エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

私の読書歴・追伸

2020-05-28 17:01:49 | 日記
先日書いた読書歴のエッセイに案の定「漏れ」があったので
ちょっと追記します。

子供のころ、サンタさんからのクリスマスプレゼントは、
おもちゃ類1つと、本を2冊というのが常でした。
どんな本をもらったか全然覚えていませんが、とにかく私は、
サンタさんからもらった本はすぐに読み終える素直な子供でした。
が…なぜかどうしても読む気になれず、最後までとうとう
手を出さなかったのが『紅はこべ』。
改めて今、あらすじを調べてみたら、なんか面倒くさそうな話で、
世界的に人気の名作であっても、今の私には読みはじめる気力が
出なそうな作品だな、とは思います。
でも、逆に、子供のころは非常に受け身に、本なら何でも読んで
いたので、なぜ『紅はこべ』を読みはじめもしなかったのか、
まったくわかりません。
買ってくれた親に申し訳ないなと思いながらも、まるっきり
読む気が起こらなかった不思議な作品として記憶に残っています。

このサンタさんのプレゼントは弟も同じでしたが、弟はとにかく
本を読まないのでサンタさんはさぞ困ったことと思います。
しかし、その事態を破ってくれたのが「ズッコケ三人組シリーズ」
と「クレヨン王国シリーズ」です。
いつしか弟の本2冊は、このシリーズが1冊ずつ選ばれることに
なりました。弟もこのシリーズなら楽しく読んでいました。
もちろん、本と見れば放っておかない私も弟のこれらの書籍を
横から借りて読み倒しました。
児童書として人気のこのシリーズ、本嫌いの弟でも読んじゃう
くらい素晴らしいパワーを目の当たりにしました。

高校時代、現代文で読まされた『ことばと文化』は我が世界観の
礎となりましたが、現代社会(倫理)の授業で一部を読まされた
『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』
(岡崎照男訳)も衝撃的でした。
「サモアの酋長ツイアビが、ヨーロッパを訪れた際に目にした
社会について語る」という作品…なのですが、これは実際の
酋長の言ではなく、「と、いう形式をとって現代の(西洋文明の)
社会を批判する」という作品らしいです。
でも、当時は「本当にサモアの酋長が見て感じたことを語って
いる」と思って読んだこともあり、しかも言っている内容が
「確かに、その通り」だったので、私たちのあたりまえの社会は、
見方を変えるとこんなにも奇異なのかと衝撃を受けました。
『ことばと文化』で「言葉という定義の仕方で世界はまるで
変わって見える」ということを概念として理解できていたので、
違う文化・文明から見ると私たちがどんなにおかしなルールに
則って生きているのかを客観的に感じ取ることができました。
私の高校は非常に変わった教育をしていたのですが(都立高校が
それでいいのか!?)、実に良い教えを受けたと思います。

大学の一般教養で「倫理」を選択した私は、その授業で4冊の
課題図書を指定され、仕方なく読むことになりました。
『ノルウェイの森』(村上春樹)、『キッチン』(吉本ばなな)、
『家族解散』(糸井重里)、『シングル・セル』(増田みず子)。
この4冊に対する私の評価がバラバラすぎて面白いです。
『シングル・セル』は読んだはずが全然話を覚えていません。
『キッチン』は、人生で数少ない「読みはじめたものの、
とうとう読み終えることができなかった本」の1つとなりました。
『家族解散』は、読後感が「…で?」という感じ。テーマは
非常に良いのに、浅~く軽~く終わっちゃったな、と思いました。
感性は人それぞれだし、名作との評価もあるこれらの作品を
ディスっているつもりはありません。でも、高校の授業で
読まされた作品と比べると拍子抜けというか、「このへんの本は、
こういうのが好きな人が読めばいい、っていう類の作品だよな~」
と思いました。

