かうところ。既にかなり濡れてますが。



ここから先は暴風雨状態。もう写真を撮れたのは防水カメラの「れ」のみ。おそろいのブルーのカッパを着てずぶぬれ体験、楽しかったです。





ここが写真の限界。カメラは防水でもヒトの目が防水じゃなかったので、これ以上近づいたらもうまともな写真を撮ることができなかったのでした。




船を下りて上流へ歩く途中。後ろに見えるのはアメリカ滝なり。カナダ側から見ています。アメリカ滝とカナダ滝(Horse Shoe Fall)の水量は1:9だそうですが、1割でもこれだけの迫力とは…



そして上流へ向かって川沿いに歩くこと10分足らずでカナダ滝。








信じられない量の水




流れがまた速いんです。





落ちたらひとたまりもないことは一目瞭然です。




何かの新興宗教でしょうか? (…と完全に他人の振りプレイ)




今度は黄色いカッパを借りて、滝の裏側を見るツアー




流れ落ちる滝のすぐ横からも眺めることができます。



時間が経ったので平気で書いてますが、目の当たりにしているときは恐怖で息苦しく声もでない私でした。そういえば流れる水が怖いのだった<気づくの遅すぎ


続く…


10日間の日本滞在

2010-12-19 | 此処じゃない何処かへ
日本滞在を終えて戻って参りました~。
今回も楽しかった。例によって行く前はぶちぶちぐだぐだと行きたくない症候群に罹っていたんですけども。やっぱり懐かしい人々に会って、今回みたいに心ゆくまで喋って食べて、なかなか得難い贅沢だと。


にぎにぎしい食卓



これまたにぎにぎしい食卓


「にぎにぎしい」って良い言葉だなあ。



茨城ではこんな光景が。



北海道の毛ガニ、千葉の落花生に勝るとも劣らない、茨城の名産、干イモ(かんそうイモ)


干し芋(茨城ではむしろ乾燥芋と呼ぶかな)は、地元で食べるのが一番です。この商品自体は、全国のスーパーマーケットで手に入りますが、地元に出回るものはもう全然別物。スーパーのすっかり乾燥した、白い粉を吹いたあれはあれでそれなりに美味しいけど、茨城の新鮮な柔らかい 干し芋と言ったらもう。。。。フーちゃんの大好物とあって、おばあちゃん、山ほど持たせてくれました。



うららかな日差しに映えるこれは……そう、クチナシの実。



ユズに



かぼすに



キンカンが鈴なり


柑橘類はこのあたりが北限でしょうか。うちにも柚子の木、一本欲しいなあと思ったけれど、桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年……とか言うので、いくらなんでも無理ですね。第一寒さに耐えきれないか。

それにしても、私がいた間は特別暖かかったらしいけど、うららかでしたねえ。さすが太平洋側。アメリカ中西部の冬とは大違いです。東京あたりでは、電車を降りた人々が口々に「寒い寒い」と言っていたけど、「えー?これが寒いの?」って感じ。家と外出先を車で往復する生活で、あまり外には出ていないと思っていたけれど、知らないうちに、身体は寒さに慣れているみたいです。

帰りの飛行機をデトロイトで降りた時、マイナス8℃の空気を身に受けて「これこれこれ~!」って感じでした。ピリッとした冷たい空気がいいのです。




実家のバラ。12月だというのにどういうこと??



日本には不思議な野菜があるなー。これって、カリッコリー?(違)



実は今回、行きのデルタ便で、今までの飛行機体験の中でも1,2を争う嫌な目に遭ってしまい、フライトアテンダントと大げんか。どう考えても自分側に落ち度がないのに、理不尽すぎる。こういうときばかりは、大金持ちになって、デルタなんか使わない身分になりたい!と切に願うのでした。(NWとの合併、コンチとの離別以来、どうしても安い路線はデルタで占められている今日この頃なのです)

