毎朝、朝日新聞に目を通していながらほとんど社説には目を通していませんでした。あまりにも偏った意見で一般紙としては不適当だと思うからです。
憲法記念日である今日の社説にも相当疑問を感じてしまいました。後々まで残す意味でも今日は敢えて全文引用しておきたいと思います。
世直し気分と歴史の重さ 改憲論議を考える(朝日新聞5月3日社説)
(以下朝日新聞社説5月3日より引用)
「あなたは改憲ですか、護憲ですか」と街頭インタビューで聞かれた30代の男性は「どっちかって言うと改憲な感じです」と答えた。
憲法をゼミで学ぶ大学生はこう言った。「護憲ってダサいし、就職にも不利っぽいかも」
憲法といえば、かつては思想や民主主義をめぐる路線がぶつかりあう硬いテーマだった。ところが最近は気分やスタイルの問題みたいな雰囲気が漂う。
朝日新聞の世論調査で「改憲」という言葉のイメージを聞いたところ、「現実的」29%、「未来志向」28%と肯定的な意見が多く、かつての改憲につきものだった「復古的」というイメージを答えた人は8%に過ぎなかった。
●憲法イメージが転換した
憲法の出発点でもあった戦争の記憶は薄れつつある。いま戦争といえばイラクであり、北朝鮮の核・ミサイル問題や拉致問題も頭に浮かぶ。潜水艦が石垣島沖を横切ったりする中国の大国化も気にかかる。こうした「いま」の出来事が、平和主義を唱えるままでいいのか、と人々の気持ちを揺らしているのだろう。
加えて、90年代の「失われた10年」に象徴されるような閉塞(へいそく)状況を打破したいという空気もある。今回の調査でも日本社会の行き詰まりを感じる人が85%もいた。「世直し」を求める気分に改憲はすっぽりとはまる。「改憲」イコール「改革」という図式の中では「護憲」は「守旧」となりやすく、どうも分が悪い。
しかし、では憲法のどこをどう変えるのかとなると、議論はたちまち拡散する。軍隊を持つべきだという論もあれば、「権利意識ばかりが幅をきかせて」と戦後社会のありようへの腹立ちをぶつける論、愛国心、プライバシー……。
それらが重なり合って、憲法改正の賛否を問えば「賛成」が過半数を超える。焦点が絞られないまま、漠とした世直し気分が改憲論を押し上げている。
●永田町と世論とのずれ
だが、このムードは現実の改憲に結びつくのだろうか。憲法施行から58年たった今年、それが容易ではないことを示す出来事がふたつあった。
ひとつは、5年間にわたる審議をまとめた国会の憲法調査会の最終報告書である。ゼロから憲法を書き直そうとする改憲派の全文改正の試みは、機運を盛り上げはしたものの、結局、あれも入れたい、これも欲しいと議論が百出し、収拾がつかなくなってしまった。
集団的自衛権の行使をはじめとする9条の論点などでは、さまざまな意見が併記された。改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要なのに、ひとつの案にまとめるのは至難の業だろう。
しかも、国会議員が永田町で熱くなっているほど世論の関心は高くない。
朝日新聞の調査では、憲法調査会のことを「知らない」人が71%だ。最終報告書の内容を「知っている」人となると3%に過ぎない。焦点の9条改正には慎重な声が多い。むしろ世論の関心は環境権やプライバシーなどいわゆる新しい人権の方にあった。政治家と世論の間には大きなずれがある。
もうひとつの出来事は、この春、中国や韓国で噴き出した激しい日本批判だ。それぞれに誤解や国内事情があるにせよ、底流にはかつて日本が仕掛けた戦争や植民地支配に対する責任と反省への問いかけがあるのは確かだ。
9条改正論の中には、いまの自衛隊をきちんと憲法に位置づけ、海外での活動にもはっきりと根拠を与えるべきだという今日的な主張もある。
しかし、9条の平和主義は、過去の過ちは繰り返さないという日本の不戦の証しでもある。これがあるからこそ、和解への取り組みが不十分でもなんとかやってこられた。もし9条を変えるのなら、その前にきちんとしておくべきことがあるのではないか。
●平和ブランドをどうするか
旧西ドイツは戦後10年ほどの間に憲法を改め、再軍備に踏み切った。東西冷戦の最前線に位置し、西側陣営の圧力があってのことだが、それには徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提だった。米国と仲良くやってさえいればよかった日本とは根本的に異なっていた。
