『紙の月』予告編
何かで予告篇をみたオットが珍しく観たいといいだして、
久しぶりに銀幕に戻ってきた宮沢りえさん主演の「紙の月」を観に行く。
封切が15日からということでモバチケで前売り券を買っていた。
映画と抱き合わせのタイミングでほぼ日でも宮沢りえさんとの対談を掲載していて、
テーマは映画のことではなくて、宮沢りえさんはどんな風に40代を迎えたのか、というようなことで、
事前にこれをおもしろく興味深く読んでいたものだから、私自身もこの映画に興味はあって、
映画「紙の月」というよりも「いろいろあって40代を迎えて演じる仕事にのめりこんでいる宮沢りえの仕事ぶり」を見に行った。
映画『紙の月』Femme Fatale特別映像
作品自体は、原作(読んでない)とは大きく異なり、
主人公の人生の背景や友人関係についての情報は殆どなく、
ベテラン行員の小林聡美さん、やや軽薄な窓口担当大島優子さん、など、
本来いなかった登場人物が盛り込まれ、これがまた、よかった。
原作は「8日目の蝉」の流れとちょっと似てる部分があるらしいのだけど、
それらはまったくきれいにそぎ落とされていて、このあたりは、
先出同作家の話題作に似ないよう、かぶらないよう、という、
作り手の強い意思を感じるものがあった。
顛末については、これはやはり、いいとか悪いとか、
自分で見て判断するものだと思うし、実際見ないといけないものだと思うので、
ここでは割愛するけれど、宮沢りえという女優は実に大した役者で、
心のひだの動きがまるで湖面のさざなみのように美しく映像に残る。
これは多分監督も意図したものではないのではないか。
それをもはねつけるというか飲み込む小林聡美の冷静さと強さ。
この人がいなかったら映画は失敗していたかもしれない。
芸術的かもしれないけど社会に受け入れられないものになってただろう。
あと、池松壮亮さんの若く美しくナイーブかつしなやかな演技。
これはひょっとすると主人公よりよほど難しい役どころで、
どんなに演技が素晴らしい役者さんでも、池松さんほどには演じられなかったに違いない。
見てくれが抜群にかっこいい青年だったとしたら、全然別の映画になっていた。
フランス映画みたいなかんじ?
その他の点では、小さいことだけど、
あちこちの作品で味な脇役を演じていた、
なんだけど素晴らしい俳優さんたちが、
ちょこちょこ出ていて、そういうのがうれしかった。
特に、ほんのワンシーンだったにも関わらず、
新しい支店長さんは、すごく信頼できる感じが、
スクリーンから滲み出ていて、この人は、
SPECでは問答無用の恐ろしい公安デカだったはずなのに、
今は誠実そのものというような銀行の支店長になってる。
すごいなあ。こういう人がいないと、映画はできない。
化粧品店の女を演じた役者の方も恐ろしいものをもっていて、
このストーリーにはこういう女がいないと、主人公が、
身を崩すほどの落とし穴には、
引きずり込まれることはないのだろうな、と、妙に納得した。
そして花巻さん。あの花巻さんの苦々しい思いがなければ、
小林聡美演じる隅さんの立場に、リアリティがなかっただろう。
<個人的にうれしかった登場人物たち>
化粧品店の女:ドラマ「mother」で芦田愛菜ちゃん演じるレナちゃんの小学校の先生役
退職する銀行員:あまちゃんの花巻さん(伊勢志摩さん)
新しい支店長:SPECの公安の刑事
映画を作るのは監督と主役だけじゃない。
脇を飾るベテランのプロの技術がなければ光らない。
もちろん、スタッフの方もそうですね。
時に「あの時間を返せ」という映画があるものですが、この映画はそういう映画ではなかったです。
あとからじわじわくるかんじ。
あ、もう一度あそこ確かめたいな、という気持ちにさせるものは持ってると思います。
観終わって家に帰ってから、
昔岡崎京子さんという漫画家さんが書いた「Pink」という作品の中に、
主人公の男が「なんで女はこんなフリルのついた暴力使うんだろう?」っていうシーンがあって、
そのことばをずっと思い出していました。
梨花は結局、夫に傷つけられたときと同じように、
光太を傷つけ、光太から何かを奪い続けていたのではないかな、と。
こちらのテーマは「愛と資本主義」。
岡崎京子さんは1996年にひき逃げ事故にあって以来、重い障害を抱えて漫画家の仕事を続けられなくなっています。
この人が仕事を続けられていたら、どんな作品が世の中に出ていたのか。
ひき逃げ犯人は彼女の健康や日常生活だけでなく、その楽しみまで奪ったんだわね。
ちょっと話それちゃったけど。
