モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

『来世の母』の受胎告知

2015-11-11 09:46:03 | 日記

※ 以前書いたブログを転写します。

タイトル
「モデルは誰であるかという論議はあまり必要ではない。」

2011.02.23

世界各国の研究者の方々に大変、失礼な話ですが
未来は、モナ・リザのモデルは誰であるか?という論議はあまり必要ではなくなると思います。
ダ・ヴィンチは受胎告知を描いた頃の年代に遡って、自分のルーツを探っていました。
母と引き裂かれた幼児期の辛い感情を思い出し、また、絵画芸術を志した自分を振り返りました。
自分の集大成ともいえる作品、それは『来世の母』でした。
ダ・ヴィンチは、如何に天才と称されたとしても、自分は孤独な一人の人間であることを悟ります。
だから、来世に望みを託したのです。
モナ・リザは、母をモデルに描いたリッタの聖母(下絵)に通じ、それは、受胎告知を(仲間と共同で)描いた頃の、芸術に対する、真っ直ぐな志を持っていた自分に通じる絵でした。
それを原型とし、自分の顔に似せた絵を描き、自分の魂と母の魂を共存させた絵を描こうと思いつきました。

すると
す~っと
穏やかなる感情が生まれました。

ダ・ヴィンチは、来世の母の大いなる愛に包まれて幸せでした。
受胎告知のマリアの横顔や亡き母の面影や、ダ・ヴィンチ自身をパズルのように組み立てて、一見、肖像画のような女性を描きましたが、絵を描いている途中、義母の姿も蘇ってきたであろうと思います。義母もまた、ダ・ヴィンチにとって大切な存在だったかもしれません。彼がジョコンダ夫人から強烈なインスピレーションを得て、その絵を描くことを思いついたのなら、モデルはジョコンダ夫人であるという説も、全くの間違いではないのです。

しかし
共通して
大切な
大切な
大切な
テーマが存在します。

それは
『来世の母』の受胎告知です。
ダ・ヴィンチは
全宇宙を包み込むような
美しく慈悲深い
聖母を描きたかったのだと思います。



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