現在
我家の庭には、数多くのバラが咲いている。そのほとんどが、ツルバラでローズアーチや棚、壁に登っている。
私はバラの姿や香りを楽しむ一方、ハサミを持っていて、散り始めたバラを見つけるとカットしている。残しておくと木が弱ってしまうからだ。
シャクヤクも見頃を迎え、白と赤の派手な花が咲いている。
シャクヤクと言えば、美しい女性の姿に例えて
「 立てばシャクヤク 座れば牡丹 歩く姿は百合の花 」 という言葉がある。
このシャクヤクも、咲き始めは華やかで美しさを感じるが、老いた花は見たくはないので、早めにカットしている。
我家の庭には、チューリップや百合の花は存在しない。
その訳は、花が咲いている僅かな時期はいいけれど、花びらが散って、あの首から上が取れた あの寂しさには耐えられないからだ。
私は 『 散り際の美しい花 』 が好き。それは何といっても洋蘭で、中でもカトレアがいい。
カトレアの花言葉は 「 優雅 」 「 魔力 」 「 成熟した魅力 」
カトレアには 着飾った貴婦人に似た美しさがある。優雅で、あでやかで、ほんとうに 『 華 』 がある。
長い時間 観る人を楽しませてくれて、ありがとう。
「 もう そろそろ 散るころ 」 と思って翌朝見てみると、花は既になく、昨夜の人目のない内に、花びらは葉の陰に小さくたたんでいる。何と気配りのある花だろうか。
そして、そこには立派な 『 観葉植物 』 として生まれ変わったカトレアの姿がある。
カトレアは観る人の心を捉えて、観る人に寂しさを感じさせない植物なのである。
花の命は短くて
苦しきことのみ多かりき
でも私は生きてくの