私が立ち会い、涙した(ロッテの)引退試合を語るエッセイ、
今回は後編です。
サブローのところが長いのですが、彼の引退については、本当に
言いたいことが多すぎて、こみ上げるものが多すぎて…。
2016年8月31日にサブローの引退が発表されて、私は
奈落の底に叩き落とされました。
悲しい物語は多分、2013年に始まっていたのでしょう。
2015年には「一軍で飼い殺して出場させず、感覚がなまった
ころに突然代打で出す」という起用をされ、2016年には
「二軍で結果を出しても決して一軍に呼ばれない」という扱いを
され、非常にしんどい2年間を過ごしたサブロー。
2016年には二軍の打撃コーチが「サブローは一軍で使える
戦力だった、呼ばれなくて残念でならない」というコメントを
出しています。夏のある時期からサブローが二軍で急激に結果を
出せなくなったのは「そもそも、一軍に呼ぶ気はないんだな」と
察したためだと思います。
サブローにこの仕打ちをした監督は、2015年が3年契約の
最終年でした。この監督の任期が延びてしまう「Aクラスを
確定させる決定打」を打ったのは、皮肉なことに、そして実力の
通りに、勝負強いサブローでした。
その試合のヒーローインタビューで、サブローは複雑な思いに
満ちた作り笑顔をしています。あれは、チームも、サブローも、
負けた方が“結果として”幸せになれた試合でした。
でも、サブローは、自チームの負けを期待することも、ましてや
自らチームを負けさせることも、できる人ではなかった…。
自分自身の素晴らしい勝負強さを、あんなにも呪った日は
ないんじゃないだろうか…。
それでも、あんな場面でちゃんと決勝打が打てる、それでこそ
千葉ロッテマリーンズのサブローです。
ファンのために勝利を届けてくれてありがとう。
そして、そこで決勝打を打ってくれた選手を、翌年にコーチの
お墨付きがあってなお一軍に絶対に呼ばない監督の人間性は…。
サブローの引退発表の日は、自分がこんなにサブローのことを
好きだったと気づいた日でもありました。
私たちファンが愛した、その何倍も私たちを愛してくれた人。
なのに私はファンとしてサブローを守りきれなかった…。
実は引退試合の直前にはいろいろありました。
9月18日日曜、超~元気だった母が突然心停止で倒れました。
その日は斎藤雅樹が二軍監督として優勝直前なので戸田球場に
行くはずが、救急車に同乗して病院に行く騒ぎになりました。
幸い母は蘇生したものの、しばらく入院。巨人二軍の優勝は翌日
見られたけれど、胴上げは延びに延びて、サブローの引退試合の
日と重なってしまいました。斎藤監督の胴上げが見たくても、
その日の行先はジャイアンツ球場でなく千葉マリン一択でした。
まあとにかく、「サブローの見送りじゃなく母の見送り」に
ならなくてよかった~。
こうして迎えた9月25日(日)、サブローの引退試合…
一塁側のベンチ上の席から見つめていて、ただひたすら悔しさと
悲しさばかりがこみ上げて…
外野守備を転々と移してもらえたのはよかったけど、そういう
外面の良いことだけはやってみせるくせに、内側では…。
監督への怨嗟の発露はこのくらいにしておくが、選手からも
漏れてしまっていた本音の声をちらほら聞いた人も多いはず。
とにかくうれしかったのは、巨人の選手たちが来てくれたこと。
坂本、内海、山口、長野、そしてクルーズ。あと、阿部もか。
シーズン中なのに本当にありがとう!
坂本の屈託なく無邪気な輝く笑顔に、殺伐とした心がものすごく
癒されました。ダンナと2人でめっちゃ笑っちゃった。
サブローが巨人にトレードで出された時には憤激したけど、
よりによって巨人に行けたことで、今後の野球人生においては、
とても良い人脈が得られたのかな…と感じました。
ただただ心を痛めて、サブローを見つめて過ごした長い時間。
9回裏、右中間への美しいツーベースを見ることができたのが、
せめてもの救いとなりました。
9回裏をやってるってことは、試合は負けたんだけど。でも、
もし勝ってて9回裏がなかったら、あの打球は見られなかった
わけで、これはこれでよかったのでしょう!
