KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではないvol.6~デブは走ってはいけないか?①

2009年04月08日 | あなたもマラソンランナーになれる
久しぶりの更新である。新しい仕事に就いた関係で、パソコンに向かう時間が減ってしまい、これまでのように頻繁に更新ができなくなることをまず、お断りします。


東京マラソンも終わり、約2週間過ぎた。初めてフルマラソンを走った方もそろそろ筋肉痛も引いた頃だろう。

どうします?来年もまた走りますか?それとも、一生に一度、フルマラソンを走ってみたいという念願が叶ったからもういいですか?これからは次の「ハヤリもの」にチャレンジしますか?

また、来年も走ってみようと思う方、今年は出られなかった(抽選に落ちた)けど来年こそはと思ってらっしゃる方はお付き合いください。僕も今年、愛媛マラソンの完走を逃しました。これで1年以上マラソン完走から遠ざかってしまいました。再び「マラソンランナー」に戻るために、これまでの自分自身を振り返るために始めたシリーズですが、これからマラソンを走ろうとしている皆さんに少しでも参考になれたら幸いです。

さて、今年の東京マラソン、最も注目を集めたランナーは、九電工所属ランナーとしては41年ぶりにマラソン日本代表に選ばれた前田和浩でも、女子でワン・ツーフィニッシュを果たした、那須川瑞穂&佐伯由香里の小出ファミリーコンビでも、「自分らしいレース」を見せた土佐礼子でもなく、途中で急性心筋梗塞で倒れ、生命の危険にも見舞われた、デブタレントのM氏であった。

現在は無事に退院しているが、各メディアはこぞって、
「無謀な挑戦」
「安易にランニング・ブームに警鐘」
と書き立てた。一時に比べて、大幅に体重を減らしたとはいえ、現在なお体重100kgを越えている彼のマラソン出場ははたして無謀だったのだろうか?

彼がどのような経緯で今回の出場を決め、どのような準備をしてきたか、詳細は知らないので、彼自身についてどうこうは言えない。ただ言えることは、これは決して珍しいケースではないということ。今年で3回目の東京マラソン、3万人以上のランナーが参加する大会で、これまで1人の死者を出していないということは、実は大変な事なのである。彼のマラソン出場自体を批判するのなら、関門制限時間7時間というルールそのものを批判すべきだろう。関門時間の制限を緩め、多くの出場者を受け容れるということはそれだけ、大きなリスクを大会関係者に背負わせることなのだ。今回のM氏のアクシデントに対して、救命体制はかなり充実したものだったとの報道もあった。関係者の努力こそ、称賛されるべきだろう。それでなくても、もし、ここで人の生死に関わるアクシデントが発生していれば、都知事に対する格好の攻撃材料となってしまいかねない。
「Mは都知事に殺された。」
などと訳の分からない事を言い出す人も現われるかもしれない。お断りしておくが決して僕は現都知事の支持者ではない。はっきり言って嫌いなタイプの人間だ。しかし、その事と東京マラソンとを絡めて語ることは避けたい。それに、マラソン大会の出場申込書には、どんな大会であっても、
「開催中に発生した事故については自己の責任として、主催者には一切迷惑をかけません。」
という誓約書にサインと捺印を求められるのである。基本的に、マラソン大会のアクシデントで主催者に責任を問うことはできないものなのだ。

M氏は過去にマラソン完走歴がある。
「彼のようなデブでもマラソン走れるんだ。」
と思って、走り始めた肥満体型の方もいらっしゃるだろう。前にも書いたが、僕も走り始めたきっかけはダイエットが目的だった。はたして、僕の体重は走り続けることでどう変化していったか。デブが走ることがはたして良いことか悪いことか、僕の経験で判断していただこう。

あくまでも記憶だが、最も体重が増えていた時で90kgが目前に迫っていた。走り始めた'92年の5月頃、記録はしていないが少なくとも85kg近くはあったと思う。記録しているのは'93年以降だが、初めて10kmのレースに出た時には83kgあった。これで安物の粗悪なシューズを履いていたら、膝や腰を痛める(初めて練習で10km以上走った翌日に、ぎっくり腰になった。)のも当然のことだろう。

初めてハーフマラソンを完走したのは'93年の5月、その翌月に初めて80kgを切った。そのあたりから、練習量も増やしていけるようになり、2度のハーフマラソン出場を経て翌年の2月に初めて愛媛マラソンのスタートラインに立った前後の体重は75kg。その時は30kmでリタイアだったが、その年の秋に初完走を福知山で果たした時は73kg。翌年2月に愛媛マラソンを初完走した頃は70kg台にまで絞ることが出来た。ちなみに、僕の身長は179cm。

かつて、マラソンランナーの理想体型は身長(cm)から体重(kg)を引いた数値が110以上と言われていた。僕の場合、体重が65~68kgまでは絞りたいと思っていた。'97年の6月、ゴールドコーストで自己ベストの3時間0分28秒をマークした時の前後の体重は73kg。体重を70kg以下に絞りさえすれば、サブスリーは可能ではないかと思った。

この時点で、僕にとって、走ることは「ダイエットのための手段」ではなくなっていた。走ること、それ自体が目的になっていた。

所謂エリートランナーの中に体重が70kgを越えている人はほとんどいない。僕が知っている限りでは、世界最初のサブテン・ランナー、デレク・クレイトン(身長188cm、体重73kg)だけである。同じオーストラリアのロバート・ドキャステラも、大柄で筋肉質だが、体重はどのくらいだったのだろう。

中山竹通さんは僕と同じ身長で、競技者としての全盛期には体重は60kgを切っていた。マラソン日本記録保持者の高岡寿成さんは186cmで64kgである。

しかしながら、僕はついに体重60kg台でレースのスタートラインに立つことが出来なかった。一日だけ、練習後の体重が69.9kgを記録した日があったが、体重は73~75kgで安定してしまった。

その理由は、結局、僕は食事制限はしなかったからだ。

基本的に僕は大食いだ。好き嫌いなく何でも食べる。その上、ビールが大好きだ。さらに、走り始めて食べ物の好みが少し変化した。身体が疲れているせいか、甘い物をより多く食べるようになったのだ。外回りの仕事の途中、コンビニでチョコレートやシュークリームを買って食べていた。駅伝の後、監督の奥さんが差し入れてくれる饅頭が美味しゅうございました。

月300km以上走り込んでも、一向に体重が変化しないのを不思議に思っていたが、なんのことはない。走ったら走った分、消費したカロリーをそのまま補充していたのだ。その事自体は悪くない。問題は走れなかった時だ。少しでも休むとすぐに体重が増えてしまう。

40歳過ぎて、骨折やら仕事の多忙が重なるやらで走る量が減ってしまうと、もういけない。全ては元の木阿弥である。昨年は、一時体重が83kgまでリバウンドしていた。サブスリー目前まで迫った時よりも10kgも増えていた。この数年、尿酸値が高まり、痛風の症状も出ていた。

今年に入って、片道20kgの職場まで自転車で通勤したり、バナナダイエットを試してみることで、76kgまで戻した。この最近、仕事の都合で平日に走る機会が無くなり、78kgに増えてきたので、気をつけなくてはと思っているところだ。

以上、僕自身の体重の変化について語ってきた。M氏のように太っているが、マラソンを走りたい、どうすればいいか?
そう思われている方に対する答えは次回以降にさせていただく事をお詫びしたい。重ねて、標準体重よりオーバーしている僕がどうしてサブスリー目前まで迫れたかもお話するつもりだ。

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