ところが日本ではいま、過去を正当化しようとする議論がまかり通る。A級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に小泉首相は参拝を続け、それが近隣諸国の不信を招いている。その一方で9条まで変える、まして堂々と軍隊を持つとなれば、さらに不信をふくらませかねない。
自衛隊は一流の装備を持ちながら海外ではきわめて抑制的に振る舞い、武力行使はしない。愚直なほどに原則にこだわり続ける姿勢が、国際社会における日本の「平和ブランド」をつくってきた。戦後日本が築いた資産のひとつだろう。9条を変えるなら、それを捨て去るのかどうかの議論が欠かせない。
憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら拒む理由はない。政治に求められるのは、単なる世直しムードを超えて、改憲することの利害得失を大きな視野で見極めることである。
(引用ここまで)
…相変わらずというか、どこに議論を誘導しようとしているかミエミエな文章です。
冒頭から
先日疑問を呈した「朝日のアンケート」から始まっています。どうやら今回も朝日の都合の良い数字を並べて、いかに現在の改憲論が意見ではなくてイメージだけなのかを強調したいようです。
永田町で議論されている改憲論と、国民の間で議論される改憲論は、ずれていて当然です。いざ有事という時に駆り出されて戦場に行く立場の人間とそうでない人間の意見が同じである筈が有りません。そんな無意味な事を持ち出してまで改憲派の足並みが揃っていない事を際立たせて、憲法改正時期尚早という方向に持って行きたいのでしょう。
朝日新聞に言われるまでも無く、私は日本国憲法第9条は「世界に冠たる平和憲法」だと思います。第9条第1項は安易に変えるべきでは無いと考えます。ですが、「国を守る為の戦力」を持たずに国を守るのは不可能です。日本の国を守ってくれている自衛隊をこのまま違憲状態にしておく訳には行かないと思うのです。自衛隊が居なかったら、誰が日本を守るのでしょうか?(米軍というツッコミが多数有りそうですが)
第9条第2項の「戦力の不保持」と自衛隊は明らかに矛盾しています。本来は自衛隊(警察予備隊)の発足時の1952年に憲法を改正していなければいけない内容だったと思います。
古来、軍隊を持たずに国が栄えた例は有りません。国で有る以上は軍隊保持というのは避けて通れない道です。戦力不保持というのは周辺諸国全てとの良好な友好関係でも構築出来ない限りは絵に書いた餅でしかありません。現在の日本と周辺諸国との関係を考えれば尚更でしょう。
いざ周辺有事となった場合に我々の生命と財産を守るのは自衛隊です。50年以上も国を守ってもらって置きながら、憲法改正となると「自衛隊は軍隊ではない」という解釈で逃げるのはどうかと思います。明らかに拡大解釈であり、このまま続けていると憲法を逸脱した行為も解釈次第で可能になってしまいます。
新しい憲法条文に「専守防衛」という内容を盛り込むのであれば、私は自衛隊を合憲にする為に憲法を改正するべきだと考えます。有事の際に防衛の為に戦えないような実の無い憲法は改正すべきだと思います。そのうえで憲法に明文化されている事のみ可能としなければ解釈次第で憲法自体が骨抜きになってしまいます。
某自民党幹事長代理の訪米の際の
スピーチのような国連常任理事国入りを目指した「国際貢献」の為の憲法改正論こそ時期尚早です。彼の次期総理候補らしからぬ右傾化した考え方は非常に危険です。日本の国際貢献が軍隊派遣である必然性が現段階では有りません。まだ軍隊派遣以外での国際貢献の方法が議論されていない段階から憲法改正を勝手に「民の声」にされては困ります。彼には別な「神の声」が聞こえてしまっているのではないでしょうか?
日本国憲法が施行されてから58年になります。そろそろ真剣に改正すべき部分を議論しなければいけない時期に来ているのではないでしょうか?今回の憲法改正論の高まりが良い方向へ向かう事を期待します。
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