セレモニーで、真っ白なテープの滝を背景に手を振るサブローを
泣きながら見ることしかできない。自分の無力さにじっと唇を
かみしめていました。今書いていても泣けてきます。
サブローが四番にいるロッテが「本当に強いロッテ」だった。
まだやれるのに移籍に道を求めることなく、最後まで「ロッテの
サブロー」として、ロッテファンと一緒にいてくれた。
私たちは、サブローに愛されていることを知るべきだと思います。
試合後は気持ちを切り替えて、泣き明かした顔のまま、場外の
「からあげ祭り」に参戦しました。
からあげの名店屋台がいくつも出ていて、試合開始前にはどれも
長蛇の列であきらめたのですが、試合終了後にまだ売れ残りを
売っていました。
宿がとってあると試合後もこうして悠々できるのがいい。
お陰でサブローの掲示物の前でたくさん写真を撮れて、
私のアルバムには泣きぬれて情けない顔の写真が多数
貼られています。
実は後日談として、ちょっと自慢話があって…
日本一の野球雑誌による「サブロー引退特集」の直筆サイン色紙
プレゼント、当選者の一人は私です。
「2015年、あの決勝打がどういう結果を招くかをわかって
いてなお打ってくれたことは決して間違いじゃない。ファンの
ためにありがとう。それでこそサブローだと誇りに思う」という
コメントを書いて懸賞に応募したんだよね。
きっと、この想いが「届いた」んだと思っています。
「ロッテ愛」と書き添えられたサブローのサイン色紙、本体は
大事に大事に保管して、縮小コピーを会社の机に飾っています。
*
2017年9月24日(日)は井口資仁の引退試合でした。
この前の9月10日(日)には大きく「6」の文字をあしらった
井口引退記念Tシャツが配布されました。私とダンナはそこにも
ちゃっかり参戦してTシャツをもらいました。
ボビー&小宮山の時はチケットが普通に取れたし、里崎の時は
偶然チケットが取れていたわけですが…
サブローといい、井口といい、そしてこの後の岡田、福浦と、
私ったらTシャツ配布まで含めてなんでこうも確実に引退試合の
チケットが取れているわけ?
それは…私の勤め先がチケットをまとめて買っていて、社内に
ロッテファンが私一人しかいないせいです。
おかげで2016~2019年の大事な試合は大半見られました。
一番いい時期にチケットを購入してくれた会社が有難すぎる…。
9月24日(日)ももちろん現地泊。日曜日は宿が安くてイイ!
会社の購入上の都合で、この日の座席は三塁側のベンチ上。
同じ理由でのちの引退試合も三塁側から見ることになります。
さて、球場に向かう私とダンナは明るい笑顔に満ちていました。
井口が引退すると言っても、監督就任が決定していたからです。
井口とはサヨナラじゃない。しかも選手たちに積み重なった
精神的な苦痛や疲弊を、監督交代でとうとう解消できる…。
井口の引退・監督就任には感謝しかありませんでした。
井口なら少なくとも正義はたがえないだろう。きっと選手たちも
安心して野球に集中できるはず。
この年に井口が現役をあきらめて、監督という重責を背負う道を
選んでくれたのは、ロッテにとって本当に幸福なことでした。
引退試合で最初の打席からヒットを打つ井口に「まだまだ現役
いけるやん!」とついつい笑ってしまいます。
この日は全員が背番号6。誰が誰だかわかりづらい!
3回に加藤翔平が先制ホームラン。だが7回に逆転されました…。
2点ビハインドで9回裏へ。サブローの時と同じく「負けてる
お陰でもう一打席、井口に余計に回るよ!」と喜びました。
そしたら…(引退リスペクトで直球を投げてくれたとはいえ)
まさかまさか、井口の同点ツーランホームランが!!!
もう、球場中が、狂喜乱舞を超越した意味不明の大騒動。
「いぐち! いぐちぃぃぃぃ!」とわめきちらす私。
感動と充実感にひたりつつ、延長戦を迎えました。
延長11回、もう一回井口に打席が回ってきたときは「まさか、
そのうえ井口がサヨナラホームランを打って…なんて?」と
期待しちゃったりもしましたが、そこまでの展開はさすがに
なくて、井口の最終打席はライトフライでした。
ライトフライってことは、やっぱ狙ってたと思うけど!
