最近、園芸店で薩摩芋のツルを見かけるようになった。今が植え時なのだ。
我家は昨年育てたので、今年はパスすることにした。
私の幼い頃、薩摩芋は母が畑に植えて育てていたので、おかずとして、おやつとしても、よく食べた。
むかし、むかしの或る頃、
母が薩摩芋のツルを畑に植えているのを、眺めていると 「 一緒にやってみるか!」 と言われ、僅かなスペースをもらい、母の植え方を見ながら、自分も植えてみた。
自分の畑をもった喜びがあった。毎日の水やりや草取り、出来る限りの手入れをした。
一方、母の畑は、放ったらかしにしてあった。
自分の畑の芋は、ツルがどんどん伸びて、足の踏み場もない程成長し、母の畑の芋とは、大きく差がでてきた。収穫期が近づくと、期待に胸がふくらんだ。
一方、母は収穫の少し前に、芋のツルをかき上げて根元に日光が当たるようにし、糠を少し撒いただけだった。
収穫の日
ツルを刈って、掘ってみると、自分の畑の芋は、親指ほどの大きさしかなかった。
母は言った。 「 芋の育て方は、人を育てるのと同じ 」
『 恵まれた環境では、育たない 』 という意味だった。
「 苦しいことに耐える力 これが人を育てる 」 とも言った。
経済的にも恵まれ、何一つ不自由のない育てられ方をした人間が、国民の苦しみや悲しみを理解できるだろうか?