カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

《僕たちの戦い》

2011-10-24 | 人間観察
骨の溶解期に入ると、あまりの痛さに何もできなくなってしまう。
しかし、店はいつも開けている。
料理なんてものではない。
素材だけでお客に甘えてしまっている。
それでも、励ましを含め、多くの常連が顔を出してくれるのはうれしい限りだ。

そして昨夜、僕たちが作った一番新しいボランティアの有志が集まってくれた。

原発の放射能の恐怖から中京地区に逃れてきた人たちの、日常生活を支援する活動を5月にスタートさせた。
やっと半年が過ぎようとしているが、本当に心から支援してくださるのは、弱者の人たちばかり。

金持ちは目立つことしかしない。

成金は「恵んでやる」と言わんばかりに薄笑いを見せる。

ケチは、困っている人たちには目もくれず、
見栄っ張りは、安物の服や食材を如何に高価そうに見せるかという下衆な根性で頭の中が一杯だ。

お金だけではない。
引越しを手伝い、住居を探し、大家と価格交渉をしたり、生活に困っている人たちには食材などを支援する。
みんなの心安らぐコミュニケーションスペースを作り、弱者の集いを催したり、やりたいことは一杯ある。

でもそれらに携わってくれるのはみんな弱者ばかりです。

「病気になってしまったから、お金を使わなくなったので、余分なお金を使ってください」という大病で寝ている老人。

「苦しみはみんなで共有したいから」という盲目のグループ。

「私たちの給料の一割ですが使ってください」という身障者のグループ。月に3万円ももらえない給料の中から送られてくる汗と涙の結晶に、涙が出る。

「困っている人たちを、少しでも助けてあげられるなら」と、知恵遅れの子供を持つ家族会からも支援の声が届きました。

たった、30人にも満たない有志ですが、そこには、先生も、弁護士も、税理士もいない。

医師も歯医者もプロスポーツ選手も大企業の社長も役員もいない。

もちろんマスコミ関係の人など声をかけても見向きもしない。

弱者だけが、弱者の気持ちがわかる。
弱者だけが、弱者だけの辛さを理解できる。

「よく頑張っているじゃないか」
あるお偉いさんが口にした。

僕たちは頑張っているんじゃない。
頑張るっていうのは、誰かに褒められたいとか、ご褒美がもらえるとか、見返りを求めている行為に過ぎない。

僕たちは、戦っている。
誰に何を言われようと、誰に嫌われようと、僕たちはかまわない。
だって僕たちは何の見返りも不要だから。
僕たちは戦っている。
弱者の心を持って。
弱者と弱者が手を取り合いながら。
そして自分のために戦っている。
僕たちの戦いは、おそらく終焉はないだろうけど。

僕だって、こんな病気を抱えてしまってものすごく不安になることがある。
将来の展望が見えないどころか、10年先、20年先になっても、痛みに耐えながら病院に通わなければならないと思うと、すぐにでも首を吊りたい気持ちになることだって少なくない。
「助けてくれーっ!」と大きな声で叫びたくもなる。

でもそんな苦しみをもった人たちは決して少なくない。
そして、それぞれの苦しみは、苦しみを知っている人にしかわからない。

だから手を取り合って生きる。
弱いもの同士しか、弱いものの悲しみはわからないのだ。

熊木杏里の歌が僕を救ってくれた

2011-10-12 | 人間観察
9日の夜から、膝に激痛が走り出した。
骨髄腫という僕と同居している病気がまた目を覚ましたからだ。
少し前から異変は気がついていた。
しかし、医者に言っても何もしてはくれなかった。
骨の溶解がまた始まったのだ。
恐ろしく痛くて、起き上がることすらできない。
年に数回、この痛みが襲い掛かってくると、赤子の手をひねられたみたいに何もできなくなる。
そして、一人で苦しんでいることがひどく寂しい。
しかしこの戦いは自分自身にしかわからない。
誰とも共有できない苦しみだから。
この痛みと共に、いつも死を考える。
死んでしまいたいと考える。
入院したいなんて思ったことは一度もない。
入院したまま衰える命なんて想像もできないから。
何もできなくなったら死ねばいい。
僕はいつもそう考えていた。

