かねぴ~主任の徒然記

今春、遂に昇進しかねぴ~「係長」になってしまいました。タイトル変更検討中。(笑) コメント・トラックバック大歓迎です。

宗教はちょっと…

1999年05月27日 | コラム
日本人は無宗派の人が多いと言われている。でも現実に身の回りにはいろいろな宗教に属する人が少なからず居る。今日はかねぴ~が過去に体験した宗教の恐ろしい話。

うちの兄は茨城県にある大学に通っていた。大学1年の時は下宿だったが、家主さんが気さくな方だったので、何度か遊びに行っていた。
ある時、兄が持っている一眼レフのカメラを借りに行った。水戸駅には昼過ぎに着いたので駅前はあまり人気(ひとけ)が無く、閑散としていた。改札口を出ると横から一人の女の人が近付いて来て、「すみません、少しお時間を頂けないでしょうか?」と言って来た。ああ、宗教の勧誘だな、とすぐに感付いたかねぴ~は、「急いでますので」と断わりながら足早に立ち去ろうとした。すると後ろから結構大柄な男の人が二人近付いて来て、有無を言わさず両脇を抱えて拉致しようとした。かねぴ~は「何をするんだ!」と大声を出したが、両脇の男の人は明らかに目が”いっちゃってる状態”とでも言おうか、正気ではない感じだった。ここで揉め事を起こして怪我をしてもつまらないので、しばらく大人しくしておこうと思った。
すると3人はかねぴ~を車に押し込み、駅から車で約30分くらいの所にある教団の建物に連行した。建物はかなり大きい神社みたいな感じだった。かねぴ~は「結構儲けてやがるなあ」などと不届きな事を考えながら建物の中に入った。中も調度品など豪奢な作りで、いったい何人の信者から莫大な献金を集めているんだろう、と呆れながら部屋に入った。
部屋には何人かの信者が壁に掛けてある筆書きの掛軸に向かってお経を唱えていた。掛軸は日蓮上人の書だと言う。なるほどここは日蓮宗系の新興宗教団体だったか、と思った。そういえば最近宗教団体の人間が博物館等に収められている掛軸を盗む事件が何度か有ったが、こういう使い道だったのか、などと悪い方に考えていた。強制的に連れて来られているんだから悪く取られて当然だろう。
やがてかねぴ~の廻りの人々が、この教団には1万人以上の人が信者になっている事や、皇族にもお忍びで通って来られる方がいらっしゃる事、教えによって多くの人が救われた事などをかわるがわる説いた。強制的に連れて来られたかねぴ~がまともにそんな話を聞き続けられる訳が無い。幸いトイレに行ったところ窓が大きかったので、そこから脱出した。
かねぴ~は他の人が宗教を信じる事は特に何とも思わない。他人の信条を妨げるつもりも無い。だからこそ、「全く宗教を信じる気が無い」かねぴ~の信条を妨げて欲しくないのだ。宗教を信じるのも、信じないのも個人の自由だから。身の危険が有ったから言えなかったが、本当はあの新興宗教を信じる人達に言ってやりたかった。

しかし、今考えても危なかった。逃げてなかったら一体どうなっていたんだろう。未だに考えただけでもぞっとする。

天才馬券師伝説(笑)

1999年05月26日 | 競馬
かねぴ~主任は競馬場に交通の便が良い所に住んでいるので、よく足を運んでいる。そんなかねぴ~が生涯最高配当を当てた時の自慢話?(笑)

