KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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アーカイブス「マラソン春秋」vol.13~2003年福岡国際マラソン

2007年12月01日 | 「マラソン春秋」アーカイブス
五輪代表を決める、福岡国際マラソンを明日に控えた今、アテネ五輪代表を決めた4年前の福岡の展望、そして観戦記を再掲しようと思う。

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フクオカ~4年に一度の輝き
at 2003 12/05 07:05

今年で57回目となる福岡国際マラソンがあと2日後に迫った。もともと、この大会、第1回が行われたのは福岡ではなかった。

当時の名称、「朝日マラソン」がスタートしたのは、日本人で初めて五輪のマラソンに出場した金栗四三さんの故郷、熊本だった。正式には「金栗賞朝日マラソン」と呼んだこの大会、以後は持ち回りで行われた。高松、静岡、広島、福岡、宇部、宇都宮、名古屋、鎌倉、以上が朝日マラソンの行われた都市である。

福岡に定着したのは、'59年から。以後は東京五輪の前年にプレ五輪として、国立競技場を発着点とする、五輪コースで行われた他はずっと福岡で行われた。

'55年に「朝日国際マラソン」と改称された大会名も'66年に「国際マラソン選手権」となり、'74年に現在の名称「福岡国際マラソン選手権」となった。「フクオカ」の名前が世界に広がったのは、'67年、オーストラリアのデレク・クレイトンがそれまでの世界最高記録を一気に2分24秒も更新する、2時間9分36秒4で優勝した時だろう。世界初の「サブ・テン」が誕生した。2位の佐々木精一郎も2時間11分17秒の日本最高記録。メキシコ五輪の前年の快挙であり、この1ヶ月後に東京五輪の銅メダリスト円谷幸吉は自らの手で命を絶った。

五輪の前年のフクオカは、いつも大きな「ドラマ」が生まれる。新しいヒーロー、驚異的な記録が誕生する。僕の年代にとって忘れ難いのは'79年の瀬古利彦と宗兄弟のデッド・ヒート、'83年の瀬古対イカンガーの優勝争い、ならびに宗兄弟と伊藤国光との五輪代表枠争い、'87年の中山竹通の氷雨の中の独走、それらは今も見たものの記憶の中で輝いている。

今回、資料を調べてみて、いろいろと発見した。初めて福岡で開催されたのもヘルシンキ五輪の前年である'51年。メルボリン五輪の前年の'55年も福岡で開催されている。この時のレースはフィンランドのカルボーネン(ヘルシンキ五輪5位)と広島庫夫が24kmから激しく競り合い、39kmの「魔の呉服町のカーブ」でカルボーネンがトップに立ち優勝。2位の広島の記録は自らの持つ日本記録を2分41秒更新した。ローマ五輪前年もその広島が優勝。

'71年には24歳のアメリカの大学生、フランク・ショーターが優勝、翌年のミュンヘン五輪でも金メダルを獲得。以後福岡でも4連勝を果たす。

'90年代に入り、「フクオカの栄光」に翳りが見られてきた。'91年には森田修一が優勝するもバルセロナ五輪の代表には選ばれず、
「五輪前年のフクオカの優勝者が、五輪に出られない。」
という前例が生じてしまった。'95年には4年10ヶ月ぶりに日本人によるサブテンが大家正喜によってなされ、淡い光が見えたが'99年の日本人1位の小島宗幸はサブテンをマークしながらレース内容が評価されずに代表から漏れた。優勝したゲザハン・アベラはシドニーで金メダルを獲得。28年ぶりにフクオカから金メダリストが誕生した。

翌年、藤田敦史が「20世紀最後のフクオカ」で日本記録で優勝したのが、最後の輝きだったのか?

21世紀になってから3度目のフクオカ。過去2回は記録という面ではやや物足りない(2時間9分台)結果でアベラが2連勝している。

今年は、日本人ランナーの好記録での優勝を切に望む。


福岡国際マラソン雑感
at 2003 12/21 22:45

この数年、時々耳にするのが、
「日本のマラソン、女子は強いけど男子はダメだね。」
という言説。確かにそう言われても仕方がない部分はある。アトランタ、シドニーの五輪で2回連続してメダルどころか15位以内にも入れなかった。女子ランナーが国民的ヒロインとなるのに比べると大きく差をつけられた感がある。

しかし、こう言っては角が立つとは思うが、サッカーやラグビーやバレーボールに比べると、世界のトップとの差は少ない!日本最高記録は現在、世界歴代7位である。この事実がはたしてどれだけ認識されているのか、気になることである。