試合は12回裏までかかって、鈴木大地が決めてくれました。
井口、この日、決めてくれたの大地だったの覚えてるか…
セレモニーも終始笑顔で見つめていました。
井口には、光降り注ぐ喜びの舞台が用意されているんだな…。
サブローを、井口政権下で、納得いく形で見送りたかった…と
よぎったりもしました。思っても詮無いことだけど。
笑顔のセレモニーが終わったころには、すっかり夜になって
いました。この日の私の写真は弾けるような笑顔ばかりです。
井口が6月で早々に引退を表明してくれたのも、井口ファンに
対しては本当に良い選択だったと思います。
「ダイエーの井口忠仁」のファンをはじめ、多くの人たちが
井口を見送れて本当に良かった。井口、いい引退したな!
この日に配られた井口の「6」の紙プレートは、大事に
持ち帰って何度か使いました。まだ捨ててないよ!
なお、サブロー引退時の紙プレートも、いつか使う日のために
大事に取ってあります。サブロー、ずっと待ってます!
*
2018年10月7日(日)は根元俊一の引退試合。
この日もちゃっかり見送りに行きました。
不遇な部分もあって大活躍はできなかったけど、チーム貢献度も
高く、いい選手でした。
でも選手の格としては一段落ちちゃうのでさらっと触れるのみで。
(愛情とは別に、選手の実績については超ドライなので…)
*
2018年10月8日(月・祝)は岡田幸文の引退試合。
岡田は本当にロッテらしい、いい選手でした。
岡田を全国区の選手にした「東京ドーム美技3連発」は一人で
現地で見ていました。でも、外野席だったので見えづらかった…。
岡田のファインプレーに救われて、球場で何度「おかだぁぁ~」
と叫んだだろう。
そして2010年の日本シリーズ決勝打も懐かしい。テレビで
見ていて胃が壊れそうな緊張感の果てに訪れた歓喜。あの打席、
岡田がへぼへぼな打球を打って「ああ~、やっちゃった~」と
くずおれそうになったら幸いファウルで、その何球か後にあの
決勝打が生まれたっけ。
いろんな思い出がよみがえる一日でした。
この日は、試合前に福浦和也の2000本安打記念セレモニーが
ありました。名球会のブレザーも授与されて、笑顔で拍手!
でも、斎藤雅樹がもらえないブレザーを、打者は容易にもらえる
もんだな、というのもちょびっとありました。
さて、岡田は「一番、センター」で試合開始!
野手の連続打席無安打記録が近づく岡田。ここで打てばなんとか
記録2位で済む。記録保持者にならないために、打ってくれ!
1回裏、岡田の打球は内野フライ。これで58打席連続無安打。
野手の連続打席無安打タイ記録となってしまいました。
岡田…やっぱダメか~。ダメなのか~。
こんなドラマが仕込まれた引退試合もなかなかないぜ!
次こそ、次こそヒットを打ってくれ! 記録を更新するなよ!
試合は3回表でハイ終了~。ノーゲームになったとかじゃなく、
だってデスパイネに1回表にツーラン、3回表にスリーランを
打たれて0-5になっちゃったんだもん。デスパぁ~~~!!
球場全体が「でもまあ、岡田のヒットさえ見られればいいや」
みたいな空気になっていくのを感じました。
3回裏、またもや岡田に打席が回ります。
ここで打てばタイ記録で止まる。記録を更新するな、岡田!
と思いつつ「せっかくだから連続打席無安打記録を打ち立てて
引退するのもアリかも…」とも思いました。
そしたら、岡田のバットが見事にボールを捕えた!!
勢いよく外野を目指して伸びていく打球。やったああああ!!
球場が歓喜に沸き、全員が打球の行方を目で追う――
「バシッ」 へっ?
……白球は、宙に跳んだショート高田のミットに納まりました。
超~ファインプレー。一瞬静まり返る中、高田が着地して、
「ギャア~!」という濁った悲鳴が球場に響き渡りました。
高田のファインプレーにより、岡田は59連続打席無安打となり、
見事、野手のプロ野球記録を更新しました。
「空気読め~~!」と私も叫びましたが、そこはご愛嬌。
選手が全力でプレーしなければ記録に意味なんてない。
高田が空気を読んでヒットにしてくれて新記録を免れたんじゃ
ダメなんだ。そんなの、記録にも記憶にも残らない。
だから、結果には納得したうえで、あえて我々は叫ぶのです。
「空気読め~!」「なにすんだ~!」「高田のアホ―!」
結果が出る前に「空気読め」と叫ぶ人はともかく、結果が出て
からのブーイングや叫びは、ただの「ツッコミ」なのです。
こうして歴史に名を刻んだことで、岡田のドラマは終わり…
と、思うでしょう?