そんなこともあって、旅の出だしは最悪だったものの、私のために時間を割いてくれた古い友人・知人のみなさんと楽しい時間を過ごしているうちに、気分は明るくなりました。


いくつか、私にとっては複雑な手続きを済ませたのですが、日本の職員さんって、本当にプロフェッショナルだ!と感心することしきり。同じことをアメリカでしようとしたら、きっとあちこちに連絡して何日もかかるんだろうなあ。その分、ストレスに晒されているのだとしたら気の毒ですが、今回、良い仕事をする人がいる職場は、だいたい雰囲気も良くて、逆に「なんですか?」状態のところは働きづらそうな職場だなあ、というのが見えてきました。日本も格差社会になっているっていうのがこういうところに出てきているかも。

素晴らしい日本のお店。でも、やっぱりどうにかして欲しいのは、騒音です。この時期どこもすごい音量のクリスマスソングと店のテーマソング。あれ、一日中聞かされて、店員さん達、よく大丈夫ですね。飲食店のタバコの臭いも、いくら分煙とは言ってもまだまだ気になります。逆にアメリカでは、音の暴力とタバコの臭いには無縁だけど、代わりに、フレグランスという匂いの暴力があるような。あれも頭痛くなりますね。

いや、しかし、店や商品という、モノの面では、圧倒的に日本がいいなあ。アメリカにあって、日本でどうしても手に入らないもの、困るモノってあまりない気がしますが、逆はいっぱい。でも、インターネット関連の発達、手軽さでは、アメリカがやっぱり便利です。

日本でいつも現金を持ち歩かなくちゃいけない、というのはちょっとストレスかな。SUICAなんかは恐ろしく便利ですけど。やっぱり日本独自の便利路線を進んでいるから、よーくわかってないとついていけない複雑な社会だなあ、と感じました。でも、その複雑な構造も、説明や図解が上手だから、ちゃんと理解できちゃうんですよねえ。アメリカだったら3種類くらいの中から選ぶのに日本では組み合わせで100種類くらいあったりする。


今回はプリペイドケイタイやポケットWIFIという強い味方のおかげで、かなり快適でしたが、茨城交通の高速バス、「インターネット予約は前日までしかできません」とか、「電話でも直接でも発車の2時間前までしかできません」とか、ちょっと信じられなかったです。
基本的になんでも予約制なんですよね。分刻みで生活している日本の社会だからある程度は仕方がないんでしょうね。


今回も荷物は制限ギリギリ、いっぱいいっぱい手みやげ持たされて、買い物も目一杯してきて、幸せな重さで帰って参りました。帰りの飛行機は問題なく。ええ、最後に国内線の乗り継ぎ便がキャンセルになったり、クルーが到着しなくてますます遅れたりってことはありましたが、結局たったの2時間遅れで済みました。奇跡的。

例によって未練はいっぱいありますが、心は充分に満たされました。みんな、ありがとう~!



帰ってきたらこんなん。


12月の降雪量としては記録を更新しそうな勢いだとか。雪が積もっていると家の中が明るくて嬉しい。

犬たちも元気です。


海野宿は「うだつ」が上がってる

2010-08-28 | 此処じゃない何処かへ
忘れた頃に復活、ニッポン旅行記番外編?小諸へ2泊若者達の旅。

前回思いっきり「中山道」と書きましたが、北国街道(ほっこくかいどう)の間違いでした。何年小諸へ通ってたんだよ<私

まあ、詳しい説明はwikiさんに譲……ろうと思ったのですが、地元の観光案内サイトの方がいいかも。それにしても東御町とうみまち?聞き慣れないと思ったら、いつの間にやら、平成の大合併で、東部町と御代田町北御牧村が合併していたらしい。ああ巡る巡るよ時代は巡る…

ともあれ、海野宿は、北国街道の古い宿場町です。17世紀から町並みが変わっていないのだそうな。



江戸時代ってこんなふうだったんでしょうか。


ところで、海野宿といえば、「うだつ」が有名です。そこから、「うだつが上がらない」という言葉ができた……ということは、小諸YHでのヘルパー時代に何百回となく聞いた話でした。


しかし、私は今の今までこの写真に写っているこれ↓






こういうのを「うだつ」というのだと勘違いしたまま生きてきてしまいましたが、ググってみてびっくり。うだつというのは、昔、火事の際の延焼を食い止めるための、隣との境に直角に張り出した屋根付きの防火壁のことだそうです。写真で見るとこんなの


