KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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福岡国際マラソン雑感~理想と現実と希望

2009年12月12日 | マラソン観戦記
今や、スポーツの国際大会をテレビで観戦する人々の大半が、「日本(人)が勝つか負けるか」にしか興味が無いのかと思えるような御時世である。今回の福岡国際マラソンの視聴率が一桁だったと聞いても、
「やっぱりね そうだろね」
である。さすがに、ボクシングの「日本人対決による世界戦」など、どちらが勝っても日本人の勝ちだからか、視聴率が昨年の紅白歌合戦をも上回る43.1%を記録したのも当然のことかもしれない。おかげで、わが郷土が生んだ明治時代の偉人を主人公としたNHKのスペシャルドラマは、初回から見事に「裏番組にぶっ飛ばされた」(古い!)。

かく言う僕は、その日出勤していて(現在の勤務は、土日も関係なく出勤する)、帰宅したのは9時頃でどちらもまともに見られなかったのだが。

こうなってくるとマラソン・ファンの一部で危惧されている、「福岡国際マラソンの全国生中継中止」も現実化しそうである。

今回、「国内招待選手」で最も事前に注目が高かったのは、山梨学院大時代に箱根駅伝で活躍したケニアからの留学生、メクボ・ジョブ・モグスだった。金メダリストのサムエル・ワンジルとは同学年で、彼のようにここで優勝して、世界の舞台に進出することを目論んでいただろうが、結果は31km過ぎでリタイア。今春、彼の運転していた車に同乗していて交通事故に遭い、一時は意識不明の重体と伝えられた彼のコーチが、今回、応援に駆けつけることが出来るまでに回復していたのが分かったことが最大の収穫だった。

テレビ中継ではほとんど触れられなかったが、全国高校駅伝で、世羅高校の優勝に貢献したジョセフ・ギタウも初マラソンに挑みながらリタイアしていた。日本選手のみならず、学生時代より駅伝でエースとして活躍してきたケニア人ランナーたちのマラソンでの不振ぶりを見せつけられると、またぞろ「駅伝有害論」が浮上しそうである。思えば、初めて箱根路にケニア人を走らせた山梨学院大だが、同校出身の留学生は故人となったジョセフ・オツオリにしろ、日本国籍を取得した真也加ステファンにしろ、その後のデビッド・カリウキらもマラソンでは目だった実績を残していない。「駅伝のエース」というポジションだけで、高額の報酬を得て、そこで満足してしまったからなのだろうか?

そういう点では、実業団駅伝での外国人ランナーの出場区間制限措置は、駅伝よりもマラソンにシフトしてくる外国人ランナーも増えてくるだろうか。それ以前に、外国人ランナーを雇用する企業自体が減ってくるのは確実だ。

日本にも希望が全く無いわけではない。今回、ペースメイカーを務めた、三津谷裕。トラックでは2度世界選手権に出場しているスピード・ランナーでワンジルはかつてのチームメイト(トヨタ自動車九州)だ。既に今年2月の熊日30kmで優勝している。指導者である、五輪銀メダリストの森下広一監督が、初マラソン日本最高記録(当時)で優勝した別大毎日でマラソン・デビューとの情報があるが、今回、中間点まで1時間3分35秒で引っ張ってみせた。はたして、どのくらいの「余裕度」でもって責務を果たしたのだろうか。そして、途中でペースを上げた先頭集団をどのような想いで見ていたのだろうか。それでも、自分の職務を全うすることに専念できた意思の強さは要注目だ。今回の経験を自らのデビューマラソンに生かして欲しいものである。

日本人トップの下森直。2時間14分42秒というタイムは自己ベストを1分42秒も更新したが、実は「区切りのレース」としての出場だったという。はたして、これを機に今後も競技を継続することとなるだろうか?

もしかすると、20日の防府読売マラソンの日本人トップのタイムが下森のタイムを上回るかもしれない。いや、そうあって欲しいと思えるが、それはいい事だろうか?


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