犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

聖徳太子ならどうしただろうか。

2012年08月29日 | おせわがかり日誌



そういえば、ご近所の人でも、

少し離れたところの人とはわりと仲良く出来て、

隣の人(あるいは上下)とは、うまくいかないことがありませんか?

テレビの音がうるさい、犬猫の毛が飛んでくる、

ふんのにおいがする、早朝から夜遅くまでピアノの練習をしている、

子供の足音がうるさい、夜明け前から掃除機をかけるので眠れない、

夜おそくシャワーの音がうるさい・・・などなど。

数え上げたらキリがないんですが、今日本が抱えている国際的な問題も、

これと似たようなものなのではないかと思ったりします。

中国はアフリカを支援していますが、日本から支援されています。

韓国も日本から支援されています。

でも表に出てくることは、そのことへの感謝ではなくて、反対のことばかりですね。

で、何かというと、60年以上も前の戦争のことで、日本に責任があるから、の一転張りです。

第二次大戦でそんなことをいってる(いわれてる)国がほかにあるでしょうか。

ドイツはどうでしょう。イタリアはどうでしょう。なぜ日本だけいわれるんでしょう。

戦争のことは否定しません。確かにそういう一面もあるでしょうな。

だけど戦争の話を出すのであれば、日本だって犠牲はあるわけです。

原爆だって落とされたし、2回もね。

それにたくさんの人たちが死んでいったんです。空襲で、戦地で、飢餓で。


一銭五厘たちの横丁 (岩波現代文庫) [文庫]」という本には、

戦地の兵士へ家族の写真を送るために、東京の下町で有志の人々が写真をとってまわり、

その記録を手にした現代のジャーナリストが、その写真の人たちを訪ね歩き、彼らの戦後史をまとめた本です。

その中で、何人かの人が、「信心はしておりません」と、うつろな、くらい目をして語っています。

戦争で家族を亡くした人たちです。あるいは自分が戦争へ行き、何もかもを失った人たちです。

「何度も神様にお願いしたけれど、神様は、あの子を返して下さらなかった。だから信心はやめました」

さらに、ごく控えめにではあるけれど、自分の大事な人のいのちを奪い、戦争へ行けといった、天皇を恨むようなことも言う。

答えてくれる人はまだいいほうで、答えてくれない人が殆どでした。

その理由はほぼすべてが「もう思い出したくないから」というものでした。

日本にだって、そういう犠牲もあったということです。そして今も、その人たちの家族は生きていますしね。

だから靖国神社があるんです。あそこは「もう信心はしておりません」といった家族たちが、

戦争で失った家族を思う場所なんです。会いに来る場所なんです。神聖な場所なんです。

長崎の記念碑も、広島の記念碑も基本的には同じです。

それを諸外国にとやかく言われる筋合いはない。



こんなとき、思うのは、やられっぱなしになりなさんなよ、ということなんです。

いなかったという人も多いのですが、聖徳太子ならこんなときどうしたでしょうか?

中国と対等にわたりあった人ですね。対等にわたりあったというよりも、侵略させなかった人、です。

その人は今より平和が危うかった古代に、こんな決まりごとを作り、広めました。


夏四月丙寅朔の戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)

四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)

六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)

七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)

八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)

九に曰く、信は是義の本なり。(略)

十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)

十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)

十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)

十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)

十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)

十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)

十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)

十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)



これが外交の突破口を開くヒントになりはしないでしょうか。

ちなみに聖徳太子はいなかったという人がいますが、そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。

ただ、私は聖徳太子であったり日本武尊という伝説の人や考え方が、長きに渡り日本人の心の源を作っていると信じています。

古い時代のことなので、証拠がなくて(あっても見つけられなくて)当然ではないでしょうか。

大事なのは日本人の精神性を作った礎が聖徳太子の考えにあるということです。

生まれれば神社に参り、結婚すれば教会で愛を誓う、そして死んだら寺へ行き戒名を持つ仏様になる、という、柔軟な考え。

日本人はこれを恥じたりしていますが、一神教の人たちからすると、

「いいわね、私の国では、クリスマスにイルミネーションをつけたり、お祭り気分なんて考えられないことよ」

とか、

「私の国では、何を信じているか、いないか、で殺し合いになるのよ」

という人たちがいて、日本人のように柔軟な考えを持ち、人生を楽しんでいること、

他の宗教や民族を受け入れる余地のあることを、本当は羨ましく思っているそうなんです。



そうやって考えますとね、今、もめてる国の考えと、

その國の人たちの考えは、実は少し、違ってるんじゃないのかな、という考えにたどりつくわけです。

本当はお互いに、仲良く商売したいとか、こういうこまったところを助けてほしいとか、

そう思っているのに、国と國の事情で、それが困難になったとするならば、一体誰がトクをして、損をするのか。

そんな風にも心配になるわけなんですよ。


仲良くしながら、お互いを認め合う、っていう方向には、どうすればいけるんでしょうか。

壊してしまうのは簡単だけれども、ね。