しかし、そんなものはブーと「け」君が撮ってきたどの写真にも写っていません。さすが親子というか、私と同じ勘違いを彼らもしてきたわけね。


おかげさまで勉強になりました。で、ちなみに我々がうだつと勘違いしたのは?鬼瓦とシャチホコ…ですよね。嗚呼…



今度行く機会があったら、ちゃーんと観察してきます。


YHに戻ったら、美味しいトンカツのご飯。いいなぁ~。毎日ボリュームたっぷりの食事。小諸ユースホステル。かつては別名を「小諸養豚場」と呼ばれておりました。


行きは各駅停車とバスで6時間半だった小諸への旅、帰りは新幹線利用で2時間半。電車に乗ったことがない「け」君に新幹線のありがたみをわかってほしい、と知恵をひねったブーちゃんでした。



小諸から高峰高原・懐古園

2010-08-13 | 此処じゃない何処かへ
小諸ユースホステルに宿泊した若者たちは、2日目、ユースのオーナー夫妻である、ぺーさんとうばさんに標高2000メートルの高峰高原まで連れていってもらいました。ここは、浅間山の外輪山で、冬はスキー場にもなり、温泉も楽しめ、高山植物の宝庫でもあるところ。


まずは朝ご飯


うばさんのオムレツは絶品!なのです。今回食べ損なったフーは写真を見てヨダレを垂らしそうでした。「うばさんのオムレツ食べたーーーい」 比べると母のオムレツは評判悪いデス(涙)。



ここまで上がると、八ヶ岳がこんなに綺麗に見えます。




さらに!




遙か彼方の富士山まで!




……と言っても、行けば必ずこんなふうに見えるわけではありません。富士山が見えるなんて、年に数えるほど、しかもこんな梅雨時にって、とても珍しいのです。今回、京都、大阪、名古屋、豊橋、名古屋と大移動をしたのに、往復夜行だったせいで、富士山を見るチャンスはないはずだったのですが、「け」君ラッキー。一方で、日本人のウーは、今まで一度も富士山を見たことがない、と言います。そんなことはないはずなのだけど、小さかったから記憶に残っていないのですね。次回はウーと富士山が見られたらいいな。




軽くハイキング



何か見つけたかな?



あさま2000スキー場
バブル全盛、ゲレンデ全盛、スキーウェアも原色ボディコンの時代、全然関係なく手足にパッチを着け、クロスカントリースキーを履いて横切ったもんですnose7




浅間山は活火山なので、こんな怖い看板が立ってますの。


山を満喫した後は、標高500メートルの小諸の街まで降りて、懐古園(小諸城趾)へ。(うばさん、ぺーさん、若者達のわがままを聞いてくださり、ありがとうございました)



懐古園!お城の跡ですが、公園のようになっていて、動物園も付いているのです。


おっと、その前に



本場の信州そばで腹ごしらえ。今までアメリカで食べてたのが「なんちゃってそば」だったことがはっきりとわかった二人なのだそうです。






はー、本当に懐かしい。



あの赤い橋の向こうには「牛に引かれて善光寺参り」の布引観音や温泉があります。よく連れていってもらいました。



若かった頃は良さがわかってなかったなあ。また行きたいです。




小諸編、中山道・海野宿に、もう一回だけ続きます。



信州・小諸ユースホステル

2010-08-12 | 此処じゃない何処かへ
この夏の日本行きは、ブーが「け」君に自分の育ったところを見てもらいたい、という気持ちを叶えるのが大きな目的の一つになっていました。

言葉も環境も何もかもが違うところへ放り込まれた我が家のコドモ達の中でも、最年長の11歳だったブーには人知れず苦労が多かったのだろうと思います。この頃の話はこちら 本当なら親に何もかも世話を焼いてもらって、それをウザがりながらも苦労はなく馴染んでいけるはずの学校生活。それがブーには、何のサポートもなく、自分で切り開くしかない道だったのです。

誰も頼れず、思春期を迎えてからは、自分の中の2つの文化の軋みに苦しんでいたブーちゃん。そして高校時代の最後にようやく理解者があらわれたけれど、どうしても言葉では説明しきれない日米の「違い」。ブーの中ではニッポンとアメリカは、どちらも自分の中にあるものの、全く接点のない2つの世界、だった。それを1つにつなぐための旅でもありました。百聞は一見にしかず、えーい、「け」君も連れていっちゃえ。