しかし、岡田の引退試合はここからがドラマでした。
5回裏、岡田幸文第3打席、…レフト前ヒット!
7回裏、岡田幸文第4打席、…センター前ヒット!
9回裏、岡田幸文第5打席、…ライト前ヒット!
歴史に名を残したうえに、その直後から全方向に打って猛打賞!
なんだ、この胸アツのドラマ。さらに9回裏には盗塁も記録!
(ただ、この盗塁はホークスのサービスでしたが)
でも「高田、ホッとしただろうな~」と思って、ふふっと笑って
しまいました。「やっちゃった…」って顔してたからな。
いいんだよ、全力でプレーしてくれてありがとう。お陰で岡田が
歴史に名を刻めたし、かえって稀有で感動的な結果になったよ。
2011年、シーズン359連続守備機会無失策で特別表彰。
2011年、2012年に2年連続ゴールデングラブ賞受賞。
連続打席生涯無本塁打記録(初打席からの記録)は、この日、
2501打席まで伸ばして野球人生を終えました。
そして59連続打席無安打は野手の日本記録なのに、それを
樹立しちゃった引退試合その日に猛打賞も記録。
岡田幸文…ロッテらしくもあり、本当に素敵な一流選手です。
岡田の引退セレモニーには紙ふぶきや紙テープはなし。
一応球団的にも選手の格付けはあるんだよね。
なお、セレモニーの後(だっけか)に、バック宙もやってくれ
ました。その身体能力、まだまだプレーできるのでは…とも
思いましたが、また50打席以上凡退されたら困るから(笑)、
涙を流しつつも、笑顔で岡田を見送りました。
*
そして、2019年9月23日(月・祝)福浦和也の引退試合に
ついては当ブログ別記事「福浦引退試合への挑戦」参照です。
サブローの引退試合の際は母が救急搬送されましたが、福浦の
時は私自身が大病で入院しました。
病院で、リハビリ担当の先生が私の持ち物にすぐ反応したので
変だと思ったら、「夫がロッテファン」とのこと…
「退院後にやりたいことはありますか? 何か目標意識を持って
やったほうが、意欲もわくし継続できると思うので…」
「こんなこと言ったら叱られそうですが、9月23日がロッテの
福浦っていう大事な選手の引退試合で…」
「あっ、福浦選手わかります、夫がよく話してるので」
「チケット確保してあるので、なんとかその試合に行けたらって
思ってます。野球観戦どころじゃない状態ですけどね」
「いいじゃないですか、目指しましょうよ、試合観戦!」
…まあ、そのために必死で頑張ったというより、もともとの
体力と筋力が強かったからリハビリ的にはすぐ結果を出せて、
内科的にはともかく外科的には問題なく観戦に行けたんだけど。
リハビリの先生は野球観戦に行ったことがないそうで、頑張れば
行けるイメージで語っていたと思うけど、実際には片道2時間
かけて行ったうえに、引退試合だとセレモニーがあるから、
ふきっさらしに5時間とか座ってる騒ぎになるのよね。
今思い返すと、あの状態の患者が行くのは無謀すぎたよ!
ほんとに無茶して倒れなくてよかった。
今、ロッテの選手で「絶対に引退試合に行かなければ!」と
思える人はいないかな…(田村はもっと実績を積むべし)
ヤクルト石川雅規投手が引退する時が来たら、命と引き換えても
行きたいけど、最近の神宮のチケットの取りづらさを考えると
難しいかもしれません。見送れない覚悟はしておきます。
とにかく、長いロッテファン人生において、ボビー、小宮山、
里崎、サブロー、井口、岡田、福浦というそうそうたる面々を
見送ることができたのは幸せでした。
川崎球場最終年も観戦に行けたし、私は本当に幸福で幸運な
ロッテファンだと思います。ロッテ球団フォーエバー!
