さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

スペインのコンキスタドール

2014-11-02 | 名画に学ぶ世界史
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コルテス(1485~1547)
 
コロンブスによる新大陸発見以来、16世紀のスペインでは新しい島や陸地を征服したものをコンキスタドール(征服者)と讃え英雄扱いだった。スペイン王室は征服に成功し、入植した者に土地と住民の統治を託すというエンコミエンダ制を敷いた。そこでコンキスタドールたちにとっては、早い者勝ち、分捕り放題、成功すれば国王にもなれると野望は膨らむ。そんな環境に育った19才のエルナン・コルテスはコロンブスが発見したイスパニョーラ島に渡り植民者となる。

26歳のとき、キューバ征服を計画したベラスケスの一団に参加した。その勇猛果敢な働きによりベラスケスの秘書官になったコルテスは鉱山経営や牧畜を学び原住民を支配する方法を覚えた。34歳になったコルテスはベラスケスと対立し、500人の兵士、馬16頭、大砲を積んだ帆船11隻を率いてキューバを去る。メキシコ湾岸にベラクルシ市を建設、さらに内陸にあるアステカ帝国に向かう。アステカの周辺の部族はアステカの過酷な重税に不満を募らせていたので、コルテス軍は不満部族を結集してアステカに迫った。約2年間攻防を繰り返したが、1521年、コルテスはアステカ帝国を滅ぼした。
 
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アステカ帝国の成立から滅亡までを描いたディエゴ・リベラ作「メキシコの歴史」
 
コルテスがアステカ帝国に迫ったとき、最初アステカ王は戦いを回避して和睦しようと、黄金を差し出した。するとコルテスたちは和睦の挨拶にこれ程の黄金を出すのだから、宮殿には何百倍の黄金があるに違いないと考えたという。住民によれば、スペイン人は飢えた豚のように黄金を欲しがったと伝えている。征服者たちが禽獣と化した最大の理由は黄金である。中南米には至るところに金山や銀山があり、原住民を奴隷として使役することにより莫大な財産が手に入った。

コンキスタドールたちは多くは本国では認められることもない身分の低い、一攫千金に命を賭けた男たちだった。正規の軍隊など持たず、わずかな私兵を連れての遠征である。ほとんどの男たちは失敗に終わったが、成功しても仲間争いや、インディオたちからの復讐などで裕福に暮らした例は少ない。コルテスは38歳にしてカール5世(スペイン王を兼ねた神聖ローマ帝国皇帝)より総督に任命され、さらにカリフォルニアの探検、ホンジュラスやニカラグアへの征服を命ぜられる。55歳で総督の地位を失い62歳にて死去。

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フランシスコ・ピサロ(1470~1541)

1533年、南米のインカ帝国を征服したのはフランシスコ・ピサロであるが、仲間だったコンキスタドールを殺し、自らはその息子に殺された。コルテスもピサロも相手の文化には全く理解なく完膚なきまでに粉砕し、大量虐殺、強姦、略奪行為により征服した。原住民たちを金山、銀山で奴隷として強制労働をさせ、気に入った女たちは妾にした。一時的にはその地で君臨したが、やがてスペインの貴族たちにその地位は追われた。

~~さわやか易の見方~~
 
***  *** 上卦は水
******** 艱難、災難、悩み
***  ***
***  *** 下卦も水
********
***  ***
 
「坎為水」の卦。坎(かん)は艱難に陥ることを意味している。艱難を表す水が上下に重なるところから、一難去ってまた一難というように最悪の卦である。こんな時にどう処するかは最も苦労を必要とする。困難に打ちひしがれるだろうが、その苦労に堪えることにより人間が鍛えられる。すぐに解決する道はない。しかし信念を忘れず、忍耐することにより必ず次の時代は来るものである。
 
原住民にとっては飛んでもない災難に襲われたようなものである。中米にも南米にもそれぞれ紀元前からオルメカ文明やマヤ文明が存在していた。何万年の間、別の歴史を辿っていた訳であるから、文化に相違はあるが、アステカ帝国やインカ帝国も独自の文化があり、社会があった。人口もアステカ帝国には1100万人がいたし、インカ帝国には80部族の中に1600万人もいた。コンキスタドールの侵略と同時にスペインから持ち込まれた天然痘により人口は10分の1にも減少した。労働力が不足するとアフリカから黒人を奴隷として送り込まれた。

「大航海時代」と名付けられた征服と侵略の時代は約200年間続く。やがて国を挙げての植民地政策となり、20世紀に至るまでヨーロッパの繁栄には欠かせないものとなった。それが当たり前の文化となり、この野蛮な行為を批判する人もいただろうが、少数意見として無視された。その時代のヨーロッパ諸国はまるで理性を失った獰猛な獣たちのようだと言わざるを得ない。植民地にされた住民たちは屈辱と忍耐を強いられ、独立を勝ち取るためには、その後200年から300年、あるいはそれ以上の長い期間を要した。

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