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ブーには、子ども時代を過ごした茨城県の社宅の思い出の他に、機会あるごとにはるばる6時間もかけて出かけた長野県小諸市にある小諸ユースホステル(以下YH 過去記事はこちらの思い出がありました。ほぷちゃんが去ったあの夏も、ブーは一人で小諸YHに出かけていました。私たち夫婦が出会って、一緒に働いた実家のような場所、そして娘のブーにとっても特別な場所なんです。


今回はブーと「け」の二人のみ、別行動で小諸を訪ねてきました。「け」君がこちらから電話して日本語で予約を取ったんですよー。写真たくさん撮ってきてくれてありがとう。紹介したいと思います。




行きは鈍行列車の旅。新幹線開通以来、碓氷峠を抜ける在来線は廃止され、代替バスが走っています。おかげで横川の本家で釜飯を買えたみたいだし、かえってよかったかな。



小諸は城下町として有名だけれど、YH利用者には、むしろ浅間山の方がなじみ深いのです。



驚くほどに変わっていないもの、それが小諸の駅前。私が初めて降り立った24年前と同じ町並みです。



近頃、駅からYH近くまでのバス路線が復活して便利になりました。ここは標高1000メートル。空気が違うのです。(あ~、標高2000メートル超の地で生活されて、すっかりやせ衰えてしまわれたドクターの方もいらっしゃるようなので、みなさまお気を付けくださいましね)




「ただいま~~~!」




変わったもの、それはYHの庭。あの頃は、普通の「木」だったのにみんな大木になってます。建物が見えない。。。



わーっ!チビ、まだ生きて元気でいてくれた!でもクロの方は天寿を全うしたそうです。噛み犬だけど可愛いヤツでした。




全く変わらないもの。部屋。YHなので男女別の相部屋ですが、今も昔も手入れが行き届き、清潔で快適。かつて夏の暑い日々、どれだけのベッドに上り下りして整えたことか…。なつかしいねえ。私は小諸YHの玄関を一歩入ったときの匂いが大好きなんです。変わってないかな?




サンルーム。木々が育ってもはや「サン」は差し込まなくなっちゃった?



なんとYHのアルバムから懐かしい写真まで発掘。ギターを抱えたオット、顔の幅が今の半分……



自分の小さい頃の写真も見つけました。




YHの前の散歩道。通称「こもろほっかいどう」。ヘルパー仕事の休み時間にここで昼寝しました。



わー、ご馳走!この日のホステラー(宿泊客)は2人だけの貸し切り状態。甘やかしてもらってました。



私も会いたかった!うばさん、きょーちゃん お世話になりました。次回は是非!



写真がいっぱいあるので続きまーす(たぶんね)



日本で見つけたわんわんわん!

2010-08-08 | 此処じゃない何処かへ
旅行記?滞在記 その3は、「シリーズ”わん”」でお送りします。


日本語というのは、オノマトペ(擬音語・擬態語」の豊富さでは、右に出る言語がない、というのが特徴らしいのですが、もちろん英語にもオノマトペはあります。犬はバウバウ、ネコはミャオミャオ、マウスはチューチュー…じゃなかった、クリッククリック(※動物のマウスじゃありません、念のため)

でもって、日本語で犬はワンワンですっ!というのは、英語人にとっては衝撃的なのですよね。そんなアメリカ人の一人「け」君は「わんわん」が大好き。



このあたりから「わん」に目覚めた。「なんばわん~ なんばわん? Oh!Number One!?」と大受け。



わー、ちゃんこだって。ぱちり
そのちゃんこは、うちのちゃんこ(注)と関係ありませんから。



はいはい



そ、そうね、わんね。



王道ですな。




おお、これがあの有名な!