今回は後編です。
サブローのところが長いのですが、彼の引退については、本当に
言いたいことが多すぎて、こみ上げるものが多すぎて…。
2016年8月31日にサブローの引退が発表されて、私は
奈落の底に叩き落とされました。
悲しい物語は多分、2013年に始まっていたのでしょう。
2015年には「一軍で飼い殺して出場させず、感覚がなまった
ころに突然代打で出す」という起用をされ、2016年には
「二軍で結果を出しても決して一軍に呼ばれない」という扱いを
され、非常にしんどい2年間を過ごしたサブロー。
2016年には二軍の打撃コーチが「サブローは一軍で使える
戦力だった、呼ばれなくて残念でならない」というコメントを
出しています。夏のある時期からサブローが二軍で急激に結果を
出せなくなったのは「そもそも、一軍に呼ぶ気はないんだな」と
察したためだと思います。
サブローにこの仕打ちをした監督は、2015年が3年契約の
最終年でした。この監督の任期が延びてしまう「Aクラスを
確定させる決定打」を打ったのは、皮肉なことに、そして実力の
通りに、勝負強いサブローでした。
その試合のヒーローインタビューで、サブローは複雑な思いに
満ちた作り笑顔をしています。あれは、チームも、サブローも、
負けた方が“結果として”幸せになれた試合でした。
でも、サブローは、自チームの負けを期待することも、ましてや
自らチームを負けさせることも、できる人ではなかった…。
自分自身の素晴らしい勝負強さを、あんなにも呪った日は
ないんじゃないだろうか…。
それでも、あんな場面でちゃんと決勝打が打てる、それでこそ
千葉ロッテマリーンズのサブローです。
ファンのために勝利を届けてくれてありがとう。
そして、そこで決勝打を打ってくれた選手を、翌年にコーチの
お墨付きがあってなお一軍に絶対に呼ばない監督の人間性は…。
サブローの引退発表の日は、自分がこんなにサブローのことを
好きだったと気づいた日でもありました。
私たちファンが愛した、その何倍も私たちを愛してくれた人。
なのに私はファンとしてサブローを守りきれなかった…。
実は引退試合の直前にはいろいろありました。
9月18日日曜、超~元気だった母が突然心停止で倒れました。
その日は斎藤雅樹が二軍監督として優勝直前なので戸田球場に
行くはずが、救急車に同乗して病院に行く騒ぎになりました。
幸い母は蘇生したものの、しばらく入院。巨人二軍の優勝は翌日
見られたけれど、胴上げは延びに延びて、サブローの引退試合の
日と重なってしまいました。斎藤監督の胴上げが見たくても、
その日の行先はジャイアンツ球場でなく千葉マリン一択でした。
まあとにかく、「サブローの見送りじゃなく母の見送り」に
ならなくてよかった~。
こうして迎えた9月25日(日)、サブローの引退試合…
一塁側のベンチ上の席から見つめていて、ただひたすら悔しさと
悲しさばかりがこみ上げて…
外野守備を転々と移してもらえたのはよかったけど、そういう
外面の良いことだけはやってみせるくせに、内側では…。
監督への怨嗟の発露はこのくらいにしておくが、選手からも
漏れてしまっていた本音の声をちらほら聞いた人も多いはず。
とにかくうれしかったのは、巨人の選手たちが来てくれたこと。
坂本、内海、山口、長野、そしてクルーズ。あと、阿部もか。
シーズン中なのに本当にありがとう!
坂本の屈託なく無邪気な輝く笑顔に、殺伐とした心がものすごく
癒されました。ダンナと2人でめっちゃ笑っちゃった。
サブローが巨人にトレードで出された時には憤激したけど、
よりによって巨人に行けたことで、今後の野球人生においては、
とても良い人脈が得られたのかな…と感じました。
ただただ心を痛めて、サブローを見つめて過ごした長い時間。
9回裏、右中間への美しいツーベースを見ることができたのが、
せめてもの救いとなりました。
9回裏をやってるってことは、試合は負けたんだけど。でも、
もし勝ってて9回裏がなかったら、あの打球は見られなかった
わけで、これはこれでよかったのでしょう!
