空手道へっぽこ稽古日誌 An ordinary person's karate practice diary

いい歳こいて空手を学ぶおっさんの備忘録。
23年7月2日に二段になりました。
まだ続けるのこれ?

【閑話休題】母ですが、3月8日に、施設を転居することになりました。/24.02.29

2024年02月29日 | 【閑話休題】

母ですが、3月8日に、施設を転居することになりました。

夏ごろからちょいちょい転倒しては頭を打って、
森山病院脳外科受診というのを繰り返していたわけですが。
自分の備忘録的にこの2カ月あまりを時系列で整理すると・・・

 1月2日に「力がでない、立てなくなった」と母から連絡があり、
 当番医 梅藤整形外科クリニック受診。
 先生の診たては坐骨神経痛で、
 「痛みが激しすぎて痛みとして認識できない状態。だから力が入らない」とのこと。
 ブロック注射を施してもらい、「それから調子が良い」と母。

 で、1週間後の1月8日に転倒して右肋骨骨折と診断。
 しかし、肋骨は固定のしようもないので自然治癒を待つしかない・・・
 診てもらったのは、勤医協一条通病院の整形外科だが、
 「1年近く来てないから、もううちの患者じゃないからね」とあしらわれる。

 1月25日にもまた転倒しての後頭部打撲で、森山病院脳外科受診。

 1月27日の夜、「胸が痛くてたまらない」と母から電話あり、当番医 やまが整形外科クリニック受診。
 先生曰く、「え、勤医協さんで胸を固定するバンド、もらえなかったの?」と言われる。
 ・・・あのじいちゃん先生には嫌味と文句はいわれたけど、バンドはなかったな。
 マジックテープ式の胸バンドを出していただき、毎日起床時に固定することに。

 2月6日夜にまたまた「お母様が胸が苦しくてたまらないと訴えています」と施設から電話。
 痛みが肋骨骨折からなのか、内臓なのか訴えが曖昧なため、救急車を呼んでの救急搬送。
 救急隊員の方が検温したら、38℃。
 先ほどまで平熱だったのに。
 厚生病院、勤医協一条通病院、旭川脳外科病院、市立病院をことわられ、
 結局、施設から一番近い旭川日赤病院へw
 母の訴える痛みの場所と高熱から、「腎臓かもしれない」とそちらも検査してくれたが何も出ず。
 先生、辛抱強く母から話を聞く。
 で、原因わかってみたら、顎かっくんなあきれた理由でした。
 「押し入れの整理をするのに、邪魔だったから」と、
 マジックテープ式の胸バンドを外して、何時間か作業していたそうな。
 そら折れてる肋骨あたりが痛くなるし、発熱もするわ。

 その後もちょいちょい同様の騒ぎやらかす。
 2月27日も朝9:00頃、母が居室で転倒したと施設から電話。
 午前の就職面接前に様子を見に行くが外傷もなく、両手を20秒間揚げさせても異常認められず。
 今週来週で病院には連れて行くので、当日通院は取り止め。

東京の兄と電話で諸々相談した結果、

「母の安全のためにも、次男(私)の暮らしの為にも、母を体制の整った有料老人ホームへ移す」
「残り時間の少ない母の望みには極力応える」
「母や施設からの日中の呼び出しに対応できる仕事に次男(私)が転職する」という結論に。

幸いにも条件のいい施設に空き室があり、3月8日に転居できることになりました。
常駐の看護師がおり、病院との提携で毎月の往診もあります。
職員も多く、緊急時には職員が通院同行を行ってくれるなど整った施設なのでひと安心。
ケアマネージャーも常駐しているので、包括支援センターからバトンタッチ。
転居と共に母の介護度も要支援2から要介護1,もしくは2に区分変更をかけ、
暮らしや福祉用具など諸々新たにしていくことも決まって、胸をなでおろしています。

入居費用はガンとあがりますが、母と私たち家族の安心・安全のため。
惜しんではいられませんので。