そして・・・・・・


それだけは絶対に間違ってるから。



ニッポン旅行記?滞在記? その2とToy Story3

2010-08-04 | 此処じゃない何処かへ
忙しかったこの一週間ほど、友人娘の結婚式やらサブ・ティーチャー(なんて言うんでしたっけ?欠員教員?)の仕事やら、忘れちゃいけないギターの練習やら、荒れに荒れた家の中の片づけやら、息子の誕生日、娘の誕生日と毎日バタバタと過ぎていき、気づいたらフーはヨーロッパに出発してるわ、ブーは「け」君のおばあちゃんを訪ねて家族旅行してるわ、ウーは毎日のように女の子と遊園地だの映画だの…すっかり置き去りな私です。

ニッポン旅行記?滞在記?…とりあえずその2でも。


と言っても、時系列で綴っていくと、いつものように尻切れトンボになることは目に見えているので(私も学んだブログ生活6年目の今日この頃)、テーマ毎にどかどかupしちゃおうと思います。これならある日突然終了しても気づくまい

さてさて。今回は、ガイジンちっくなコドモ組プラスすっかりウラシマになった大人のツボにはまった、あんなものやこんなもの、ご紹介です。

救急車もパトカーもアメリカのものとは形も色も音も違うので写真撮ってましたが、載せてもつまらないので省略。タバコの自動販売機、お米の自動販売機、お酒の自動販売機、どれもこれもアメリカにはないですよねぇ?コドモたちのカメラにたくさん収まってます。


ちなみに、一行の中で唯一生粋のアメリカ人「け」君が気に入ったもの。

・自動販売機
・ゼリードリンク
・温泉、お風呂
・パンやさん(安くて美味しいっ!)
・おでん
・たこ
・スイカ(JR東日本のプリペイドカード)
・アイスの実
・金魚すくい(見ただけ)
・プリクラ
・はんこ(印鑑)
・わんわん、ワンワン、という言葉(気を付けて見るとあちこちに氾濫してるのですよ、この文字が)……

まだまだあったような気がするけど。これからゆっくり思い出しましょう。



立体自動車置き場は衝撃的だった模様。立体自転車置き場も写真撮ってました。



たしかにすごいかも。うちの街にも立体駐車場はあるけど、置き場はないもんね。



アメリカに導入したらウケそうだけど、プリクラって赤字なのですってね、残念。




駅で見かけたおねーさん、みんなで「すげーすげー」と陰口を叩いていたら、ウーがいきなりつかつかと歩み寄り「すみません、写真撮らせてもらってもいいですか」と突撃。びっくりしました。快く許可してくれたおねーさん、ありがとう。



秋葉原訪問直前。自分が何をしているのかもわからず、ポーズをとらされる二人。(右はオーストラリアからの訪問者、我が子たちの幼なじみのTヒロです。まー、大きくなっちゃって。しつこいようですが、こんなだったんですよー。)



アキバ後。簡単に洗脳されるコドモたち。前回会ったときは1歳のアカンボだったモモカとフーはすっかり意気投合してました。



やめないか、キミたち……というか、モモカ指の角度間違ってる。それじゃ、ただの腹減ったコドモだよ。



やめろとゆーのに。




チーズケーキがまるごと一個とか入ったクレープを平然と平らげてました。ウーはカレー味。今回アメリカを出る前に、「ニホンのクレープって三角形で手に持って食べるんだって?」とアメリカ人に聞かれました。そういえば、こちらのクレープはお皿にのっかって、ソースがかかって、ナイフとフォークで食すデザートですな。ふむむ



改めて衝撃の飲み物サイズ。日本のLサイズがこっちのSサイズより小さい。。。服も同じですが。



忘れちゃいけないジブリ美術館。バスもいいけど、駅から歩く道も素敵でしたよ。途中にペットグッズのお店がありまして。お店自体も良かったんですが、素晴らしく美しい芸ものセキセイインコちゃんたちがいました。また会いたいなー。



ジブリ美術館入り口の大トトロ。



トトロで思い出しましたが、昨夜、フーとウーと3人でToy Story3を観てきました。もちろん3Dで。……思いっきり貸し切りでびびっちゃったけど、引き込まれましたね~。

この映画、ちょっと思い入れがあるのです。初めて「英語を勉強しよう!」と思い立って飛び込んだ個人の英語クラス、その頃私、30歳だったでしょうか。そのときリスニングの教材がToy Storyでした。何一つ聞き取れなかったっけ。そこからNHKのラジオ講座、テレビ講座で勉強を始め、公民館のクラスに通い、国際交流のグループにも出入りするようになり……アメリカに来て、自分の英語力に愕然としつつ、欠かさず通ったESLの教室。