セレモニーで、真っ白なテープの滝を背景に手を振るサブローを
泣きながら見ることしかできない。自分の無力さにじっと唇を
かみしめていました。今書いていても泣けてきます。
サブローが四番にいるロッテが「本当に強いロッテ」だった。
まだやれるのに移籍に道を求めることなく、最後まで「ロッテの
サブロー」として、ロッテファンと一緒にいてくれた。
私たちは、サブローに愛されていることを知るべきだと思います。
試合後は気持ちを切り替えて、泣き明かした顔のまま、場外の
「からあげ祭り」に参戦しました。
からあげの名店屋台がいくつも出ていて、試合開始前にはどれも
長蛇の列であきらめたのですが、試合終了後にまだ売れ残りを
売っていました。
宿がとってあると試合後もこうして悠々できるのがいい。
お陰でサブローの掲示物の前でたくさん写真を撮れて、
私のアルバムには泣きぬれて情けない顔の写真が多数
貼られています。
実は後日談として、ちょっと自慢話があって…
日本一の野球雑誌による「サブロー引退特集」の直筆サイン色紙
プレゼント、当選者の一人は私です。
「2015年、あの決勝打がどういう結果を招くかをわかって
いてなお打ってくれたことは決して間違いじゃない。ファンの
ためにありがとう。それでこそサブローだと誇りに思う」という
コメントを書いて懸賞に応募したんだよね。
きっと、この想いが「届いた」んだと思っています。
「ロッテ愛」と書き添えられたサブローのサイン色紙、本体は
大事に大事に保管して、縮小コピーを会社の机に飾っています。
*
2017年9月24日(日)は井口資仁の引退試合でした。
この前の9月10日(日)には大きく「6」の文字をあしらった
井口引退記念Tシャツが配布されました。私とダンナはそこにも
ちゃっかり参戦してTシャツをもらいました。
ボビー&小宮山の時はチケットが普通に取れたし、里崎の時は
偶然チケットが取れていたわけですが…
サブローといい、井口といい、そしてこの後の岡田、福浦と、
私ったらTシャツ配布まで含めてなんでこうも確実に引退試合の
チケットが取れているわけ?
それは…私の勤め先がチケットをまとめて買っていて、社内に
ロッテファンが私一人しかいないせいです。
おかげで2016~2019年の大事な試合は大半見られました。
一番いい時期にチケットを購入してくれた会社が有難すぎる…。
9月24日(日)ももちろん現地泊。日曜日は宿が安くてイイ!
会社の購入上の都合で、この日の座席は三塁側のベンチ上。
同じ理由でのちの引退試合も三塁側から見ることになります。
さて、球場に向かう私とダンナは明るい笑顔に満ちていました。
井口が引退すると言っても、監督就任が決定していたからです。
井口とはサヨナラじゃない。しかも選手たちに積み重なった
精神的な苦痛や疲弊を、監督交代でとうとう解消できる…。
井口の引退・監督就任には感謝しかありませんでした。
井口なら少なくとも正義はたがえないだろう。きっと選手たちも
安心して野球に集中できるはず。
この年に井口が現役をあきらめて、監督という重責を背負う道を
選んでくれたのは、ロッテにとって本当に幸福なことでした。
引退試合で最初の打席からヒットを打つ井口に「まだまだ現役
いけるやん!」とついつい笑ってしまいます。
この日は全員が背番号6。誰が誰だかわかりづらい!
3回に加藤翔平が先制ホームラン。だが7回に逆転されました…。
2点ビハインドで9回裏へ。サブローの時と同じく「負けてる
お陰でもう一打席、井口に余計に回るよ!」と喜びました。
そしたら…(引退リスペクトで直球を投げてくれたとはいえ)
まさかまさか、井口の同点ツーランホームランが!!!
もう、球場中が、狂喜乱舞を超越した意味不明の大騒動。
「いぐち! いぐちぃぃぃぃ!」とわめきちらす私。
感動と充実感にひたりつつ、延長戦を迎えました。
延長11回、もう一回井口に打席が回ってきたときは「まさか、
そのうえ井口がサヨナラホームランを打って…なんて?」と
期待しちゃったりもしましたが、そこまでの展開はさすがに
なくて、井口の最終打席はライトフライでした。
ライトフライってことは、やっぱ狙ってたと思うけど!
