龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

可能性への挑戦

2009年04月25日 | 相撲
松山市民会館で開催された舞の海講演会「可能性への挑戦」に春日館相撲道場の子ども達と出席した。

舞の海さんの話の中で
「大学2年生のレギュラー初陣の宇和島大会。」
「大学2年生の宇和島大会で個人3位入賞。」
「プロ入りを迷っていた大学4年生の11月の乙亥大相撲。」
「大相撲引退を決めた後の乙亥大相撲。」

と人生の分岐点では、必ず愛媛に来ているという話があった。

その現場、空間に私もいつも一緒にいた。

特に長尾氏(舞の海)に大学4年生の時に野村町の乙亥大相撲に来てもらい、故・村田昌巳氏(後の大翔鳳)と長尾秀平氏(後の舞の海)と日本通運相撲部のメンバーと春日館館長の故・兵頭洋和先生と松山市二番町のスナックでお酒を飲んだのが、昨日のことのように思い出される。

そういえば、あの時、彼は、スナックのボックス席で「卒業後は、山形県で教員になります。」と言っていた。

その後、教員ではなく大相撲入りし、大相撲の歴史に残る人気力士となり、引退後はスポーツキャスターとして成功した。

大相撲に入る際に新弟子検査で身長が足らず不合格になり、2度目の検査では頭に4cm分のシリコンを入れて合格したのは有名な話だが、美容形成外科で

「頭にシリコンを入れて1ヶ月かけて徐々に膨らましましょう。」

「いままで、その手術をやったことがあるのですか?」

「あなたが初めてです。」

「・・・・・。」

「ペンチのような器具で頭蓋骨から頭皮をバリバリ剥いでいく音が聞こえた。」

「頭皮と頭蓋骨の間に袋を入れて注射器で徐々に水を入れて行く。」

という生々しい話の時には会場から悲鳴が上がった。

彼の勇気と決断力には、敬服する。

しかし、それだけの勇気があれば、誰もが成功するかというと、そうでもなく「第二の長尾秀平」を目指して大相撲入りしたが、ひっそりと消えていった学生相撲の一流選手もたくさんいる。

彼は、小さい身体ながら勇気と決断力を持ち、創意工夫と努力をした天才である。
講演も話慣れていて上手だった。

彼の人生がうらやましいか?

うらやましいような気もするが、他人をうらやましがり、足らないことを嘆くよりも、与えられていることに感謝しなければならないのだろう。「足るを知る」と言うが、いまを生きていることだけでも感謝しなければならないと自分自身に言い聞かせる。

長尾秀平君(舞の海)の講演を聞きながら、そんな内観と妄想に浸った。



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