それでも、また2週間ほど過ぎてしまえば、少し和らいだ痛みを連れたまま、カウンターに戻るのだろう。
毒舌を客に浴びせながら、笑いの中で生きていくのだろう。

・・・・・・・・・・・

本当は、発病が判った38歳のとき、生きる事に嫌気がさした。
そして孤独の中で誰にも言えないまま、将来を考えることもできなかった。
仕事も続けられなかった。
歩くことすらできなかったから。
数年悩んだ挙句、気ままに出来るだろうと考え小さな料理屋を開いた。
それでもそれは活きる力には何の足しにもならなかった。

そんな僕を救ってくれたのは、熊木杏里の歌だった。
3段の階段さえ上ることができなくなった僕に生きることを授けてくれたのは熊木杏里の歌だった。
ラジオで流れた熊木杏里の歌が、衝撃的だった。
【窓絵】というタイトル。
人が死んでいく歌だった。

その歌詞は少しも悲しくなかった。
「こんな死に方もあるんだ」
そう思わせてくれたからだ。

忘れもしない。2002年2月21日。
熊木杏里のデビューシングルのジャケットには、オリーブがいた。
僕が大学時代に付き合っていた宮古島出身の女の子だ。
そのオリーブがジャケットにいた。
足が震えた。
オリーブは、21歳の2月21日、自らの命を絶った。
僕と同じ多発性骨髄腫の痛みと、将来の不安に耐え切れず死を選んだ。
間違いなく、35年前は、骨髄腫は死に至る病気だった。
単なる他人の空似に違いない。
だけど偶然なんて世の中には絶対ないと信じる僕にとって、熊木杏里の存在が大きくのしかかってきた。
大隈講堂で唄うと聞けば出かけていった。
大江千里のライブデポのミニコンサートで唄うと聞けば出かけていった。
そしてそのたび、足が震えた。
まさにオリーブが唄っているとしか思えないほど似ていたから。

熊木杏里の歌詞はどんどん成長していった。
容貌も変わって行った。
当然だ。熊木杏里も来年の1月には、もう30歳になるはずだ。
僕の娘のイッコ上だ。

「もう少し生きてみるか」
そう思わせてくれた熊木杏里に感謝している。
心から感謝している。
熊木杏里がいなければ、僕は今こうして生きていなかったかもしれない。

僕の店で、熊木杏里のCDを流している理由はたったこれだけ。



今回は個人的な愚痴を書かせていただきました。
痛みが和らいだら、また馬鹿な愚痴を書き続けて行こうと思います。

誰も何も言わなくなった。Vol.3

2011-10-08 | 人間観察
近くのファミレスに行った。
そこは、禁煙席と喫煙席に別れている。
僕は普段はタバコを持ち歩かないので、禁煙席なのだが、この日は仕事の打ち合わせがあり、喫煙席に座ることにした。

そこで見たものは、喫煙席に子供がいるのだ。
母親と一緒に来ている子供が喫煙席に座っているのだ。

母親がタバコを吸い、うしろの席でも横の席でもタバコをすっている。

そりゃそうだ。タバコを吸える場所がなくなって、喫煙者はタバコを吸うためにやってくるのだから。

でも子供に良いわけがない。

こんなとき昔なら誰かが言ったに違いない。

「子供を喫煙席につれてくるんじゃない」と。

今は誰も言わなくなった。
周りの人も、店の人間も、一緒にいる人も。

「注意をして、因縁でもつけられたら嫌だから」とでも考えているのか、どうでもいいことだと考えているのか、よくわからない。

本当は、喫煙席の前に、「未成年の方は喫煙席に入れません」という張り紙を張り出すだけのことだ。


僕の店の壁には、こういう張り紙を張り出している。
「当店は禁煙席を設けておりませんし、大人がお酒を楽しむ場所でもありますので、中学生以下のお子様の入店をお断りしております」

これだけで子供連れは簡単に断ることができ、子供にとって環境の悪いところに連れて来られることもなくなる。
直接言えなくても、いろんな方法があるはずだと思うのだが・・・・。

