骨の溶解期に入ると、あまりの痛さに何もできなくなってしまう。
しかし、店はいつも開けている。
料理なんてものではない。
素材だけでお客に甘えてしまっている。
それでも、励ましを含め、多くの常連が顔を出してくれるのはうれしい限りだ。
そして昨夜、僕たちが作った一番新しいボランティアの有志が集まってくれた。
原発の放射能の恐怖から中京地区に逃れてきた人たちの、日常生活を支援する活動を5月にスタートさせた。
やっと半年が過ぎようとしているが、本当に心から支援してくださるのは、弱者の人たちばかり。
金持ちは目立つことしかしない。
成金は「恵んでやる」と言わんばかりに薄笑いを見せる。
ケチは、困っている人たちには目もくれず、
見栄っ張りは、安物の服や食材を如何に高価そうに見せるかという下衆な根性で頭の中が一杯だ。
お金だけではない。
引越しを手伝い、住居を探し、大家と価格交渉をしたり、生活に困っている人たちには食材などを支援する。
みんなの心安らぐコミュニケーションスペースを作り、弱者の集いを催したり、やりたいことは一杯ある。
でもそれらに携わってくれるのはみんな弱者ばかりです。
「病気になってしまったから、お金を使わなくなったので、余分なお金を使ってください」という大病で寝ている老人。
「苦しみはみんなで共有したいから」という盲目のグループ。
「私たちの給料の一割ですが使ってください」という身障者のグループ。月に3万円ももらえない給料の中から送られてくる汗と涙の結晶に、涙が出る。
「困っている人たちを、少しでも助けてあげられるなら」と、知恵遅れの子供を持つ家族会からも支援の声が届きました。
たった、30人にも満たない有志ですが、そこには、先生も、弁護士も、税理士もいない。
医師も歯医者もプロスポーツ選手も大企業の社長も役員もいない。
もちろんマスコミ関係の人など声をかけても見向きもしない。
弱者だけが、弱者の気持ちがわかる。
弱者だけが、弱者だけの辛さを理解できる。
「よく頑張っているじゃないか」
あるお偉いさんが口にした。
僕たちは頑張っているんじゃない。
頑張るっていうのは、誰かに褒められたいとか、ご褒美がもらえるとか、見返りを求めている行為に過ぎない。
僕たちは、戦っている。
誰に何を言われようと、誰に嫌われようと、僕たちはかまわない。
だって僕たちは何の見返りも不要だから。
僕たちは戦っている。
弱者の心を持って。
弱者と弱者が手を取り合いながら。
そして自分のために戦っている。
僕たちの戦いは、おそらく終焉はないだろうけど。
僕だって、こんな病気を抱えてしまってものすごく不安になることがある。
将来の展望が見えないどころか、10年先、20年先になっても、痛みに耐えながら病院に通わなければならないと思うと、すぐにでも首を吊りたい気持ちになることだって少なくない。
「助けてくれーっ!」と大きな声で叫びたくもなる。
でもそんな苦しみをもった人たちは決して少なくない。
そして、それぞれの苦しみは、苦しみを知っている人にしかわからない。
だから手を取り合って生きる。
弱いもの同士しか、弱いものの悲しみはわからないのだ。
しかし、店はいつも開けている。
料理なんてものではない。
素材だけでお客に甘えてしまっている。
それでも、励ましを含め、多くの常連が顔を出してくれるのはうれしい限りだ。
そして昨夜、僕たちが作った一番新しいボランティアの有志が集まってくれた。
原発の放射能の恐怖から中京地区に逃れてきた人たちの、日常生活を支援する活動を5月にスタートさせた。
やっと半年が過ぎようとしているが、本当に心から支援してくださるのは、弱者の人たちばかり。
金持ちは目立つことしかしない。
成金は「恵んでやる」と言わんばかりに薄笑いを見せる。
ケチは、困っている人たちには目もくれず、
見栄っ張りは、安物の服や食材を如何に高価そうに見せるかという下衆な根性で頭の中が一杯だ。
お金だけではない。
引越しを手伝い、住居を探し、大家と価格交渉をしたり、生活に困っている人たちには食材などを支援する。
みんなの心安らぐコミュニケーションスペースを作り、弱者の集いを催したり、やりたいことは一杯ある。
でもそれらに携わってくれるのはみんな弱者ばかりです。
「病気になってしまったから、お金を使わなくなったので、余分なお金を使ってください」という大病で寝ている老人。
「苦しみはみんなで共有したいから」という盲目のグループ。
「私たちの給料の一割ですが使ってください」という身障者のグループ。月に3万円ももらえない給料の中から送られてくる汗と涙の結晶に、涙が出る。
「困っている人たちを、少しでも助けてあげられるなら」と、知恵遅れの子供を持つ家族会からも支援の声が届きました。
たった、30人にも満たない有志ですが、そこには、先生も、弁護士も、税理士もいない。
医師も歯医者もプロスポーツ選手も大企業の社長も役員もいない。
もちろんマスコミ関係の人など声をかけても見向きもしない。
弱者だけが、弱者の気持ちがわかる。
弱者だけが、弱者だけの辛さを理解できる。
「よく頑張っているじゃないか」
あるお偉いさんが口にした。
僕たちは頑張っているんじゃない。
頑張るっていうのは、誰かに褒められたいとか、ご褒美がもらえるとか、見返りを求めている行為に過ぎない。
僕たちは、戦っている。
誰に何を言われようと、誰に嫌われようと、僕たちはかまわない。
だって僕たちは何の見返りも不要だから。
僕たちは戦っている。
弱者の心を持って。
弱者と弱者が手を取り合いながら。
そして自分のために戦っている。
僕たちの戦いは、おそらく終焉はないだろうけど。
僕だって、こんな病気を抱えてしまってものすごく不安になることがある。
将来の展望が見えないどころか、10年先、20年先になっても、痛みに耐えながら病院に通わなければならないと思うと、すぐにでも首を吊りたい気持ちになることだって少なくない。
「助けてくれーっ!」と大きな声で叫びたくもなる。
でもそんな苦しみをもった人たちは決して少なくない。
そして、それぞれの苦しみは、苦しみを知っている人にしかわからない。
だから手を取り合って生きる。
弱いもの同士しか、弱いものの悲しみはわからないのだ。