試合は12回裏までかかって、鈴木大地が決めてくれました。
井口、この日、決めてくれたの大地だったの覚えてるか…
セレモニーも終始笑顔で見つめていました。
井口には、光降り注ぐ喜びの舞台が用意されているんだな…。
サブローを、井口政権下で、納得いく形で見送りたかった…と
よぎったりもしました。思っても詮無いことだけど。
笑顔のセレモニーが終わったころには、すっかり夜になって
いました。この日の私の写真は弾けるような笑顔ばかりです。
井口が6月で早々に引退を表明してくれたのも、井口ファンに
対しては本当に良い選択だったと思います。
「ダイエーの井口忠仁」のファンをはじめ、多くの人たちが
井口を見送れて本当に良かった。井口、いい引退したな!
この日に配られた井口の「6」の紙プレートは、大事に
持ち帰って何度か使いました。まだ捨ててないよ!
なお、サブロー引退時の紙プレートも、いつか使う日のために
大事に取ってあります。サブロー、ずっと待ってます!
*
2018年10月7日(日)は根元俊一の引退試合。
この日もちゃっかり見送りに行きました。
不遇な部分もあって大活躍はできなかったけど、チーム貢献度も
高く、いい選手でした。
でも選手の格としては一段落ちちゃうのでさらっと触れるのみで。
(愛情とは別に、選手の実績については超ドライなので…)
*
2018年10月8日(月・祝)は岡田幸文の引退試合。
岡田は本当にロッテらしい、いい選手でした。
岡田を全国区の選手にした「東京ドーム美技3連発」は一人で
現地で見ていました。でも、外野席だったので見えづらかった…。
岡田のファインプレーに救われて、球場で何度「おかだぁぁ~」
と叫んだだろう。
そして2010年の日本シリーズ決勝打も懐かしい。テレビで
見ていて胃が壊れそうな緊張感の果てに訪れた歓喜。あの打席、
岡田がへぼへぼな打球を打って「ああ~、やっちゃった~」と
くずおれそうになったら幸いファウルで、その何球か後にあの
決勝打が生まれたっけ。
いろんな思い出がよみがえる一日でした。
この日は、試合前に福浦和也の2000本安打記念セレモニーが
ありました。名球会のブレザーも授与されて、笑顔で拍手!
でも、斎藤雅樹がもらえないブレザーを、打者は容易にもらえる
もんだな、というのもちょびっとありました。
さて、岡田は「一番、センター」で試合開始!
野手の連続打席無安打記録が近づく岡田。ここで打てばなんとか
記録2位で済む。記録保持者にならないために、打ってくれ!
1回裏、岡田の打球は内野フライ。これで58打席連続無安打。
野手の連続打席無安打タイ記録となってしまいました。
岡田…やっぱダメか~。ダメなのか~。
こんなドラマが仕込まれた引退試合もなかなかないぜ!
次こそ、次こそヒットを打ってくれ! 記録を更新するなよ!
試合は3回表でハイ終了~。ノーゲームになったとかじゃなく、
だってデスパイネに1回表にツーラン、3回表にスリーランを
打たれて0-5になっちゃったんだもん。デスパぁ~~~!!
球場全体が「でもまあ、岡田のヒットさえ見られればいいや」
みたいな空気になっていくのを感じました。
3回裏、またもや岡田に打席が回ります。
ここで打てばタイ記録で止まる。記録を更新するな、岡田!
と思いつつ「せっかくだから連続打席無安打記録を打ち立てて
引退するのもアリかも…」とも思いました。
そしたら、岡田のバットが見事にボールを捕えた!!
勢いよく外野を目指して伸びていく打球。やったああああ!!
球場が歓喜に沸き、全員が打球の行方を目で追う――
「バシッ」 へっ?
……白球は、宙に跳んだショート高田のミットに納まりました。
超~ファインプレー。一瞬静まり返る中、高田が着地して、
「ギャア~!」という濁った悲鳴が球場に響き渡りました。
高田のファインプレーにより、岡田は59連続打席無安打となり、
見事、野手のプロ野球記録を更新しました。
「空気読め~~!」と私も叫びましたが、そこはご愛嬌。
選手が全力でプレーしなければ記録に意味なんてない。
高田が空気を読んでヒットにしてくれて新記録を免れたんじゃ
ダメなんだ。そんなの、記録にも記憶にも残らない。
だから、結果には納得したうえで、あえて我々は叫ぶのです。
「空気読め~!」「なにすんだ~!」「高田のアホ―!」
結果が出る前に「空気読め」と叫ぶ人はともかく、結果が出て
からのブーイングや叫びは、ただの「ツッコミ」なのです。
こうして歴史に名を刻んだことで、岡田のドラマは終わり…
と、思うでしょう?