確かに注意されると、切れる馬鹿な客も多い。
僕は、置きタバコをする人には灰皿に水を入れてやる。
客は怒る。
「まだ吸ってるのに何をするんだ」
僕は決まって言う。
「置きタバコをするならタバコを吸うな。周りの客の迷惑も考えられないなら、タバコを吸うな」と。

僕は好き嫌いを威張っている奴も大嫌いだ。
社内の食事会に使ってくれる会社がある。
若い女性が多く、いつも和気藹々と気分がいい。

しかし、本部長と呼ばれるオッサンがいるときは、女の子の元気がない。
席に座るや否や、
「おい、俺には刺身なんか出すなよ。俺は刺身なんか大っ嫌いなんだ。刺身なんか食う奴は生臭くってな」
これを聞くと、女の子はもう刺身なんぞ頼めなくなってしまう。

「部長はどこの国の人なんですか?」と僕は大きな声で聞く。
「俺が日本人に見えんのか?」と怒る。
「日本人なの? 帰化したの? 刺身を食べない日本人なんかいるわけないじゃないですか。DNAを調べてみたらどうですか?」

客に注意するということは客を無くすということだ。
しかし、僕はこういう連中を見て見ぬ振りはできないのだ。
現に、オッサンは来なくなったが、女の子は、個人的に店に来てもらっている。
彼氏や家族などの新しいお客を連れて。

子供の頃は、味覚が発達していないので、酸っぱいものや苦いものは好まない。
しかし、好き嫌いというのは、母親が少しづつ手を変え品を変え、好き嫌いをなくしていくものなのだ。
嫌いなものがあってもかまわない。
しかし、嫌いなものでも、出されたものは食べるのが礼儀であり、教育なのだ。

大人になって好き嫌いをいうのは、本当に恥ずかしいことなのだ。
「私の家庭では、きちんとした教育を受けていません」と言っているようなものなのだ.

今の時代は、嫌いなものを食べなくたって、ほかで栄養が取れるんだと思っているのかもしれない。
しかし、それは全く違う。
目の前の困難をひとつづつ克服していくということができなくなる人間になるのだ。
嫌なことを避けて通るということが、人生において如何に卑屈な人間を作り上げていくのかを考えてもらいたい。

好き嫌いを自慢するような連中には、大きな声で笑ってやることが必要なんだ。
「そんなものも食べられないんだ。うゎ~っ、恥ずかしい! お子さんもそういう風に教育してるんだ。子供が可哀相」なんてね。

誰も何も言わなくなった。Vol.3

2011-10-07 | 人間観察
《日本人なら米を食え!》
《日本人なら魚を食え!》
《日本人なら酒を飲め!》

当たり前の話。
どんな国に行っても、家庭では、伝統の料理を作る。
中国の家庭には中国料理の調味料しか置いていない。
ヨーロッパの国々の家庭も、自国の料理を作る調味料しか見当たらない。
韓国はキムチを食べ、タイランドはパクチと青唐を食べ、中国では水餃子を食べる。
日本の家庭だけが、世界のあらゆる料理を真似て、あらゆる調味料を置いている。

僕は中学生のときドイツで暮らしたことがある。
大学時代は、エジプトの大学に留学していた。
社会人になってからは、フランスで1年間を過ごした。

どこの国も、自国の料理に自信と誇りを持っている。
中華を食べたいときは、中国人が経営する店で本物を食べる。

しかし、日本人は、日本の伝統を馬鹿にすることを【善】とする自虐的恍惚感を感じる人種がたくさんいて、それを自慢する人が多くなってきていることに危機感を覚えてしまう。

僕の店は、日本料理を基本にしたものを出しているのだが、
「先割れスプーンありませんか?」
「茶碗蒸しにはスプーンを出してください」
「ここはカクテルは置いてないんですか?」
「お刺身は私食べないんです」

いろんな人がいる。
そんな人は日本から出て行けばいい。
日本の儀式に出てくる料理は、刺身、焼魚、天ぷら、酢の物、味噌汁、ご飯は定番だ。
これが日本の儀式料理の基本なのだ。
これが食べられないなら、他人様の結婚式や葬式に参列する資格はないのだ。

僕の店で、天ぷらを出した。
「フライは無いの?」
そういう人に、連れの上司は普通は注意する。
「ここは日本料理なんだ。言葉を慎め」と。

しかし、上司までもが、「フライなんか置いてあるの?」

日本人に誇りなど無くなってしまったのだろうか?

