カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

ニセモノで満足している日本人。

2012-07-25 | 人間観察
7月27日は、土用の丑。

簡単に言うと、《うなぎを食べる日》。

確かにこの数年、うなぎは高くなってきている。

この夏に、3度ほど専門店でうなぎを食べた。

昨年は、長焼き定食が確か4000円くらいだったと思う。

今年は、春に4200円に上がって、またこの夏、4500円になっていた。

僕は丼が好きでない。

名古屋のうなぎのタレが甘く、ご飯が甘くって食べたくなくなってしまうからだ。

だからいつでも、長焼きとご飯と、肝吸いを頼む。

お酒を飲むときは、うざくとうまきは欠かせない。

お酒がもう一本進むと、半助と肝焼きを追加する。

僕は桑名にある《丑松》という店に行くのが通例になっている。

あっさりして、一本丸々出てくるからだ。

年に10回くらいしか来ないのに、僕はここで食べるうなぎは大好きだ。

値上がりしたといっても、たかだか300円か500円。

一回のコーヒーをやめれば簡単に調整できる価格だ。

それでも今年は、やたらマスコミはうなぎの値上がりを声高らかに叫んでいる。

毎日食べるお米は、昨年から10キロ当たり700円も値上がりしているのに、
誰も何も言わない。

油も、てんぷら粉も、ガソリンも、紙もみんな値上がりしているのに、
どうしてうなぎだけ、これほど大騒ぎしたがるのだろう。

まるで、シーズン真っ只中のうなぎ専門店の営業妨害じゃないのかって思うほどおかしい。

そしてもっと変だったのは、僕の店の客の一人がとんでもないことを言い出したのだ。

44歳、主婦。

自称、気前がよくて、金持ちで、大学の先生しか友達はいない、と言って自慢する少しばかり頭の構造が普通の人とは違う人だけれど・・・・。

「今年はうなぎが高いから、スーパーで豆腐のうなぎってのがあるのね。それにしようかって、話し合ってるの」

「年に一度のことくらい、うなぎを食べたらいいじゃないですか」

僕は当然のように返事をして、周りの客も、うなずく。

「でも高いのよ。スーパーだって2000円もするのよ。コンビにでも1400円もするし、穴子でもいいって感じね」

「そんなのいやだよ。せめてうなぎくらいは、本物を食べなくっちゃぁ」

「だって高いのよ」

この人には何を言っても通じないくらいは誰もがわかっている。

それでも、他の客は土用の丑の楽しみを語ろうとする。

「だってうちでは3人分なのよ。一人2000円かかっても、6000円もかかっちゃうのよ」

あきれてものが言えなくなった。

500円の差なんて、どうにでもなると思っている。

少なくとも僕は・・・・。

僕は外食するには、ルールがあると思っている。

家で食べられないもの。

専門の店でしか味わえないもの。

それが、うなぎ屋であり、すし屋であり、てんぷら屋であると思っている。

ましてや、日本人の文化である、土用の丑の大イベントに、どうして好き好んでニセモノを食べなくてはならないのだ。

うなぎなんて毎日食べるものじゃないからなおさらだ。

僕が回転寿司を嫌うのも同じ理由だ。

本物じゃないからだ。

ご飯になま物を乗せたものが寿司ではない。

ふんわりと握られたシャリは、口の中でやさしくほどけ、しっかりとした仕込のしてあるものこそ寿司であり、腹を膨らませにいくところではないからだ。

ちなみに寿司屋と言うのは、店のオヤジを食べに行くところなのだ。

それが日本人の日本文化なのだ。

うなぎをコンビニに買いにいくのも僕は納得がいかないが、
うなぎを食べる日に、わざわざニセモノを食べる必要なんてあるのだろうか。

マスコミも、これらのニセモノを一生懸命に褒めちぎっている。

これがマインドコントロールでなくて、一体何だと言うのだろう。

戦後、占領軍が日本人に対して、民族意識を壊滅させるために、教科書を墨塗りした話は誰もが知っている。

いまなお、日本人が日本人の文化を守ろうとすることを、どうしても阻止しようとする力が働いているのではないかと疑ってしまう。

本物を食べよう。

僕は客と話し合い、26日と27日にイベントをすることにした。

国産うなぎの懐石コースだ。

一人5000円。

5種類のうなぎ料理と、お造りを添えて、食べてもらおうと言うものだ。

早速メールを送った。

早々に、11人の予約が入った。

本物はわかる人だけがわかればいい。

しかし、そんなことは言えない時代になってきた。

わからない人にも本物を食べさせないと、日本民族は崩壊してしまうのではないだろうかと、僕は心配になってきてしまった。