全然進歩していないような気もするけれど、こうしてToy Story3を、何も考えずに楽しめるようになった、それだけの時間が流れたんですねえ。そして、Andyも17歳。うちのコドモ達と一緒に成長してきたんだな。そして大学生になり家を離れるAndy、親友だったオモチャたち…


はい、もう泣きました。貸し切りでよかった。ピクサーもジブリも、コドモの心を忘れない素敵な大人たちがいるってことを思い出させてくれます。



フーちゃん行ってきます

2010-08-03 | 此処じゃない何処かへ
甚だ唐突ではございますが、さきほどフーがヨーロッパはルクセンブルグへ向けて旅立ちました。私の友人宅で3週間のベビーシッター(兼その2歳児からフランス語の特訓を受け)に。そしてヴァカンスで国外へも連れて行ってもらうんだそうです。

しかし、無事空港に送り届け、チェックインさせてまたはるばる運転して自宅へ戻り、やれやれと思ったところで電話が鳴り「おかーさん、飛行機1時間遅れるって。」

またかい。
ここのところ、飛行機がまともに飛んだ話をききません。ESLの先生がこの前イタリア旅行から帰ってきたときなんか、「この旅行ではすごいミラクルがたくさん起きたのよ!」って興奮して話してくれたんだけど、「一番の奇跡は、飛行機が時間通り到着したこと!」って。同時に聞いていた人々から「おぉぉぉ」とどよめきがおきたくらい。

我々の日本行きも大変だったし。今度はヨーロッパ行きの飛行機に乗り継ぐための国内線ね。とりあえず、無事?1時間遅れただけで飛行機はなんとか出発。フーの乗り換え時間は1時間25分。ちょっとギリギリなので、1時間遅れたらアウトではあるまいか。

しかし、です。先日私が書いたネタを裏付けるように、当初1時間41分のフライトで乗り換え空港に到着するはずだった飛行機は、1時間で到着した模様、というか、到着しました。先ほどフーから電話が入ったんです。「おかーさん、なんと恐ろしいことに、本当に1時間で着いちゃった。そんなわけで、乗り継ぎは大丈夫そうだけど、なんかあり得ない速さで飛んでた。高さもすごかった気がする。」やっぱり、飛行機っていくらでもスピード出せるんですね。恐るべし、アメリカ国内線。



 
「がーちゃん、ドコ行っちゃうの?またニホン?」


 
「オレ、記念撮影はちょっとにがて。」


 
「やなの。」


 
「だってオマエ。」 


 
「タマシイ抜かれたらどうすんの。」



「あ”・・・オマエそんなごーいんなっ。」



「行っちゃうの。」



「やだやだ。」



「オマエばいばい。」



「いいよ。オレもう今日からばぁにご飯もらうから。」



「みてみて。これやるのかなー。」



「あ、もどってきた。がーちゃんおかえりsymbol1



「なんだよっ。結局行っちゃうの。子の心親しらずだなっbreak。いいよ、もう今日からばぁにご飯…(以下略)」



果たして続くかニッポン旅行記

2010-07-29 | 此処じゃない何処かへ
今回、私と息子にとっては3年半、娘たちには2年ぶり、後から来て先に戻ったオットにもほぼ3年?、そしてアメリカ人青年「け」君にとってはまるで初めてのニッポン行きとなりました。

前日夜に集合、時差ぼけ対策のために寝ずのパーティ準備。いくら若者達とはいえ、やはり完徹に近い夜明け近くになると疲れはピーク、日本語で言うところのナチュラル・ハイ、すなわちSlap Happy (ほっぺをひっぱたかれても笑っちゃう)状態がやってきて、それはそれは楽しい出発となったのでした。



最初の荷物はこれくらい



乗り換え長すぎ…向かいの席のアスリートっぽいおにーさんは、カバンから全形のりを袋ごと取り出すとあらゆる野菜をジプロックから取り出しては巻いて食してました。


今回は、本当に飛行機のトラブルが多かったです。最初はやはりソルトレイクシティの空港で。そうでなくても5時間半という異様に長いトランジットだったのですが、成田行きの飛行機に乗り込み、滑走路近くまで進んだ後、何故か飛び立たないのですよ。。。