さらに、嫌われるようなことを言えば、男子のマラソンをダメだと言うなら、女子もダメになっている。

それはともかくとして、その世界で7番目の男、高岡寿成。マラソンの他に3000m、5000m、10000mの日本記録保持者である「日本長距離最速の男」と呼ばれている。シドニー五輪では10000mに7位入賞のみならず、5000mで64年ぶり!に日本人ファイナリストとなった。30歳過ぎてマラソンにデビューし2戦目の昨年シカゴで日本記録をマークした。「日本の男子マラソンはダメダメ」という俗説に対する、最強の反論材料というべき存在である。

今回の福岡への出場は、シカゴの直後から表明していた。1年以上前から福岡で優勝し、アテネの代表権獲得するのが次の目標と表明していた。そして、その先はアテネの金メダル。

福岡は、高岡の信任投票になるかと思われた。

しかし、1年という月日は長い。ライバルたちを成長させるのにも十分な時間だった。

福岡に集まったランナーたちは、志が高かった。レース前週のNHKの「サンデー・スポーツ」で、
「世界最高記録を出せないと、金メダルは狙えない。」
と語る高岡の志の高さに、感動させられた。日本人で1位になりさえすればいいなどという気持ちでは、五輪の舞台で世界の強豪とは戦えないということを分かっているのだ。今年の福岡が面白いレースになると、確信した。

高岡以上にライバルたちの志は高かった。

「高岡さんに勝てば、五輪に行ける。」
皆、その気持ちを抱いて、福岡を目指してきた。その結果が、トップ10に6人も日本人が入り、全員がサブテン、しかも3位の高岡以外は皆自己ベストという、予想以上のハイレベルのレースとなった。勝負と記録を秤にかけりゃ、勝負が重たい選考レースでここまでの記録が出ようとは。世界最高記録が4分台となった今、2時間7分52秒という優勝タイムに物足りなさを感じる人もいるようだが、このタイムで優勝したのが、あの国近友昭であることを重くみたい。

僕が彼のことを知ったのは、第1回の都道府県対抗男子駅伝。開催地の広島チームのアンカーとして、福岡のアンカー、田尻裕一と激しく競り合い初優勝に大いに貢献した。以後、駅伝等で活躍を見せ、初マラソンの'98東京でも日本人1位。その後、エスビー食品に移籍した時は驚いたが、なかなか結果を出せないようだった。今年10月に10000mで自己記録を更新し、この大会での飛躍が予想されたが、まさかここまでやろうとは。

エスビーの国近、カネボウの高岡、旭化成の小島らが先頭集団を走る姿に、それぞれの師匠、瀬古利彦、伊藤国光、宗兄弟らの往年の激しい闘いを思い出した人も少なくなかったと思う。
そして、もう一人の今回の主役、日清食品の諏訪利成。

諏訪と国近と高岡とのトップ争いは、見ている方の心拍数も高めるほどの緊張感に満ちていた。そして、高岡の脱落、国近のスパート、諏訪の粘り。

五輪代表決定レースにふさわしい戦いだった。エスビー食品所属選手の福岡優勝は20年ぶり。あの、名勝負と名高い'83年の瀬古利彦の優勝以来のことである。そして3秒差で2位になった諏訪。彼を指導する白水昭興は、16年前のソウル五輪代表選考レースで日本人3位になりながら、「瀬古救済措置」のために代表の座を逃した、工藤一良の育ての親である。4年後の福岡は、工藤の後輩、森田修一がトップでゴールするも、バルセロナの代表にはなれなかった。諏訪もまた、不運な先輩たちの轍を踏むのだろうか。

不運と言えば、高岡も3度のマラソン、いずれも順位が3位である。実力を持ちながらマラソンの優勝と五輪代表にはついに恵まれなかった恩師、伊藤国光の不運までも引き継いでしまったのか?残りの選考レースへの再挑戦を表明したが、ぜひ、次は「勝てない日本記録保持者」の汚名を返上して欲しい。

かつてのNTT中国時代の青いランニング・シャツがいまだに印象に残っているせいか、国近の赤い「S&B」のランシャツ姿は、元広島カープの金本知憲のタテジマのユニフォーム姿に通じる。しかし、ここは素直に彼の快挙を称えたい。瀬古監督もようやく、愛弟子を五輪のマラソンのスタート・ラインに立たせることができた。それが、かつてのエスビーの主力だった箱根駅伝のスターたちではない、高卒のランナーというのも面白い。

ともあれ、日本人男子が五輪の選考レースで、優勝して代表入りを決めたのは、'92年の東京で優勝した森下広一以来のことである。過去2回の五輪での男子マラソン不振の最大の要因は、代表選考レースで優勝できなかったランナーを派遣せざるを得なかったからではないか?

もう、「男子はダメ」とは言わせない。
東京、びわ湖も日本人選手の優勝で、すんなりと代表を決めて欲しい。女子の大阪と名古屋もまた、同様に。

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選考の結果はご存知の通り。優勝した国近と2位の諏訪が代表に選ばれ、3位の高岡が補欠となった。


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