次回は、【好き嫌い】について考える!

誰も何も言わなくなった。Vol.2

2011-10-06 | 人間観察
日本の常識になってしまったのだろうか?
本当のことを誰も言わなくなってしまったような気がする。

僕たちが子供の頃、常識に外れたことをすると、何かと口うるさい人たちが注意をしてくれた。
嫌だなぁと思いながらも、その苦言をいつしか取り入れ、僕たちは大人になってきた。

今は、そんなことを言う人は本当にいなくなった。
変な《優しさごっこ》で、過ごしてしまう人たちばかりになってしまった。
わざわざ苦言を呈して嫌われることなど無い、と考えてしまうのか、それとも本当に何も感じないのか?

とにかく嫌な世の中になってしまったと思うのは、僕が年を重ねてしまったことの証なのかもしれないけれど・・・・。

5+5が6だと答えてしまう人たちにも、「ああ、そうですね」と答えてしまうことが、単に、争いを避けるためだけとは考えられない。
間違いを間違いだといわないということは、その人のためではなく、自分のためにもよくないと僕は思う。

最近、箸のもてない人が増えた。
「お箸の国、日本」の人間として、とても情けない話だ。
僕の店には、外国の人も来ることがある。ヨーロッパの人は全員が箸をきちんと持てる。
「日本のことを知るために、箸が持てないと何も始まらない」そうだ。
だから、日本に来る前から、箸の持ち方を学んでくるのだそうだ。
ところが、箸の持てる外国人と一緒にきている日本人が箸を持つことができない。
誰も何も言わない。
見苦しいばかりの箸の持ち方に嫌悪感さえ感じてしまう。

つい先日、某一流企業の役員が若い人を連れてきた。
そこで、一番若い人が、箸のもてない先輩に厳しく注意した。
「先輩、その箸の持ち方は無いですよ。営業に出たら、こんな人が社員だなんて思われるのは嫌ですよ、僕は。子供たちだってこんな親父に育てられたことをいつかきっと後悔しますよ。きちんと持ってください。こんな上司は尊敬できませんから」

気持ちよかった。
こんなに堂々と言える人もいるんだと、少し若い人を見直した。

子供の教育どころか、箸の持てない母親が多くなっているのも事実だ。
汚い食べ方、好き嫌い、食べ終わっていても話に夢中で他の客が座れないほど満席でも動こうともしない。

こんな母親が素直で常識を持った子供が育つはずなど無い。

ところで、なぜ、箸をきちんと持てないといけないのか?

それは、売春婦の独特の持ち方だったからだ。
夜鷹といわれる売春婦をご存知だろうか?
江戸時代、川べりの茶店で男を待ち、草むらに茣蓙を敷いて身体を売る女のことだ。
彼女たちは、狙いをつけた男を見ると、箸を重ねて親指を立てて持ち、食べ物をクロスさせて口に運ぶ。
「私とセックスしませんか?」という合図である。
だから、普通の人は、売春婦の持ち方を嫌ったのだ。

ただ、この時代の売春婦は、きちんと箸を持てた。
男を誘うときだけ、箸を持ち替えるのだ。
現代の箸の持てない女性は、いつも「セックスしましょう箸使い」しかできないのだ。

見合いや結婚式、葬儀、祝い事や弔事、すべて食事の席を設ける。
食事は「お里が知れる」といわれるように、その人の素性や育ちや教養が全て現れるのだ。

注意してあげて欲しい。
怒ってもかまわない。
正しくの本の文化を伝えていくことをしないと、本当に日本はイエローキャブの国に成り下がってしまうのだ。
いや、もうすでに、海外では「日本人の女は軽い!」と思われている。

日本がこれ以上恥ずかしくない国民になるためにも、常識人よ、がんばってください。