そして、飛行機は英語と日本語と違うアナウンスをしながらゲートへ戻っていきました。日本語を話すアテンダンドはネイティブではなかったのかな。情報錯綜です。それでもすぐに飛行機から降ろしてくれればよかったんだけど、ずいぶん中で待たされた挙げ句、「まだ時間がかかりそうなので降りてもいいですよ」コール。一人10ドル分の食事クーポンを渡されて待つこと更に5時間ほど。疲れたよー。

今回勉強になったのですが、飛行機は、「一旦飛び立ってしまえば、かなり取り返しが利く」そうなんですね。飛び立ってしまえば、後は所要時間は変わらないのかと思っていたんですが、逆なんだって。

だから、出発が遅れた時は、急いで時間に間に合わせるのだそうですよ。本当はもっと速く飛べるってことなんですね。だったらいつも速く飛んでよぉ~。まあ、そこらへんは燃費との兼ね合いなのでしょうが。




あれ、この写真帰りのだ…


しかし、今回6時間の遅れはさすがに取り戻せず、ちょうど飛行機が成田の滑走路に降りた頃、実家方面行きの最終高速バスは出発してしまいました。あーあ。

入国審査と荷物の受け取り、税関の通過で小一時間はかかるのですでに諦めてはいましたが、実際バスがないとなるとどうしたものか…。想定外でした。とはいえ、ソルトレイクの空港でインターネットが使えたのが幸い、電車の時刻表をチェックできていたので、なんとか最終電車までには間に合いそうなのがわかっていました。

あと数週間で新しいシステムが導入されるという京成スカイライナーで西へと向かうことに。あんな大荷物をかかえて電車で移動することになるとは思わなかったなあ。

でも、日暮里から外回りを使うことで、新宿から大人数+大荷物で飲み込んで顰蹙を買う、という事態はなんとか避けられました。ホッ



日本に着いて最初の感動は自動販売機だった模様。自販機を見るたびに立ち止まっては検分するコドモ組でした。一番のヒットは、飲むゼリーシリーズ。




こんな荷物で中央線




あらゆるものがめずらしく











写真をとりまくるお上りさんたち







 


ともあれ、なんとか実家の最寄り駅までたどり着き、タクシーと分乗で4年ぶりの実家へ、夜中の1時過ぎに到着しました~


続く(…といいなぁ…)





飛行機って

2010-07-16 | 此処じゃない何処かへ
無事(とは言えないような気もしながら)アメリカに戻ってまいりました。
今回は行きも帰りも飛行機という飛行機にトラブルが出て、トドメは、22時帰宅の予定だったのが午前3時半になったことでしょうか。


今回、日本で出会ったかつてのガキんちょたちは、みんなりっぱに大きくなって「今度はアメリカに遊びに行く」と嬉しいことを言ってくれたりしたのですが、こんな目に遭うことを知ったらビビって来なくなってしまいそうなので、ウチに遊びに来る予定の若者たちは、今日の記事は読まないように


飛行機って、離陸が多少遅れても、飛んでしまえば結構スピードアップして追いつけるものだ、ということは最近知ったのですが、それでもやっぱり限度ってものがあるのですね。行きはソルトレイクシティで11時間も足止め、しかもそのうち数時間は機内に閉じこめられ、さすがに取り戻せませんでした。結果、成田からの最終高速バスを逃し、5人でぞろぞろとスーツケースをいくつもひきずりながら電車を乗り継ぐことになりました。実家着午前1時。


帰りは、乗り継ぎ後の飛行機が、おそらく今までの私の経験の中でも1,2を争うくらい大きく揺れたりしたのですが、それでも、アテンダントから「あと1時間以内に着く」と聞かされ安心した直後、機長のアナウンスが入り、到着空港近くにtremendous thunder storm が帯状に伸びているということで、1000kmほど離れた空港へ臨時着陸。またもや機内に閉じこめの後、なんとカナダとの国境付近まで上がり、東回りで迂回するという珍しいケースになりました。