しかし、岡田の引退試合はここからがドラマでした。
5回裏、岡田幸文第3打席、…レフト前ヒット!
7回裏、岡田幸文第4打席、…センター前ヒット!
9回裏、岡田幸文第5打席、…ライト前ヒット!
歴史に名を残したうえに、その直後から全方向に打って猛打賞!
なんだ、この胸アツのドラマ。さらに9回裏には盗塁も記録!
(ただ、この盗塁はホークスのサービスでしたが)
でも「高田、ホッとしただろうな~」と思って、ふふっと笑って
しまいました。「やっちゃった…」って顔してたからな。
いいんだよ、全力でプレーしてくれてありがとう。お陰で岡田が
歴史に名を刻めたし、かえって稀有で感動的な結果になったよ。
2011年、シーズン359連続守備機会無失策で特別表彰。
2011年、2012年に2年連続ゴールデングラブ賞受賞。
連続打席生涯無本塁打記録(初打席からの記録)は、この日、
2501打席まで伸ばして野球人生を終えました。
そして59連続打席無安打は野手の日本記録なのに、それを
樹立しちゃった引退試合その日に猛打賞も記録。
岡田幸文…ロッテらしくもあり、本当に素敵な一流選手です。
岡田の引退セレモニーには紙ふぶきや紙テープはなし。
一応球団的にも選手の格付けはあるんだよね。
なお、セレモニーの後(だっけか)に、バック宙もやってくれ
ました。その身体能力、まだまだプレーできるのでは…とも
思いましたが、また50打席以上凡退されたら困るから(笑)、
涙を流しつつも、笑顔で岡田を見送りました。
*
そして、2019年9月23日(月・祝)福浦和也の引退試合に
ついては当ブログ別記事「福浦引退試合への挑戦」参照です。
サブローの引退試合の際は母が救急搬送されましたが、福浦の
時は私自身が大病で入院しました。
病院で、リハビリ担当の先生が私の持ち物にすぐ反応したので
変だと思ったら、「夫がロッテファン」とのこと…
「退院後にやりたいことはありますか? 何か目標意識を持って
やったほうが、意欲もわくし継続できると思うので…」
「こんなこと言ったら叱られそうですが、9月23日がロッテの
福浦っていう大事な選手の引退試合で…」
「あっ、福浦選手わかります、夫がよく話してるので」
「チケット確保してあるので、なんとかその試合に行けたらって
思ってます。野球観戦どころじゃない状態ですけどね」
「いいじゃないですか、目指しましょうよ、試合観戦!」
…まあ、そのために必死で頑張ったというより、もともとの
体力と筋力が強かったからリハビリ的にはすぐ結果を出せて、
内科的にはともかく外科的には問題なく観戦に行けたんだけど。
リハビリの先生は野球観戦に行ったことがないそうで、頑張れば
行けるイメージで語っていたと思うけど、実際には片道2時間
かけて行ったうえに、引退試合だとセレモニーがあるから、
ふきっさらしに5時間とか座ってる騒ぎになるのよね。
今思い返すと、あの状態の患者が行くのは無謀すぎたよ!
ほんとに無茶して倒れなくてよかった。
今、ロッテの選手で「絶対に引退試合に行かなければ!」と
思える人はいないかな…(田村はもっと実績を積むべし)
ヤクルト石川雅規投手が引退する時が来たら、命と引き換えても
行きたいけど、最近の神宮のチケットの取りづらさを考えると
難しいかもしれません。見送れない覚悟はしておきます。
とにかく、長いロッテファン人生において、ボビー、小宮山、
里崎、サブロー、井口、岡田、福浦というそうそうたる面々を
見送ることができたのは幸せでした。
川崎球場最終年も観戦に行けたし、私は本当に幸福で幸運な
ロッテファンだと思います。ロッテ球団フォーエバー!