「奥深い思想や、悟りを得たダ・ヴィンチは、宗教というものは、所詮、人民をコントロールする道具にすぎない、と思った。
しかし、神は紛れもなく存在する。
ダ・ヴィンチは、
宇宙的な視野に立って、世の中を見て、
人民が翻弄されている宗教とは何であるか?を、問いかけた。
神は存在するのか?しないのか?
それについて、思考してみた。
聖職者が、盛んに唱える教えのもとで、意識する神、イエス・キリスト、それよりも
ダ・ヴィンチは、別の次元において、神の存在を強く意識し、確信した。
自分の思想のなかで、これこそが、自分が求める神であるという深いメッセージ、それを、ダ・ヴィンチは、絵画のなかに、封じ込めたのではなかろうか?」
モナ・リザが描かれた当時のダ・ヴィンチの悟りの境地に対し、そんなイメージが沸き上がって来ました。
「ダ・ヴィンチは神を意識した絵画を描いた。
しかし、それは当時の世の中において、宗教の枠組みに当てはまらない絵だったので、宗教画と認めらず、
しかしながら、美術品の価値として、その作品を後世に残すべきだと、時の権力者ならびに教皇などにより議論が、なされた。
その話し合いの結果として、未来永劫、ダ・ヴィンチが描いた、謎めいた微笑みの夫人に対し、宗教画としての解釈が与えられぬよう、
一個人の肖像画の枠組みに入れ込もうではないか?という見解とされた。
数日経ったある日、ジョコンダ夫人は、フランソワ2世(フランソワ1世の後のフランス王)や、当時の政治や宗教的な支配を司る権力者数人に招かれ、フランスの宮殿を訪れた。
(説明)ダ・ヴィンチが亡くなって数十年が経った頃、ジョコンダ夫人は老年ながら、生きていた。
ジョコンダ夫人は、権力者達に囲まれた。
「この絵は、あなたがモデルですよね?」
ジョコンダさんは、そう問われた。
「いいえ。私ではありません。私の若い頃に、ちっとも似ていません。
私がモデルではありません。」
ジョコンダさんは答えた。
しかし、権力者は、その答えを受け入れることはなかった。
「あなたがモデルでないと困るんです。あなたがモデルですよね!あなたですね!」
権力者は、ジョコンダ夫人にそう言い、詰め寄った。
ジョコンダさんは、もしも逆らえば殺されるかもしれないという恐怖心から
小声で、はいと頷いた。
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