よく晴れたある日の朝、こんちゃんは雲に乗りました。
下を見ると、おとうさんとおかあさん。車でおうちに向かっています。
「おーい、おーい」
雲の上から呼んでみたけど、聞こえないみたい。
「なんじゃ、おかあさんのやつ」
こんちゃんは雲に乗って、ぷかぷか、お空を旅します。
・・・というようなお話が、浮かんでは消えて、ひとり笑い。
こんちゃん、お空に行きました。
焼香からお別れのときは、さすがに泣けてきたけど、なんだか、不思議な予感があって、きっとまた会える気がするのです。
なんの根拠もないんだけれど、強いて言えばひとつ、オレコとおとうさんが、こんちゃんの爪音を聞いて顔を見合わせ、ふたり走って、こん部屋に確認しに行ったことがありました。
しかも、2回です。
わたしは台所で水仕事をしていて、その音は聞いていないのですが、別のときに、こんちゃんが頭をぶつけるのとよく似た音を幾たびか聞きました。
独特の音なので、ほかの音と間違えているわけじゃないと思うけど、何せ、時期が時期だし、期待で耳が勘違いしてるのかもな、と、気にしないことにしていました。
でも、何の霊感もない(お父さんは大槻教授と考えはだいたい一緒)同じ哺乳類だとしても別の種であるふたりが、何らかのサムシングを同時に感じたわけで、やっぱりあるいはひょっとして。
亡くなった翌日は普通のつもりで、非常にぼんやりしていて、仕事もミスしたり、電車は乗り過ごすし、失敗ばかりしていたけれど、ここのところ、のびのびしているのは、まったく根拠はないけれど、なんだかまた、会える気がしているからなのと、空に昇ったときからかな。心の中に、いつも、いてくれる気がするからです。
わしたち、いつも一緒じゃもんね。