※ 以前書いたブログ記述を転写します。
何かを論ずれば、、、
世の中、正論を論ずれは、面白みに欠けると、興味を持ってもらえない。
異論を論ずれば、証拠もないのに、出鱈目を言うなと、馬鹿にされる。
正論でもなく、異論でもなく
横道に逸れた、オカルトじみた解釈は、日々観ていて飽きることはないし、興味をそそられ人気が出たりする。
そう、人は「謎解き」が好きだから。
ミステリーは、人を虜にするが、
時に、真実は歪められる。
人は、間違った解釈だと知りもしないで、あたかもそれが、真実であるかのような情報は、拡散されてしまう。
悲しむべきは
ネット社会
正論でもなく、異論でもない
オカルトが、もてはやされる。
間違った解釈は、世の中に蔓延る。
人々は、真なるスピリチュアルの探求を怠り
オカルトじみた解釈のなかに、スピリチュアルの原点を探る秘密があるような気になり、
その論を聴いた人々は、
この世の真理を追求しているような錯覚を起こす。
本当は目覚めていない人達が、
自分こそは
最先端で、目覚めている人の仲間であると、勘違いする。
オカルトじみた解釈により
目覚めを妨げられていることに気付きもしないで、
真なるスピリチュアルから
どんどん、遠ざかっていることも知らないで
我こそは、目覚めの第一人者だと
自負する。
正論を唱えていた、研究者は
オカルトじみた解釈を、バカバカしいと相手にしない。
異論を唱えていた、研究者は
自分の論じた真実が、オカルトじみた解釈により、フィルターが掛かり遮られることに、苦しむ。
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