平成6年だから、もう5年前の話。日本ダービーの前日の土曜日に、かねぴ~は東京競馬場(府中)に出掛けた。翌日のダービーも見に行くつもりだったけど、当日は混雑で馬券がまともに買えるかどうか不安なので、ダービーは毎年前日に買いに行っている。
ちょうどこの年は三冠馬ナリタブライアンが登場した年で、翌日の大混雑は予想済みだった。土曜日の昼頃に家を出て競馬場に向かった。競馬場に着いたのは午後1時半過ぎ。1時40分発走の7レースの締め切り3分前だった。まだ着いたばかりでろくに競馬新聞にも目を通してないし、締め切り直前なのでまともに予想する暇もないが、その時は「このレースを買わなければいけない」ような不思議な感覚が有った。かねぴ~は、たまたまポケットに有った500円玉で1番人気の13番ヨシサルートから100円ずつ5点買いの馬券を買った。で、買い終わって馬券を見ると、13-17の組み合わせを買ったつもりだったのが、13-18になっていた。マークシートを書き間違えたのだ!17番スペルバウンドは4番人気だったが、18番ステディタイムはビリ人気を争っている。競馬新聞も印が一つも付いて無い馬だった。
やっぱり焦って買うとロクな事が無いなあ、と思っている所に二人組の男の人が通り掛かった。彼等は「18番の馬がパドックで暴れて騎手を振り落とした」という話をしていた。がーん、ダメじゃん18番。
一応レースだけは見ておこうと思って本馬場に移動。レースが始まった。18番ステディタイムは終始後方を走っていたが、直線で一気に追い込んで来て2着でゴール!!!1着は13番、あれ……当たってる。なんで当たっちゃったんだろ?(^_^;)
しかも場内に配当が放送されると周りの人達からどよめきが起きた。13-18の配当は1223倍。ふうん、って、1223倍だあ!?間違えて100円買ってた馬券が12万2300円!?
こうして思わぬ大金を手にして「しまった」かねぴ~は、翌日のダービーの馬券を2000円分だけ買って早々に競馬場を後にした。翌日、その馬券も当たり、更に美味しい思いができた。いやあ、さすが「天才馬券師」だね。←どこが?(笑)

今まで10年以上競馬場に行ってますが、間違えて買った馬券が生涯最高配当というのもどんなもんだろうと思います。そろそろ最高配当を更新したいところです。でも今までにマークシートを間違えて買った馬券は全て当たっているのは強運の為せる業でしょうか?(^_^;)

豊臣秀吉と伊藤博文

1999年05月22日 | コラム
かねぴ~主任の勤めるY社は今期も大幅な黒字決算だったので、決算賞与が支給された上に韓国(済州島)に社員旅行に行った。今日はその韓国旅行で感じたこと。

うちの会社は携帯電話から貴金属を取り出す事業で度々マスコミに取り上げられたように、リサイクルブームの影響か非常に業績が良かった。今日の朝刊の経済面に大企業の赤字決算とか大幅減益、債務免除など暗い話題が並んでいるのを見ると本当に恵まれていると思う。決算賞与も支給されたし、社員旅行で3月17日から20日まで韓国に行った。
かねぴ~は学生の頃は文系だったし世界史を選択していたので、日本と韓国の関係と過去の経緯を或る程度は知っていた。第二次世界大戦を引き合いに出すまでもなく、韓国にとって日本は憎むべき存在なのだ。
戦争は侵略した側には優越感を、侵略された側には恨みや敵意を残す。日本では歴史上の偉人である豊臣秀吉や伊藤博文が、韓国では「悪人」として記録されているのである。文禄・慶長の役と二度にわたって朝鮮出兵を行った豊臣秀吉、日韓併合時の初代朝鮮総督である伊藤博文は韓国人にとって文字どおり悪人なのである。
少し前に新聞に掲載されたが、日本人観光客がソウルの公園にある李舜臣の銅像の前で記念撮影をして韓国人の怒りを買い、また嘲笑された事があった。李舜臣は秀吉の朝鮮出兵の際に李朝朝鮮の水軍を率いて戦った救国の英雄である。そんな無神経な日本人の仲間入りはしたくなかった。だが社員旅行となると明確な理由が無い限り全員参加なので余り乗り気がしないまま飛行機に乗った。
韓国は深刻な経済危機から立ち直る為に観光にも力を入れている。そういう事情もあってか、若い世代の韓国の人は非常に友好的で快く迎えてくれていた。しかし、年配の人の日本人を見る視線は非常に厳しいものがあり、招かれざる客、といった雰囲気だった。滞在中に何度か韓国の人と話す機会があった。片言の日本語と韓国語だからコミュニケーションに苦労したが、戦後50年経って韓国ではやっと日本に対する敵意が薄れてきた、というような感じらしい。それを聞けてやっ少しと安心して観光にまわる気になれた。
そもそも共通の歴史認識など出来る訳が無いのかも知れない。でも今までの日本の腰の引けた外交姿勢や、日本人の認識不足が他国から反感を買っていた事は言うまでもない。2002年には日韓共催W杯もある。この機会に日本と韓国が隣国の友人になれる事を願いたい。

