かねぴ~主任の徒然記

今春、遂に昇進しかねぴ~「係長」になってしまいました。タイトル変更検討中。(笑) コメント・トラックバック大歓迎です。

米百俵の精神?

2004年12月24日 | コラム
○泉総理大臣という人は派手な言動が目立っているが、どうも意味が分からない言葉が多かったり、説明責任を果たしていない感じがする。そんな疑問のうちの一つを書いてみたい。

小○総理が大臣就任当初、所信表明演説の中で構造改革を指して「米百俵の精神」と繰り返し言っていた。「米百俵」とは、よほどの日本史フリークでも無い限り知らない言葉だと思う。
戊辰戦争の際に旧幕府軍の奥羽列藩同盟に加盟して戦った長岡藩は、執政河井継之助の指揮の元に藩土を焦土と化す激戦を繰り広げた末に新政府軍に敗れた。7万4000石だった石高は2万4000石に減らされ、藩士は窮乏していた。そんな長岡藩の窮状を知った長岡藩の支藩三根山藩は、米百俵を見舞いとして贈った。それを受け取った長岡藩の小林虎三郎は、百俵の米を藩民に配らずに売り、その金で国漢学校を設立し文武両道の人間を育てる為に使った。国漢学校からは後に太平洋戦争の海軍元帥山本五十六や、東京帝国大学総長の小野塚喜平次などが出たという話である。

最近○泉内閣の進める三位一体改革の方針の中で義務教育費国庫負担制度の見直しが実施された。義務教育費国庫負担制度とは、国が義務教育費を拠出して地方自治体が予算を分け合う制度である。地方自治体ごとに財政力は差が有るので、義務教育の内容に地域差が出ないように国庫負担制度によって調整してきた。今回、三位一体改革の一環として義務教育費国庫負担制度の約8500億円の削減が盛り込まれた。教育に関わる費用を予算の問題だけで削減するのは、「米百俵の精神」と言っていた総理大臣の施策として果たして適当なのであろうか。

○前首相がこの件に関して、「今回ばかりは許せない。教育の問題を金で解決しようとしている。就任当初、『米百俵の精神』と言っていた○泉首相が、お金だけの算段をしているから私は怒った」というような発言をしていた。表面上はかねぴ~と同意見のように聞こえるが、彼らの言っている事は義務教育費国庫負担制度削減が教育基本法改正に障害になりかねない為に反対しているだけの事である。彼等が教育基本法改正を唱えると、どうしても○傾化した考え方というのが見えてしまう。
もし国庫負担制度が削減されて自治体ごとの教育水準に差が生じた場合、水準の低い地域の子供を持つ親はどう考えるのだろうか?やはり水準の低い県で教育を受けることに抵抗が有るだろうし、教育の為にわざわざ転居する親も当然出て来るだろう。そうなっていく事が日本の教育に良い影響が有るとはとても思えないのだが…
最近は青少年犯罪やゆとり教育の弊害の学力低下など、日本の教育をめぐる状況は悪化の兆候が見えて来ている。明日の日本を創るのは教育である。今こそ「米百俵の精神」で日本の教育を変えて行かなければならない時なのではないだろうか。

首相のこれまでの政策を見ていると、発言の派手さに比べて実際の政策が全く付いて来ていないように思えてしまう。残りの任期で是非やり残している公約の実現をしてほしいものである。