※ ブログタイトルと、文章の一部を変更しました。
「ヴェールを被ったフィレンツェの貴婦人」と呼ばれていた絵画は、ダ・ヴィンチの没後50年の時を経て「モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)」と呼ばれるようになりました。
何故タイトルは変更されたのか?変更の理由について、単純に考えたら、下記のような流れになりますが、もっと複雑な要素が絡み合っているかも?です。
ジョルジョ・ヴァザーリは、伝え聞いた噂(ヴァザーリ自身は絵を観たことがなかった)をもとに
「フランスのフォンテンブロー宮殿に飾ってあるヴェールを被ったフィレンツェの貴婦人のモデルは、ジョコンダ夫人である」という内容を、1550年、ルネッサンス芸術家列伝に明記していました。
ミケランジェロ没後、ヴァザーリは、フィレンツェの君主メディチ家のコジモ1世のお抱え芸術家となりました。時の最強権力者のもとで、ヴァザーリは、芸術活動を勤しむことが出来たのです。
ダ・ヴィンチの描いた絵のモデル候補としては、イザベラ・デステをはじめ何人かの名前があがっていましたが、ヴァザーリが権力の強いメディチ家との繋がりが深かった為、ヴァザーリ説が最有力となり、加えて、メディチ家は、フランス王室に、王妃として、一族の子女を嫁がせ、王室との関係を蜜にしていました。
そういう経緯があり、「ヴェールを被ったフィレンツェの貴婦人」が「モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)」と呼ばれるようになったかもしれません。
それにしても、不可思議なのは、
ダ・ヴィンチをはじめ、その時代に活躍していた重要な人物が1519年に亡くなっている、、、
これは
まだ、謎ですね。
私達は、既成概念にとらわれることなく 個々に判断し、ダ・ヴィンチの無念さを感じ取りながら、モナ・リザを、今後どう読み解くか、その重要性を改めて考えてほしいと思います。
「モナ・リザ」というタイトルは、いかに偉大であったとしても、ダ・ヴィンチ自身が意としていなかったかもしれないタイトルだったという見方やその認識を、より多くの方々に感じていただきたいと、私は願います。
(約820字)
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