このときは、同じく機長のアナウンスがあったのですが、「こちら、機長です。ワタクシ、みなさんから見える一番前のところに立ってますよー、おーい、見えるぅ?なにしろワタクシも手足をストレッチしないといけないのでねえ、わはははは。そんでもって、実はここ(臨時着陸場所)C空港じゃありませーん。(ここで乗客から笑いが出るのが信じられん)状況はかくかくしかじか…」と話し始めました。「ぼくのせいじゃないもんね」オーラだしまくり。 乗客もなかなかノリが良くて、笑ったり拍手したり。一度緊張感が崩れると、やたら周りの人としゃべり始めるのはアメリカ人ですねえ。

さすがに、カナダ経由の迂回はおそろしく時間がかかり、しまいには明るかった乗客達もぐったりしてましたが…


まあ、飛行機が落ちなかっただけマシか、と。


はい、ここからは若者達も読んでヨシ。


そして物欲に負けて6人で持ち込んだ350kgの荷物の整理と、ジャングル化した庭、ホコリの楽園と化した家を前に呆然としております。(先に帰ったオットががんばって片づけてくれてはいたものの、空気の動かない家は荒れるのですねえ。)おまけにボイラーが壊れていてお湯が使えません。


こーいうのを踏んだり蹴ったりっていうのか。



でも、日本、楽しかったもん(涙) 犬がいてくれれば、クサくても構わないもん。
犬たちは、それぞれ預け先に未練を残しながらも一応家族の帰りを喜んでくれました。


ああ、時差ぼけ辛い。


まだ、お世話になったみなさんへのご連絡もできておりません。ゴメンナサイ。


成田出発時に故障で1時間ちょっと遅れたけれど、ほぼ定刻でSLCに到着。



SLCにて。この後、イミグレで1時間も並んだ挙げ句、別室へ。(ビザの関係での正常手続きです)



そして、ビルディング移動は外を通らなければならないのだー(涙)。



犬たちの写真を撮れるような背景の場所がる余裕がありません。預け先で食事を拒否していたらしいクッキーはまたもやうすべったく細くなっていますが、うぃるちは相変わらずころころむちむちむきむきとしております。ご安心を。


ところで、最近飛行機の中で「窓(のブラインド)を閉めろ」と指示されることが多いような気がします。現地時間に身体を合わせるためには、飛行機の中で起きていなくちゃいけないのに、無理矢理真っ暗にして寝かされちゃう。外が見たくてわざわざ窓際の席取ってるのにどうしてなんでしょう。乗務員が楽だから?経費節減?「他のお客様のご迷惑になります」っていうけど、なんだか納得いかない私です。朝日見たかったのに~。


いよいよ前夜

2010-07-13 | 此処じゃない何処かへ
夢のような3週間が過ぎ、明日は機上の人となります。
なんか、来てもウラシマ、帰ってもウラシマって感じですが。


渋谷で子どもら放し飼い




スリックカートに初挑戦




超駆け足京都は暑かったけど満足。また行きたい。今度は1週間くらいみて。


ポケットwifiとやらをgetしてやっとのことでつないでいるインターネット。やはり写真を載せるのには無理があるようです<すごい時間がかかる


今回、まるで日本に買い物に来たような…大変なことになっております。
私の物欲はすでに枯れたのだと自分を買いかぶっておりましたが、それは普段の生活で欲しいものが見あたらないだけなのだと思い知りました。いやいや、日頃ショッピングモールに出かけて、何も買えずにガッカリして帰ってくることが多いですからね、このように右を見ても左を見ても欲しいものばかり、という刺激は強烈過ぎました。

またがんばって働こう、という気になりますわ。


今回、何人かの会いたかったネット仲間、そしてメルさんにもお会いすることができ、かけがえのない旧友たちとも貴重な時間を過ごすことができ、義父の誕生日を祝うこともでき、磯遊びもジョイフル本田徘徊も叶い、その上美味しいモノもたくさん食べられて大変シアワセでございます。

一方、先に帰宅したオットからは、やさぐれたクキ兄と相変わらずなチンピラ弟の写真が…はいはい、あと1日で会えますよ。お土産あるからね!

それでは、いっぱいの心の栄養と食料品を詰めて、ニッポンを離れます。
みんな、ありがとう!