何かで予告篇をみたオットが珍しく観たいといいだして、
久しぶりに銀幕に戻ってきた宮沢りえさん主演の「紙の月」を観に行く。
封切が15日からということでモバチケで前売り券を買っていた。
映画と抱き合わせのタイミングでほぼ日でも宮沢りえさんとの対談を掲載していて、
テーマは映画のことではなくて、宮沢りえさんはどんな風に40代を迎えたのか、というようなことで、
事前にこれをおもしろく興味深く読んでいたものだから、私自身もこの映画に興味はあって、
映画「紙の月」というよりも「いろいろあって40代を迎えて演じる仕事にのめりこんでいる宮沢りえの仕事ぶり」を見に行った。
映画『紙の月』Femme Fatale特別映像
作品自体は、原作(読んでない)とは大きく異なり、
主人公の人生の背景や友人関係についての情報は殆どなく、
ベテラン行員の小林聡美さん、やや軽薄な窓口担当大島優子さん、など、
本来いなかった登場人物が盛り込まれ、これがまた、よかった。
原作は「8日目の蝉」の流れとちょっと似てる部分があるらしいのだけど、
それらはまったくきれいにそぎ落とされていて、このあたりは、
先出同作家の話題作に似ないよう、かぶらないよう、という、
作り手の強い意思を感じるものがあった。
顛末については、これはやはり、いいとか悪いとか、
自分で見て判断するものだと思うし、実際見ないといけないものだと思うので、
ここでは割愛するけれど、宮沢りえという女優は実に大した役者で、
心のひだの動きがまるで湖面のさざなみのように美しく映像に残る。
これは多分監督も意図したものではないのではないか。
それをもはねつけるというか飲み込む小林聡美の冷静さと強さ。
この人がいなかったら映画は失敗していたかもしれない。
芸術的かもしれないけど社会に受け入れられないものになってただろう。
あと、池松壮亮さんの若く美しくナイーブかつしなやかな演技。
これはひょっとすると主人公よりよほど難しい役どころで、
どんなに演技が素晴らしい役者さんでも、池松さんほどには演じられなかったに違いない。
見てくれが抜群にかっこいい青年だったとしたら、全然別の映画になっていた。
フランス映画みたいなかんじ?
その他の点では、小さいことだけど、
あちこちの作品で味な脇役を演じていた、
なんだけど素晴らしい俳優さんたちが、
ちょこちょこ出ていて、そういうのがうれしかった。
特に、ほんのワンシーンだったにも関わらず、
新しい支店長さんは、すごく信頼できる感じが、
スクリーンから滲み出ていて、この人は、
SPECでは問答無用の恐ろしい公安デカだったはずなのに、
今は誠実そのものというような銀行の支店長になってる。
すごいなあ。こういう人がいないと、映画はできない。
化粧品店の女を演じた役者の方も恐ろしいものをもっていて、
このストーリーにはこういう女がいないと、主人公が、
身を崩すほどの落とし穴には、
引きずり込まれることはないのだろうな、と、妙に納得した。
そして花巻さん。あの花巻さんの苦々しい思いがなければ、
小林聡美演じる隅さんの立場に、リアリティがなかっただろう。
<個人的にうれしかった登場人物たち>
化粧品店の女:ドラマ「mother」で芦田愛菜ちゃん演じるレナちゃんの小学校の先生役
退職する銀行員:あまちゃんの花巻さん(伊勢志摩さん)
新しい支店長:SPECの公安の刑事
映画を作るのは監督と主役だけじゃない。
脇を飾るベテランのプロの技術がなければ光らない。
もちろん、スタッフの方もそうですね。
時に「あの時間を返せ」という映画があるものですが、この映画はそういう映画ではなかったです。
あとからじわじわくるかんじ。
あ、もう一度あそこ確かめたいな、という気持ちにさせるものは持ってると思います。
観終わって家に帰ってから、
昔岡崎京子さんという漫画家さんが書いた「Pink」という作品の中に、
主人公の男が「なんで女はこんなフリルのついた暴力使うんだろう?」っていうシーンがあって、
そのことばをずっと思い出していました。
梨花は結局、夫に傷つけられたときと同じように、
光太を傷つけ、光太から何かを奪い続けていたのではないかな、と。
こちらのテーマは「愛と資本主義」。
岡崎京子さんは1996年にひき逃げ事故にあって以来、重い障害を抱えて漫画家の仕事を続けられなくなっています。
この人が仕事を続けられていたら、どんな作品が世の中に出ていたのか。
ひき逃げ犯人は彼女の健康や日常生活だけでなく、その楽しみまで奪ったんだわね。
ちょっと話それちゃったけど。