あれっ、じゃあ『ノルウェイの森』は?
そう、これだけ完全に別扱いです。
なんだか宗教みたいに世界中に信者「ハルキスト」を持つように
なった作家・村上春樹。彼についての話になった時、私はいつも
「私、全然ハルキストじゃないけど、『ノルウェイの森』は
すっごい好きなんだよね。あれは読んでおいて損はないと思う」
と言っています。
とにかく説明できないような美しさや良さ、重さや深さ、痛みを
感じる作品でした。
小説の技としては、わかる人にしかわからなくて恐縮だけど、
終盤に「直子が~」で始まるあの一文の衝撃は忘れられません。
かつては「『ノルウェイの森』は純文学なのか否か?」が熱く
語られたものですが、今の時代なら充分「純文学」でしょう。
でも、純文学だとかそうじゃないとか、どうでもいいくらい
『ノルウェイの森』は名作だと思います。私は大好きです。
…じゃあ、なんでハルキストにならなかったのか、って?
もちろん他の作品にも手を出してみました。
でも『スプートニクの恋人』を読んで、「ああ、似たような
作品を書いてる作家なんだな」と思って、「私は『ノルウェイの
森』だけでいいや」と結論しました。
それでも、『ノルウェイの森』は、今でもふと、ときどき無性に
読みたくなる、なんともいえない魅力的な作品です。

原作が好きすぎると実写化の際は抵抗が先に立ってしまいますが、
映画「ノルウェイの森」は松山ケンイチが主演だったので、
安心して見に行くことができました。
特に松ケンが好きなわけじゃないけど、彼なら絶対に世界観を
壊さない出来になるだろうという安心があります。
実際観てみて、やっぱり松ケン安心のクオリティでした。
ただ…原作では全然そんな感じはないのに、映画ではとにかく
ベッドシーンばっかりで「そんな作品だったっけ??」と
めっちゃ首をかしげて映画館を出てきました。
映画化としてはまあ頑張ったとは思うのですが、なんかやっぱ
小説には勝てないよな~~~。小説ってすごい。

っということで、「いかん、いちおう私の読書を語るのなら、
『ノルウェイの森』は外しちゃダメな作品だった」という
理由で追伸した次第です。

そしてもう一つオマケ。「星座で人を分類・分析することに
一定の意味がある」という考えに大きな根拠を与えた現象が、
私の読書歴に出ています。

私の読書歴は実に平凡で「だいたいの人がよく読むような作家」
が羅列されているわけですが、その中で「私らしい趣味」と
言えるのが阿刀田高、連城三紀彦です。
そこに漫画家・柴田昌弘を足して私のアイデンティティ3傑と
なるわけですが…

 阿刀田高   1月13日生まれ、やぎ座
 連城三紀彦  1月11日生まれ、やぎ座
 柴田昌弘  12月26日生まれ、やぎ座

ある日ふと気づいたのです。全員がやぎ座だということに。
これは絶対に偶然じゃないと思いました。
「ここには何か理由や法則性があるはずだ」と考えて、星座を
意識するようにはなりました。
でも、実は村上春樹も1月12日生まれでやぎ座なのよね。
そこは「やぎ座の作家が好き」なのではなく、「私が傾倒する
作家に、結果としてやぎ座が勢ぞろいしている」という形で
事象の特性を認識しています。ハルキは私の特別じゃないぜ。

実際、血道をあげて好きな投手は斎藤雅樹と石川雅規、ともに
みずがめ座だし…
(これも「みずがめ座の投手が好き」なのでは決してない)
なかなかおもしろいんです、星座を切り口にした人間分類。
我が読書歴は、思いがけない方向から、私の人間関係構築法に
対して影響を及ぼすことになったというわけです。
本を読むという行為は、人生にいろんなものをもたらすの
ですね…と、かっこよく締めておこうと思います。
でも、「これは外せない」と書き足すのが村上春樹、しかも
『ノルウェイの森』って、ほんとに私って一般人だよね!!