この文章は1999年に書いたものですが、結構時代の先を行ってたのかなと自画自賛している今日この頃です。
ただ、さすがに5年後にこれほどの韓流ブームが訪れるとは予想出来ませんでしたが。(^_^;)

狡兎死して走狗煮らる(こうとししてそうくにらる)

1999年05月21日 | コラム
かねぴ~主任に面識の有る人は分かると思うが、会社では文字通り「出る杭は打たれる」状態の人間である。そんな生意気な私に仕事と人生の処世術を教えてくれた大先輩の話。

かねぴ~は21才で現在勤めるY社に入社した。職業技術校でWindows(当時はWindows3.1)を習って勢い込んで就職してみたら、うちの会社では未だにMS-DOSのソフトで仕事をしていてがっかりしたものである。学校ではExcelとAccessを使っていたのに、会社ではThe○ARD3(知ってる人居るかな?とにかくショボい初心者向けのデータベースソフト)だった。LANすらまともに入っていなかったので、正直「仕事ってこんなもんか」と落胆し、バカにしていたと思う。
そんなかねぴ~が入社して配属されたのは経理課だった。そこに居たのが定年後に嘱託社員として働いていたI塚さん(当時63才)。「この歳になって孫みたいな若造と机を並べて仕事をする事になるとは思わなかったよ」と言いつつ笑顔で迎えてくれた。
しかし大手デパートで経理部長を務めていた事もあるエキスパートである彼の指導は厳しかった。「自分で考えて仕事を進めない奴は駄目だ」とか、「若いうちから手抜きをする奴はろくな人間にならんぞ」などと小言をいいながら経理の基本からみっちり教えられた。入社して一年間は本当に多くの事をI塚さんから教わった。
入社二年目を迎えて少しは仕事に慣れて来たある日、I塚さんは仕事上のことで上司と口論になった。そして翌日すぐに嘱託契約の打ち切り一方的に宣告されてしまった。明らかに間違っているのは上司なのに、と憤りを感じているかねぴ~にI塚さんはなだめるように「会社という場所はこういう所なんだ」と諭してくれた。
そしてI塚さんが退職する日、周りに人が居ないのを見計らって、「お前は仕事は出来る。だが諺(ことわざ)にもあるように”狡兎死して走狗煮らる”だぞ。俺と同じ轍だけは踏むな」と言った。
狡兎死して走狗煮らる(こうとししてそうくにらる)とは古い中国の諺で、すばやい兎も全て捕らえられて殺されてしまうと、猟犬は不要になり煮て食べられてしまうという言葉である。つまり役割を終えて不必要になった人間は簡単に捨てられるという意味なのだ。あまりにも見事に彼の立場を言い表している言葉だと思った。I塚さんはそれ以外何も言わずに静かに去って行った。
あれから早いもので4年経った。彼の教えが無かったら今日のかねぴ~は無かったと思う。一つ一つの教えが今でも鮮明に思い出される。

そのI塚さんが去年亡くなられた。沢山の教えを受けていながらお礼が出来ないままに亡くなられてしまった事が未だに悔やまれる。改めてI塚さんのご冥福をお祈りしたい。

最初ぐらいは真面目に書くぞ!

1999年05月15日 | コラム
過去に友達のHPに間借りしていた1999年から書いてあった記事が有るので、まとめて公開したいと思います。

かねぴ~主任の10年勤めている某Y社は従業員100人程度の典型的な中小企業だが、非常に平均年齢が高い。最近調べたときは42.9才だった。
年齢層が高い=役職者が多い という図式がある訳で、本社にいる65人のうち20人以上が課長職以上に就いている。
全社員の実に3人に一人、うちの社内で石を投げれば役職者にあたりそうな数字である。
中には「部下のいない課長」もいる。これって管理職???
過去には人事異動で自分に部下が居ない事に気が付いた課長が人事権を持つ部長の所に、
「部長大変です!部下が居ないんです!!!」って内線電話をしたという逸話まで残されている。(^_^;)
うちの会社って相当浮世離れしていると思う。業種が非常に特殊だからかも知れないが。